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料金表を書いたホワイトボードはここにおいて、と……よし、準備完了。
「らっしゃいー、殴られ屋だよ!」
この夜の歓楽街における人通りが疎らな路地裏で、今日も俺は副業を始める。
「亮太君、こんばんわー」
早速、常連のお客さんが来てくれた。
「エリカさん、こんばんわ」
俺の目の前にいる常連客のエリカさんは、この近くのキャバクラに勤務している。彼女は仕事柄、スケベオヤジからのセクハラ被害にストレスをためている。それの解消のために、この殴られ屋を利用するのだ。
「悪いんだけど、腹パンしていい?」
「いいっすよ。はい、グローブ」
エリカさんは、俺から手渡されたグローブを左手にはめると、準備運動として左腕を軽く振った。
「よし、そろそろいくよ」
「はい、どうぞ」
「てりゃあ!」
エリカさんの正拳突きが、俺のシックスパックなお腹の中心に炸裂した。
「……いてて……エリカさん、また腕を上げましたね」
本当はさほど痛くないが、痛いと言うのが、この稼業における一つのミソだ。
「本当⁉️ それは嬉しいなあ」
こんな風にお客さんは喜んでくれるしね。筋骨隆々な男を打ち負かしたい欲求は、多くの人に持っているものなのだ。
「じゃあ、エリカさん。お代金」
「うん。――はい、千円」
「毎度あり。お仕事、頑張ってね」
「そっちもね」
エリカさんは気持ちのいい顔をして、この場を去っていった。
「なんや、楽しそうやね! 男やけど、殴っても問題あらへん?」
俺とエリカさんの一部始終を端から観ていた、体格のいい三十くらいのお兄さんが話しかけてきた。
「ええ、問題ないっすよ」
「ホンマに⁉️ じゃあ、一発頼むわ」
そうこうしている間に、周りに人がぼちぼちと集まってきた。
「殴られ屋かあー。次は俺がやる」
早くも次の予約が入った――今日は何時も以上に忙しくなりそうだ。
俺は昼間、フィットネスクラブでインストラクターのバイトをしているのだが、それだけで生計を立てるのは苦しいので、週一でこの副業をしている。たまに職場の筋トレ器具を借りて、自分の肉体も鍛えていることもあり、大抵の人のパンチくらい俺にとっては屁の河童だ。
普通の商売なら立地条件も重要なのだが、こういった稼業なので、あまり目立ちすぎるのはよくないと俺は思い、夜の繁華街とはいえ、ひっそりとした路地裏でこの副業を行っている。でも、気付いたら、エリカさんみたいな常連のお客さんも増えてきている。しかも皆、俺に親切にしてくれるし……人の縁は本当に有難いな。
最近は御時世のせいなのか、この歓楽街の夜にも人気が少なくなっている。だが、それでも副業としては十分な収入が得られる。それに、ストレス発散し、気持ちのいい顔して帰っていくお客さんの顔を見るのは、俺的にも最高に気持ちがいい。だから、多少の収入減にめげずに、俺はまだまだこの副業を続けていくつもりだ。
さて、今日もそんな一石二鳥な感じで、路地裏で目立ち過ぎないようにしながら、一丁張り切るとするか。
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