リアリスト

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リアリスト

 誰もが心休まる昼休み。そこに例外である疑問の絶えない男子生徒と、理解に苦しむ女教師の両者はお互いに理解の及ばない化物と相対しているように感じていた。 「詳しく説明してもらおうか。悪い冗談なら説教だ」  霧条先生は訝しげな態度でこちらをじろりと睨みながら僕に問う。  授業を行う霧条先生の表情はいつもクールであまり感情を表に出さないイメージだったが、今の霧条先生の顔はなんとも呆れた様子だった。  しかし、無理もない。よく分からない生徒に話しかけられて自分が崖から落ちて死んだ等という話を聞かされるのだ。  僕が言うのもなんだが逆に可哀想に思えてくる。僕だって同じ立場なら彼女と同じような態度をするかもしれない。 「僕は真剣です。説教は必要ありません」 「真剣なら尚更まずいのだがな……やはり、頭がおかしく……」  霧条先生はふぅ、と溜め息をつく。また呆れているのだろか。いや多分、呆られ直されたのだろう。(そんな日本語あるのか知らない)  こんな馬鹿げた話をしたなら、普通は聞き耳を持たず説教、または適当にあしらわれるのであろう。しかし、僕には話を聞いてもらえるための秘策があった。  学内で霧条蛍夏を知らない人はいない。即ち有名人である。容姿端麗、しかし怒りっぽい。常に気が立っていて、むしろ授業以外は怒っているところしか見たことがない、なんてことも言う生徒もいれば、実は優しいなんて言う生徒もいるらしい。そんな良い意味でも悪い意味でも目立つ彼女には、当然の如く様々な噂が流れている。  例えば、霧条先生は―― 「真実を確かめるために協力して頂けませんか」 「ふむ……」 「僕には霧条先生しか頼る人がいないんです。真実が確かめられないのなら、こんな話、幽霊の仕業としか……」 ――オカルトが嫌いである。  霧条先生の体がぴくりと反応する。それを僕は見逃さない。  もし、彼女が噂通りの人間であるとして、その#霧条蛍夏__きりじょうけいか__#という人物を説明するのならば、この言葉だけで充分だ。 『霧条蛍夏は、現実主義者(リアリスト)である』  これに尽きる。  そう、彼女は現実主義である故に、オカルト等の現実的でない話に対して強い興味を持つ。何故なら、オカルトは現実主義者であり、教師という知識欲の塊でもある霧条蛍夏にとって理解が及ばないものであるからだ。  この世には科学では説明できないことが確かに存在する。現代の科学ではオカルトを証明することはできないが、しかし逆にオカルトの存在を否定することもできない。  つまりオカルトを全否定することこそが、現実主義者たりえない。彼女はそんな考えを持っている。  彼女は知識を求める。理解の及ばないものに興味を持ち、理解をしようと試みる。その知識に対する誠実性こそが彼女の探究心の原動力となるのだ。  それが、霧条蛍夏という高校教師なのである。 「ふむ、ありえない話ではあるが、君の真剣な様子を見るに嘘を言っているふうには見えない。これでも教師だからな。伊達に様々な生徒と関わっていない……」 「せ、先生……!」  僕は感嘆の声をあげる。しかし、そんな喜びもつかの間、霧条先生は一息ついて、「だが」と言葉を続けた。 「申し訳ないが心からは信じられない。君の話では私が崖から落ちたとのことだが、私はそんな崖へ行った覚えはない。普通に考えるなら君の記憶違いだと考えるのが妥当だ」  彼女はふぅと息をつく。確かに、霧条先生の言うことは正しい。逆に、そんな突拍子もない話を心から信じろという方が無理があるだろう。しかし、霧条先生は、 「だが、なかなか面白そうじゃないか――」  彼女は楽しそうににやりと笑った。その笑顔はまるで、少年が無邪気に笑うかの様なわんぱくさがあり、同時に妖しい美しさがあった。 「いいだろう、君の謎の解明に協力しようじゃないか」 「ほんとですか!」  霧条先生はこくりと頷くと唇を不敵に歪ませる。  「あぁ、本当だとも。私自身、この話に興味が湧いてきてね。それに――」  霧条先生は、クールに髪をかき上げながら言った。 「私が幽霊じゃないということを君に授業してやりたくなったんだ」  霧条先生は付け加えるようにそう言うと、悪戯っぽく静かにほほ笑んだ。その無邪気さと気品が漂う静かな笑顔に思わず、ハートが撃ち抜かれそうになる。  その格好良さに当てられて胸を抑えると僕の胸ポケットになにやら違和感がありそれを取り出した。 「あ、これは……」  ポケットから出てきたのは猫目石のブレスレットだった。いつの間にか僕は、胸ポケットに忍ばせていたらしい。それを霧条先生に見せると、彼女の切れ長の目が見開いた。 「それはっ……春谷。一体どこでそれを……」  彼女は僕の手をごと手のひらで覆い、ぎゅっと握りしめる。彼女の冷たい手のひらの体温が俺の神経を刺激し、ぴくんと心臓が跳ねた。 「実は例の崖で拾ったんです。先生の物ですよね。その猫目石のブレスレット……」 「あぁ、このサイズ、模様、確かに私のだ。最近無くしていて困っていたんだ。ありがとう」  彼女は大事そうにブレスレットを腕につけると、それに優しく微笑んだ。ブレスレットを少し愛撫した後、僕にちらりと視線を向ける。   「まだ確信に至るものはないが、別に君の真剣さを疑うつもりはない。それに、何か身の危険があったという事実は君のが物語っているからな」  霧条先生は僕の頭を指差す。唐突に指を#指__さ__#されたので僕は少しだけ驚くと、彼女はちらりと僕の反応を見て満足したように言葉を続けた。 「さっきの話では、春谷も崖から落ちたということだったが大丈夫なのか? 話から察するにその怪我は崖から落ちた際にできたもの……なんだろうが」 「ええ、先生の言うとおりです。大した怪我じゃないので、まぁ大丈夫ですよ。たまに頭痛がするだけなので」 「めちゃくちゃ大問題じゃないか!」 「ははっ、実は打ち所が良かったのか怪我はあまり大きくないんですよ」  僕は彼女にあっけらかんと笑って見せる。  今、僕の頭には包帯が巻いてある。顎を打ったところはちょっぴり痛みはするが、どちらも大した傷ではないので僕にとっては少々大袈裟に感じてしまう。  霧条先生は呆れたようにため息を吐きながら、こちらを睨み付ける。 「それで、ちゃんと病院には行ったんだろうな」 「えぇ、勿論」 「本当は?」 「全然行ってないです」 「このバッカもん!」  霧条先生は手に持っていた教科書で僕の頭を痛くならないように軽く叩く。すぐ見透かされてしまった。流石は霧条先生だ。その鷹の様な眼光の前には僕の嘘は呆気なく見破られてしまう。  彼女はその鋭い観察眼で様々なものを見抜いてきたと聞く。生徒の非行を取り締まったり、生徒からの人生相談、さらにその眼力や端整な容姿も相まって畏怖の念や尊敬の眼差しを向ける人も少なくない。  そんな彼女を前に嘘をつく奴なんて恐れ知らずかただの馬鹿か。勿論、僕はどちらでもある。 「それで、病院に行ってないのならその包帯は誰が巻いてくれたんだ?」 「僕の親友が巻いてくれたんです。というか、巻いておいた方がいざというとき授業もサボりやすいから便利って」 「教師の前でそれを言うか普通」  彼女は溜め息を吐いて呆れたように目を細める。 「まぁ、元気そうなのはなによりだが……」 「えぇ、まぁそういうことです」  そんなことを話し合っていると、不意に甲高い音が響く。予鈴だ。もうすぐ昼休みが終わることを報せてくれるその音は、昼休みが大好きな僕にとって、ましてや自分にとってかなり重大な話をしている今、一番聞きたくない音だった。 「おや、もうそんな時間か。次の授業に行かなくてはね。春谷君、何かあったらすぐ言うんだぞ。それと、ちゃんと病院にもいくことをオススメする」 「はい、ありがとうございます。僕も親友が教室で待っているのでそろそろ行きますね」 「あぁ、じゃあね。というか君、ちゃんと友達とかいるんだな……」 「ひどっ、まぁ確かに少ないですけど」  僕は冗談めかしながら堪えきれず笑う。霧条先生も口角をあげて静かに微笑んだ。彼女の普通の笑顔はかなりレアなので俺も少し嬉しくなる。 「いや、すまん。日頃から一人が多い生徒だと思っていたんだ。正直安心した」  霧条先生はそれだけ言うと、背を向けて去っていった。何故か、少し頭の怪我が痛む。  彼女の後ろ姿をぼーっと眺めていると、彼女の服装に見覚えがあることを不意に思い出した。  そういえば、彼女が着ていた服装は今日と同じ白いワイシャツに黒いスーツパンツだった。  僕は、彼女を纏う黒いスーツに見惚れながら、そんなことを考えていると、その後ろ姿からまたあることに気づいてしまい、事の重大さについ言葉が漏れた。 「先生、安産型なんだな……」  そんな煩悩にまみれた事を考えているといつの間にか時間は過ぎていく。  さて、次の授業には間に合うだろうか。
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