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『政府は何をやってるんだ! ◯◯反対! 拡散希望』
『今日こんな人に会いました、ありえないです。みなさんのために、共有します』
『◯◯が不倫とか、最低。もうテレビに出てこないで』
(……今日も知らん人の“怒り”ばっかだな)
スマホを眺めながらため息をついた。
SNSは人々の怒りで溢れている。本来娯楽でやっているツールのはずなのに、人々のマイナスの感情ばかりスマホ画面には流れてくる。
反対するのは勝手だが、攻撃的な書き方をするのはどうなのだろう。ささいなことを愚痴る気持ちはわかるが、わざわざ「みんなのために」という建前で共有するのはどうなのだろう。不倫はたしかに良くないことだが、人を批判できるほど正しく生きているのだろうか。結局はその人の愚痴吐きであり、ストレス発散なのだ。
そしてイライラは伝染し、こちらまで不愉快になってくる。
どこの誰かもわからない人たちの怒りを毎日見ることに嫌気がさして、近頃ではアカウントを消そうかとも思っていた。私は、ケーキがおいしかったとか、道にいた猫ちゃんがかわいかったとか、そういうものを見たいのであって、わざわざ嫌な気分になるためにSNSをやっているわけではない。
そう悩んでいたある日、つけっぱなしにしていたテレビからこんな声が聞こえた。
『こちらが最近人気の商品! 怒りをエネルギーに変換する機械です。世の中、暗いニュースや愚痴に溢れていて、嫌だなと思うことはありませんか? そんなあなたにおすすめ! これがあれば、怒りの感情をエネルギーにできてしまうのです! 持ち歩くだけでOK! コンパクトなので、お財布にも入ります! お値段なんと、一万円! 詳しく説明しますと、機械から磁波が出ていて……』
あまりにも胡散臭かった。そんな機械が存在するわけがない。それでも、まあ一万円で怒りがなくなるかもしれないなら安いものかと、考えてしまうほどに私は疲れていた。その日は残業で帰りがひどく遅くなったせいかもしれない。藁にもすがるとは、このことだろうか。これは気分の問題で、実際に機械による影響があるかどうかという事実ではなく、お守りのように力がもらえるかもしれない、と、微かな期待を持ち安心できることが重要だった。
そして私は、気付いたらそれを検索し、ネットで注文していた。
テレビの中で元気よく商品の紹介をしていたおじさんが、――そんなはずがないのに――貼りつけたような笑顔をこちらに向けて、ニヤリと口元を歪めたような気がした。
翌日、早速配達で商品が届く頃には、私は後悔していた。なぜこんな馬鹿げたものを買ってしまったのだろう。お守りならばもっと他にもあるではないか。なにも一万円もかけて、胡散臭い商品を買わなくてもよかっただろう。
しかし買ってしまったからには、念のため持ち歩こうと思った。全く使わないのは、一万円を無駄にしたような気持ちになる(実際無駄にしたわけだが)。ひとまず私はそれを、会社で着るシャツのポケットに入れた。明日、効果があることを祈って。
「――ドアが閉まります。ご注意ください」
アナウンスと共に、会社員が満員電車に滑り込んできた。ドア付近に立っていた私の足が踏まれるが、謝られもしない。
(ちっ。無理矢理乗んなよ……)
朝からついてない、と思った。しかしもしかしたらこれもエネルギーになっているのかもしれない、と思うと少し救われた。
嫌なことはすべてエネルギーだと思うことにしよう。そうすれば前向きに生きられる。
それからは毎日が楽になった。列に割り込まれても、これはエネルギー。見知らぬ男にわざとぶつかられても、これはエネルギー。会社で上司に嫌味を言われても、これはエネルギー。
そしてSNSの他人の怒りですら、私はエネルギーのもとだと思えるようになっていた。今まで他人のつぶやきには返信したことがなかったが、返信するようになった。
「ありえないですよね。人としてどうかと思います」
「そんなこと書いてありませんが、どこから読み取ったのですか?」
「それはあなたがコミュニケーション不足なだけでは?」
こちらが少し怒りに協調したり、反論したりするだけで、周りから新たな怒りが生まれた。
こうして怒りは膨れ上がる。どんどんエネルギーになるのだ。すべては私の養分となる。
そのうち私は、SNSで怒りのつぶやきだけではなく、すべてを怒りに変換しようとしていた。
『みんなおつかれ! 今日の自撮り〜。すっぴんだけど、大丈夫かな?』
どこの誰かもわからないアイドルのつぶやき。くだらない、と思いながら返信する。
「この顔ですっぴんアピール(笑)どう見ても加工アプリでしょ」
気になるものには全部、返信した。
そう、すべては私のエネルギー。私は怒りによって生きる。
一万円の「お守り」は、随分前に誤ってシャツと一緒に洗濯してしまったが、効果はたぶん発揮されていた。
* * *
ある日会社のトイレを出ると、洗面所で後輩二人に遭遇した。私に気付くと、「お疲れ様です」と会釈し挨拶する。私も、お疲れ様、と返しながら、二人とも声が小さいなぁと考えた。私が新人の頃は「挨拶は大きく!」と耳にタコができるほど教育されたものだが、今の子達は違うのだろうか。
と、こんな小さな愚痴もエネルギーだ。私は颯爽とその場を去った。――
「……なんかさ、猪狩さん変わったよね」
「え、やっぱり? 私も思ったんだよね」
「いつも怒ってない? そんなん怒ってもしょうがないじゃんってことをいちいち愚痴っててさ……」
「わかるー、疲れそー。ハッピーなこと考えたらいいのに」
「こないだなんてさー、『コンビニで◯◯味のおにぎりが売り切れてた、私が毎日買ってるのわかってるんだから置いておいてよ』なんて言っててさ」
「何それ、自分中心すぎてウケる! まー、距離置こうかな」
「だねー」
――私が去ったあと、後輩たちがこんな会話をしているとは、知りもせずに。
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