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11 強敵襲来
薄暗い洋館の一室に、四つの人影があった。
「お集まり頂き感謝致します。早速ですが、本題に入りましょう」
銀縁眼鏡の男は、曇天の空が覗く木枠の窓から目を離すと、背後に控える白衣の者たちに振り返った。
「最近、とある町に特別な血を持つ少女がいるとの報告がありました。ご存じですか?」
「はあ、噂程度でなら」
飛びぬけて体躯の良い、熊のような男が答える。
「話が早くて助かります」
銀縁眼鏡の男は安心したように微笑むと、執務机に両手をついた。
「君たちを呼んだのは他でもありません。その少女を捕らえて欲しいのです」
穏やかな顔に突然影が差し、三人は戸惑いの色を浮かべる。
「理由をお聞かせ願えますか?」
前髪で目が隠れている小柄な男が、おずおずと声を上げる。銀縁眼鏡の男は、神妙な面持ちで頷くと、静かに口を開いた。
「一族対立の溝が深まっているのは、皆さんもご存じですね。特に強硬派の人々は、人間を支配下に置くため、更なる力を欲しています。彼女は一族の均衡を崩す危険因子になり兼ねません。本人に罪はありませんが、野放しにしておくことも出来ないんですよ」
「あの、要様」
そこまで話したところで、タイトスカートを纏った巻き髪の女が手を上げた。
「その少女は、一人の吸血鬼と行動をともにしていると聞きました。お言葉ですが、私たちでは太刀打ち出来ないのではないでしょうか?」
彼女の不安そうな顔を見て、銀縁眼鏡の男は、観念したように少しだけ顔を歪ませた。
「その通り。そこで貴女たちにお願いがあります」
執務机の前まで出て来ると、男は改めて彼らに向き直った。
「少女のもとに、彼を差し向けて下さい」
「えっ、まさか……!」
「そのまさかです」
三人のどよめきを聞きながら、銀縁眼鏡の男は溜息を吐く。
「性格はさておき、彼の腕前は一族の中でも抜きん出ていますから。君たちには、彼の監視と支援をお願いしたいのです」
その穏やかな物言いに対し、彼の雰囲気には否と言わせぬ圧がある。
「承知致しました」
白衣の三人は困ったように顔を見合わせると、揃って頭を下げた。
「ちあきさん、朝ですよ!」
「起きて下さい!」
頭上から、妖精のように愛くるしい声と軽快な羽音が降り注ぐ。ちあきが目を開けると、三匹の白コウモリたちが、口を使って布団を剥がそうとしている姿が映った。そうだ、昨日から内緒の同居人が出来たのだった。
「おはよう」
気怠げに身体を起こし、まだ覚醒しきっていない頭で三匹をじっと見つめる。
「おはようございます! 早くしないと遅刻しちゃいますよ!」
きつい口調で支度を急かしているのが万里。
「何か美味しそうな匂いがする……」
ぽやっとした顔で、涎を垂らしているのが朝日。
「あれはパンって食べ物だよ」
一番落ち着きがあり、三匹のまとめ役である大河。
驚いたことに、彼らはもう五十年ほど生きているらしい。幼い頃日本に来てからたくさん旅をして、その中で感銘を受けたものから自分の名前を付けたのだと言う。コウモリが人間の言葉を自在に操っている時点でとてもファンタジーなのだが、可愛いからこの際どうでもいい。
「起こしてくれてありがとう。後でみんなのご飯も持ってくるからね」
ちあきは軽く髪だけ梳かすと、軽妙な足取りで下階のリビングに向かった。
「おはよう、お母さん」
「あら?」
キッチンで作業をしていた母親の小春に声を掛ける。すると、彼女は鳩が豆鉄砲を食ったかのような表情になった。
「おはよう、今日は早いのね」
「うん、まあ目が覚めちゃって」
自分の席に座り、用意されていた朝食に手を伸ばす。いつも通りトーストにウインナー、小さなオムレツにサラダという洋風のメニューだ。
ぼーっとトーストを齧っている彼女の脳裏に、昨日の記憶が駆け巡る。
今まで見せたことがない響介の切ない顔、そして最後の意味深な言葉。それら全てが心に引っ掛かり、昨晩は中々寝付けなかった。
「ちあき、いつまで噛んでるの?」
「はっ!」
小春に言われて我に返る。どうやら一口だけ齧ったトーストを、ずっと咀嚼し続けていたようだ。せっかく三匹が早く起こしてくれたのに、時間を無駄にしてしまった。ちあきは慌てて朝食を済ませると、皿を流しに片付けた。
「ごちそうさま!」
「はーい」
振り向き様、卓上に置かれた鮮やかな果物かごが目に入る。三匹の主食は昆虫や果実と聞いたので丁度良いだろう。ちあきは小春の目を盗みリンゴをひとつ取ると、そそくさと自室に引っ込んだ。
「遅くなってごめんね。どうぞ」
ちあきはテーブルにそっとリンゴを置いた。切り分けた方が食べやすいかもしれないが、リンゴを切っている所を見られたら小春に怪しまれてしまう。葛藤するちあきの予想に反し、三匹は大喜びで下りてきた。
「わーい! 美味しそう!」
「いただきます……」
「かたじけない」
何処でそんな言葉を学んだのか。個性豊かな三匹に癒されながら、ちあきは学校に行く準備を始めた。
「「「ごちそうさまでした」」」
彼女が支度を整えた頃、三匹は器用に胸前で羽根を合わせた。机の上には細いリンゴの芯だけが残っている。こう綺麗に平らげられると、持ってきた甲斐もあると言うものだ。
「はい、じゃあ悪いけど、この中に入ってね」
ちあきが鞄の外ポケットを開くと、三匹はひょこひょことその中に収まった。これは、周りに姿を見られないようにするためである。初めは、窮屈な所に収まるよりも、飛んで移動したいだろうと考えていた。しかし、彼らは狭く暗い場所を好む傾向にあるらしい。昨日の帰り道も、三匹はポケットの中で楽しそうにしていた。今後移動するときは、ポケットの中が定位置になることだろう。
「ちあきーっ! 沙月ちゃん来たわよー!」
「はーい、今行く!」
小春の声に促されて鞄を肩に掛けると、ちあきは勢いよく階段を駆け下りた。
沙月と一緒に登校すると、教室には、宙目当ての女子生徒が例の如くわんさか集まっていた。
「今度は何の騒ぎだろう」
「さあ……」
ちあきと沙月は揃って首を捻った。近づいてみると、女子生徒たちは黄色い声を上げながらやんやと語り合っている。
「おはよう、何かあったの?」
沙月が問いかけると、女子生徒の一人が興奮した様子で振り返った。
「あのね、今度うちのサッカー部と、帝国学院が練習試合するんだって!」
「あぁ、サッカー強豪校の? よく約束が取り付けられたね」
感心した様子で言う沙月に、宙は苦笑いを溢した。
「前回の試合の結果が悪かったからって、山本先生が必死でもぎ取って来たんだ」
彼の身体をよく見ると、練習で出来たであろう傷が以前よりも増えていた。顧問である山本教諭の並々ならぬ気合いが窺える。
「藍井くんスタメンなんでしょう? 絶対に見に行くね!」
「あ、ありがとう……」
宙が若干困ったように礼を告げると、女子生徒たちはきゃっきゃと言いながらその場を去って行った。
小さく溜息を吐く宙を見て、沙月はにやりと企むような笑みを浮かべる。
「ちあき、私たちも試合見に行こうよ!」
その言葉を聞いて、宙はバッと顔を跳ね上げた。見開いた目は、何かを期待するように二人を捉えている。
「珍しいね。沙月がサッカー見たいだなんて」
彼の不審な挙動にも気付かず、ちあきはのんびりと答えた。
「たまにはいいじゃない。ねっ?」
沙月は宙に向けて、わざとらしくウインクを飛ばす。彼は頬を微かに赤く染めると、恥ずかしそうにその顔を綻ばせた。
そして試合当日の土曜日。ちあきと沙月は、会場である帝国学院高校を訪れていた。空は快晴、気温も上々。暑すぎもせず寒すぎもせず、試合に打ってつけの天気だ。それはいいのだが―――
「ここ本当に高校?」
「うちの学校の二倍はあるじゃん」
校門前に立った二人は、広がる光景に目を疑った。目の前には百八十度見渡しても足りないほどの敷地、そして充分に手入れされた背の高い校舎が何棟も待ち構えている。噂に聞いてはいたものの、公立の日暮れ高校とは比べ物にならないスケールだ。
「すごいですね! ここでサッカーっていうのをやるんですか?」
鞄のポケットから、朝日がぴょこりと顔を出す。
「そうだよ。朝日はサッカー見たことないの?」
「はい、みんな初めてです! ねっ?」
朝日は浮足立った様子でポケットの中に呼び掛ける。すると、残り二匹もそろりと顔を覗かせた。
「知らないのは朝日だけだよ。お前、食べ物にしか目がないじゃん」
呆れ口調の万里に、朝日は頬を膨らませる。
「そ、そんなことないよ! 食べ物以外だって知ってるもん!」
「まあまあ、二人とも落ち着きなって。せっかくなんだから、楽しまないと損だぞ」
菩薩のような笑みを崩さない大河に、二匹は仏頂面で黙り込んだ。
「じゃあ行くけど、三人とも会場内では大きな声を出しちゃダメだよ。見つかったら大変なことになっちゃうから」
ちあきの言葉に、三匹は口を揃えて返事をした。
二人がソワソワしながら向かうと、ちょうど選手がコートに召集されたところだった。会場は多くの家族連れや少女たちに囲まれており、あちらこちらから声援が飛んでいる。人混みが苦手なちあきは、他の観客と少し距離を置いたベンチに腰を下ろした。
「あっ、宙がいるよ!」
目聡く宙を見つけた沙月は、ちあきに指をさして教えてくる。彼の方も気づいたようで、こちらに向かって小さく手を振ってきた。手を振り返しながら、ちあきは練習相手をちらりと見つめる。背丈は日暮れ高校の部員と変わらない気もするが、何処か気迫が違う。強豪校なだけあって、選手の力量も半端ないのだろう。
「勝てるといいね」
ちあきの弱々しい言葉に、沙月はにっこりと笑って見せる。
「誰かさんの応援があれば、百人力だと思うな」
意味深な発言にちあきが首を捻ったその時、試合開始を告げるホイッスルの音が会場内に響き渡った。
試合も中盤、白熱したままハーフタイムに突入した。帝国学院高校が優勢ではあるが、日暮れ高校もだいぶ健闘しているように思える。ミッドフィルダーの宙は、縦横無尽にフィールド内を駆け回り、大いに活躍していた。そんな中、沙月は腕を組みながら得点版を睨みつけている。
「やっぱ帝国学院は強いね。一筋縄ではいかないか」
「そうだね」
ちあきが言うと、鞄のポケットから朝日が興奮気味に顔を覗かせた。
「さっきのあれ何ですか!? 宙さん、真ん中からボール蹴ってましたよ!」
「朝日、あれはロングシュートって言うんだよ」
隣にいた大河は短い羽根を器用に使い、フィールドを指して説明し始めた。朝日は「すごいすごい!」と鼻をふんふん鳴らしている。
「沙月、私ちょっとトイレに行って来るね」
休憩の間に済ませてこようと、ちあきはベンチから立ち上がる。
「えっ、一人で行くの!?」
「僕が着いて行きますよ」
心配そうにする沙月を見て、万里が仕方なさそうに鞄のポケットから這い出て来た。
「朝日たちは、サッカーの話で忙しいみたいですから」
「ありがとう、万里」
万里を肩に乗せると、ちあきはサッカー場を抜けて帝国学院高校の校舎を目指した。
ここまで必要なのかと思うほど広大な敷地に、ちあきは圧倒されながら歩く。グラウンドは部活の土曜練習に訪れた生徒でいっぱいだったが、少し離れた敷地内はしんと静まり返っていた。
「校舎が遠いなぁ」
「ここの学校の人は、移動だけでも一苦労でしょうね」
鬱蒼とした木々に囲まれた、裏庭と思しき場所を歩いていると、突然彼らの背後を強い風が吹き抜けた。
「きゃっ!」
バタバタと揺れる髪を、慌てて手で押さえる。
生温い風が止み、彼女が目を開けると、そこにはピアスに首輪といった、攻撃的で尖った身なりの若い男が立っていた。
「ようやく一人になったな。手間かけさせやがって」
不機嫌そうに溜息を吐く大口から、鋭い八重歯が覗く。彼女が助けを呼ぼうと口を開くも、それは目にも止まらぬ速さで近づいてきた男に塞がれてしまった。
「だーめ、あいつを呼ばれちゃ困るんだよね」
気味の悪い笑みを向けられ、ちあきの背筋に悪寒が走る。何とかしなければと必死にもがくも、圧倒的な腕力の差には為す術もなかった。
「ちあきさん!」
「あー? 何このちみっこいの」
飛びかかった万里は、男の手で跳ね除けられ、近くの草むらに埋もれてしまった。
「大丈夫、生け捕りって言われてるからな。大人しくしてれば、殺しはしねえよ」
片手で頬を鷲掴みにされたまま、前方へ引っ張られる。現れた項に手刀を叩き込まれ、ちあきは意識を失った。倒れ込んだ体を片腕で受け止めた男は、軽々と担ぎ上げて森の方へと駆け出して行く。
「いったぁ……っ!」
草むらから抜け出した万里は、誰もいない裏庭を見て言葉を失った。
「沙月さん!」
「あれ、どうしたの万里」
大声を上げて戻って来た万里に、沙月は不思議そうな表情を向ける。
「ちあきさんが、突然変な奴に連れていかれちゃったんです!」
「はあっ!?」
思いもよらぬ事態に、沙月の顔は一気に青ざめていく。
「抵抗しようと思ったんですが、俺が投げ飛ばされている間に居なくなっていて……」
万里は取り乱した様子で告げる。普段の少し人を小馬鹿にした態度は、まるで消えてしまっていた。
「どっ、どうすんだよ万里!」
「ごめん……」
朝日が彼以上に慌てて叫んだ。さすがの万里も向ける顔がないようで、無い肩をしゅんと竦めている。
「とにかく早く探さなきゃ!」
三匹の入ったちあきの鞄を掴むと、沙月は全速力で駆け出した。
「……沙月?」
その姿を、宙は不安そうな顔で見つめていた。
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