13 裏切り者の子ども

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13 裏切り者の子ども

「両親は物心つく前に死んでいる。だから、全て他人から聞いた話だ」  ベッドの上で半身を起こした響介は、俯きがちに説明を始めた。 「母親は一族の中心人物だったらしい。統率力があり慕われていたと言うが、ある日、人間の男と駆け落ちして姿を消した。戻ってきたのは数年後。男が病で倒れ、自らも死期を悟った彼女は、二人の子どもである俺を住処に預けて息絶えた」  一瞬言葉が途切れたタイミングで、三人は固唾を飲んだ。佳哉はと言うと、ベッドサイドの椅子に腰かけたまま、暗い顔で押し黙っている。 「血が混ざった影響だろう。俺には一族の中でも桁違いの再生能力が備わっていた。どれほど重傷を負っても死ぬことは無い。そのため不死身と言われている」  どうりで怪我の治りが早いはずだ。納得したちあきの頭に、また一つ疑問が浮かぶ。 「一族から遠ざかっているのはどうして?」 「……俺たちの一族が、二つの派閥に分かれていることは知ってるな」  響介の言葉に、ちあきはこくりと頷く。 「呪われた一族の血を広めないために、人間と番うことは暗黙の了解で禁止されている。それを母親が破ったことで一族に波紋が広がった。そして、母親を擁護する者と非難する者に分かれた。それが全ての始まりだ。俺はその裏切り者の血を引く存在として、一族から嫌悪されている」  つまり、彼が一族から遠ざかっているのではなく、仲間として認めてもらうことが出来ないのだ。その事実に、ちあきの胸はぎゅっと締め付けられた。 「でも、響介が何かした訳じゃないんですよね?」 「えぇ」  佳哉に視線を向けると、彼は切なそうに答えた。 「だから私たちは、そんな酷い奴らこっちから願い下げだ! って言って逃げてきたの」 「そうだったんですね」  ちあきは、そこで重大な事に気がつき顔を上げた。 「そしたら、私の味方をするのはまずいんじゃないですか?」  ただでさえ立場が悪いのだ。自分が一族にとって価値のある存在なのだとしたら、それを匿っている二人の印象は悪くなるばかりではないだろうか。  ちあきの言葉に、佳哉は一瞬下唇を噛んだ。 「いいの。それは私たちが好きでやっていることだから」   弱弱しくはあるが、佳哉はいつも通りの安心するような笑顔を見せた。自分も巻き込まれた立場ではあるが、自分に味方してこれ以上敵が増えてしまうのは心苦しい。気を遣った彼の笑顔でさえ、ちあきの胸に重荷として伸し掛かった。  彼女の顔に陰りが差した時、響介がふいに口を開いた。 「さっきは驚かせて悪かった」 「え?」  彼が素直に謝るなんて珍しい。ちあきは目を見張った。 「身体に武器が刺さったままだと、修復しようとする身体に武器が食い込んでしまう。だから、早く取り除いておきたかったんだ」  なるほど、そういう訳か。突然武器を引き抜いたから、三人と三匹は本当に驚いていた。被虐趣味でもあるのかと疑っていたほどである。正当な理由があって安心した。 「あ、あのう」  そんな中、今までじっと話を聞いていた朝日が、鞄の中からぴょこっと顔を出した。 「わっ、何この子!」 「コウモリ」  響介はケロッとした様子で告げる。佳哉には三匹のことを伝えていなかったらしい。佳哉は片方の眉を吊り上げたまま、ポケットから覗く朝日の姿をまじまじと見つめている。 「えっ、でも、今この子喋ったわよね?」 「あぁ」  混乱する佳哉の前に、続けて二匹が顔を出す。 「きゃあ!」 「驚かせてすみません。実は僕たち……」  大きな声を上げて飛びのいた佳哉に、大河は恭しい態度で口を開いた。  響介に血を貰い不思議な力を得たこと、恩返しのためにここまでやって来たこと。それらを告げると、佳哉は未だ信じられないといった様子で口を押えた。 「そ、そうなのね。わかったわ」  恐らく、その言葉ほどには事態を飲み込めていないだろう。佳哉は動揺した様子を見せたまま、朝日に話の続きをするよう促した。 「えっと、響介さんが不死身なら、血を貰った僕たちも不死身になるんですか?」  不安そうな声に、響介と佳哉は顔を見合わせる。小さく唸りながら考えた後、佳哉は顔を上げた。 「吸血鬼と近い能力を得ている訳だから、たぶんそうなると思うわ」 「やっぱり! どっ、どうしよう!」  佳哉の答えを聞くと、朝日は慌てふためいた様子で大河にしがみ付く。しかし、答えたのは万里だった。 「俺らのじいちゃんは五年くらいで亡くなったんだぞ。普通わかるだろ」 「えーん! 僕数字も苦手なんだよ! そんなのわかるわけないだろ!」 「まあまあ、朝日落ち着いて……」  大河は困ったように笑い、朝日を宥めている。すると、その大声が届いたらしい。薫子が部屋の扉をノックした。 「大丈夫? 何だか騒がしいけど」 「ごめんなさい、何でもないのよ」  佳哉は苦笑しながら答える。 「そう? ならいいんだけど。ちょっと入ってもいいかしら」 「どうぞ」  扉が開くと同時に、三匹は慌ててポケットの中に引っ込んで行く。現れた薫子は、畳まった淡いグレーの布を抱えていた。 「お節介かとは思ったんだけど、ちあきちゃん、お洋服の替えはあるの?」 「いえ、無いです……」  そう答えながら、ちあきは自分の胸元に目をやる。響介の容態が気がかりですっかり忘れていたが、彼の血が服に付いてしまい悲惨なことになっていたのだ。事情を知らない人が見たら、ちあきが怪我をしたのだと間違われそうな見た目である。 「良かったらこれ使って! 一目惚れして買ったんだけど、サイズが合わなくて着ていない服だから」  何て気の利く人なんだろう。ちあきは彼の心遣いに感動しながら服を受け取った。 「ありがとうございます」 「いいえーっ! じゃ、私はこれで!」  薫子は、ニコニコとご機嫌な様子で去って行った。 「よかったわね、ちあき! 早速着替えてきたら?」 「うん、そうしようかな」  沙月に言われ、トイレでも借りて着替えようかと顔を上げたその時。ちあきは、ふと響介の顔に目を止めた。先ほどは話に夢中で気が付かなかったが、随分と顔色が悪いように見える。 「あの、響介。血飲んだ方がいいんじゃない?」  自分でも何を言っているんだろうと思った。しかし、あまりに体調が悪そうで放っておけなかったのだ。  彼女の言葉に、皆は目を丸くした。戸惑った様子で佳哉が口を開く。 「ちあきの方は大丈夫なの? 襲って来た奴に何かされたりとか」 「ただ連れ去られただけなので、大丈夫です」  呆然と口を開けていた佳哉だが、しばらくすると「そう」と言って微笑んだ。 「響介、お言葉に甘えておきなさい。本当に顔色悪いから」 「……そうする」  佳哉は立ち上がると、扉を開けて沙月と宙に目配せをする。 「二人とも、飲み物でもごちそうするわ。お店の方に行きましょうか」 「あ、はい……」 「ありがとうございます」  沙月も宙も、少々困惑した様子で立ち上がる。 「終わったら、ちあきもおいで」 「わかりました」  そう言って、三人と三匹は廊下に向かった。パタンと音を立てて、出入り口が閉まる。最後に出た宙は、扉を背にして複雑そうな表情を浮かべた。  部屋に残されたちあきは、難しい顔で立ち尽くした。血をやると言ったはいいものの、この状況はどうするのが正解だろうか。怪我人の響介を立たせるのは忍びない。かと言って、自分がベッドの上に乗るのも気が引ける。 「くれるんじゃなかったのか」  考え込むちあきに対して、響介は何の気なしに言い捨てる。苛々としながら顔を上げると、彼はベッドの縁に腰掛け両足を床に下ろしていた。こちらから言わずに動いてくれるとは好都合だ。 「はい」  そう言って、彼と膝を突き合わせるようにして前に立つ。しかし、響介はどこか不満げな表情だ。 「それだと飲みづらい」 「じゃあ、どうすればいいのよ」  ちあきが口を尖らせると、響介は彼女の手首を取って自分の方へ引いた。バランスを崩した身体は、引っ張られるまま彼の膝の上に乗る。目と鼻の先に響介の顔があった。今までだって経験していない距離感ではなかったが、密着度が違う。シャツを着ていないためか、彼の体温もいつもより強く感じる。顔に熱が集まり、ちあきは口をパクパクさせた。 「なっ、何して…!?」 「お前がモタモタしてるからだろ」  響介は煩わしそうに言うと、前置きも無く彼女の首元に噛みついた。ちくりと肌を刺す切ない痛みに、小さな涙が浮かぶ。細い電流のようなものが体を駆け巡り、奥から悪寒のようなものを引き連れてやって来た。ゾワゾワとして落ち着かない。  けれど、それらはすべて彼が生きているという何よりの証拠だった。肌に溶け込んでくる熱も、身体の中で絶えず血が流動している感覚も、初めは違和感でしかなかったのに、今は不思議と心地よく感じる。彼が目を覚ましてからも、ずっとこれが夢なんじゃないかという不安が過っていた彼女は、不覚にもホッとしてしまった。  自分の中で、彼は思った以上に大切な存在になっているらしい。  ちあきが自分の変化に戸惑っていると、響介の口が離れて行くのがわかった。首元から唾液が細く糸を引き、この時間を惜しむようにぷつりと切れる。二人の間に何とも言えない空気が流れ、数秒の間、互いが口を閉ざした。 「ちょっとは良くなった?」  顔を背けながら、ちあきは少し投げやりな口調で尋ねる。 「あぁ」  響介の返事は珍しく穏やかで、ちあきは拍子抜けしてしまった。 「じゃあ、私行くから」  彼の膝の上から退いて、薫子に貰った服を手に取り扉に向かう。すると、背後から思いがけない言葉が飛んできた。 「ここで着替えて行けばいいだろ」 「はいっ!?」  この男は何を言っているんだろうか。思わず裏返りそうになりながら、ちあきは彼を咎めるように声を荒げた。 「その恰好で店の中を通るのか」  響介の言葉に、ちあきはハッとなる。トイレに向かうには、必ず客の居るフロアを通らなければならない。しかし、もう夜の営業開始時刻である五時を回っていた。血塗れの服でうろついたら、薫子に迷惑が掛かるだろう。 「でも……」  着替えている所を見られるのは嫌だ。ちあきは疑るような視線を響介に向ける。 「そんな貧相な身体に興味はない。覗かないから安心しろ」  平然と言ってのけると、響介は壁の方にぷいっと顔を向け腕組みをした。 この男にデリカシーという言葉を教え込みたい。  歯を噛み締めて不満いっぱいに睨みつけてみるも、目が合わないため全く意味をなさなかった。怒っていることさえ馬鹿らしい。ちあきは投げやりな気持ちで脱力した。 「絶対にこっち見ないでよ」 「二度も言わせるな。嘘は吐かない」  確かに今まで嘘を吐かれたことはない。しかし、同時にこの男は本当のことも話さないのだ。今日のように聞かなければ答えないままで、大事なことをひた隠しにしている。まるで気に食わない。  苛々としながら服を脱ぐと、ちあきは近くにあった低いタンスの上に汚れた服を置いた。そして、薫子がくれた服を開いてみる。現れたのはパフスリーブが可愛い薄手のニットで、ちあきが滅多に着ないオフショルダータイプだった。しかも、首の後ろでリボンを結ぶホルターネックである。  想定外のデザインに、ちあきは困惑した。彼女はスポーツも不得手であれば、体も固い。エプロンをはじめとする、後ろでリボンを結ぶ構造の服は総じて苦手だ。  けれど、何とかして着るしかない。ちあきはどうにでもなれと服を被ると、拙い手つきで何とかリボンを結んだ。 「終わったから、もういいよ」  ちあきが汚れた方の服を畳みながら言うと、響介は彼女の方に振り返った。不躾な視線が彼女に注がれる。  似合わないのは重々承知だ。何か言いたげなその目に我慢できなくなり、ちあきは服を抱えて響介を睨みつけた。 「それじゃ」 「待った」  足を踏み出した彼女を追って、響介はゆっくりとベッドから下りる。ちあきは何の用だと言わんばかりに、不機嫌な顔を向けた。 「リボンが解けてる」  うなじに手を伸ばすと、響介はリボンの端をゆっくりと引っ張った。触れるか触れないかの距離で、彼の指先が器用に動いている。 「ありがとう……」  終わるのを待っている間、ちあきは以前彼とした会話の一つを思い出した。  「ねえ、前に自分の名前が嫌いだって言ってたでしょ? それって両親のことを恨んでいるから?」  蝶々結びを終えた彼の手が、リボンを握ったままぴたりと止まる。 「あの名前は、一族が俺につけたものだ」  リボンから手が離れたのが分かり、ちあきは後ろを振り返る。何処となく覇気のない、悲しげな瞳が目を引いた。 「奴らは掟を破った罰として家名を取り上げ、そして今の名前を与えた。俺は本当の名も、両親のことも覚えていない。何も知らない不完全な存在。そういう意味を込めて、不知夜と呼ばれている。だから、あまり好きじゃない」  ちあきは言葉を返すことが出来なかった。同情を口にするのは簡単だ。けれど、平和な生活を送って来た自分が、本当の意味で彼の悲しみを理解出来る訳がない。  その時、戸惑う彼女の頭に一つの仮説が浮かんだ。 「まさか、探しても何も出てこないって言ってたのは……」  以前彼が口にしたことと、両親が秘密裏に育てたという事実。それらを合わせて出る答えは一つ。恐らく、彼には戸籍が無いのだ。 「佳哉のおかげで苦労したことは無い。気にするな」  響介は、視線を逸らしながら言った。答えを濁しているものの、その口ぶりは肯定で間違いないだろう。  唖然と立ち尽くしている彼女を見て、響介はいつもの澄ました表情に戻る。 「行かないのか。下で佳哉たちが待ってる」 「あ、うん」  響介は何食わぬ顔でベッドに戻って行く。ちあきは困惑しながらも、皆のいる下階のホールへと降りて行った。 「要様、申し訳ございません。今回は失敗に終わりました」  同時刻、山奥にある洋館の一室にて。巻き髪の女は、銀縁眼鏡の男に対し、申し訳なさそうに告げた。 「気に病むことはありませんよ。一度で片付く容易い案件でないことは、私が一番知っていますから」  その気遣うような言葉を聞いても、女は肩身狭そうに眉を垂れている。 「それよりも、彼の様子はどうでしたか?」  女がパッと顔を上げる。名前を出さなかったものの、彼女は誰のことかを察した様子で答えた。 「そうですね、少し気は立っていたようですが、問題はないと思います」 「なら良かった。彼が暴れ出しても、私たちじゃ押さえられませんからね」  男は背後の大きな窓に目を向けると、そこから臨む屋敷の正面を見ながら言った。 「本当に不思議です。あの一家は、どうやって彼を表に出さないでいられたんでしょう」 「私にもさっぱりわかりません。ただ、あの家は好戦的な者ばかりでしたから、何か企み事をしていたのかもしれませんね」  彼女の言葉に、男はわずかに皮肉っぽい笑みを浮かべる。 「最終兵器と言ったところですか」 「恐らく。今となっては知る由もありませんが」 「そうですね」  男は淡々と返事をすると、彼女に背を向けたまま告げる。 「では、引き続きお願いします。同胞(なかま)さえ傷つけなければ、やり方は自由で構いません」 「承知致しました」  その冷静な指示に、女は深く頭を垂れた。
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