14 対抗意識

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14 対抗意識

「三人とも、気を付けて帰るのよ」 「はい、ありがとうございました」  店先で佳哉に見送られて、三人はバーを後にした。  並んで家に向かいながら、ちあきは響介の言葉を反芻する。彼が吸血鬼と人間の混血であること。そして、一族の中でも珍しい不死の肉体を持っていること。それらは全て親のせいで生み出された状況なのに、彼が周りから疎んじられていることが気の毒に思えてならなかった。  何か、私に出来ることはないかな―――。  フロアで佳哉たちと談笑している間も考え込んでいたが、全て堂々巡りに終わってしまった。情けないことこの上無い。 「ちあき、どうしたの? 難しい顔して」  二人の間で俯いていると、右隣にいる沙月が彼女の顔を覗き込んだ。 「さっきの話。可哀そうだなって」 「あぁ、あれねえ」  沙月も同じようなことを思っていたようだ。ちあきの言葉を聞くと、眉を下げて哀れむような表情を見せた。 「悪いのは響介の両親でしょ? 本人は何もしていないのに、あんまりじゃない?」  同意を促すような視線を宙に投げかける。すると、彼は何か言いたげな目つきでちあきを見据えた。しかし、すぐに決まりが悪そうな顔に変わり、ふいっと逸らされる。 「ちあきの気にすることじゃないよ」 「……宙くん?」  こんな素っ気ない物言いをするなんて珍しい。ちあきは目をぱちくりと瞬かせた。  何だか非情に聞こえるが、彼の言っていることは全くの正論である。怪しい一族の事情など、本来自分たちが首を突っ込むことではない。そうわかってはいても、無関心を決め込むことは出来なかった。 「どうしたの、機嫌悪い?」 「悪くない」  不思議そうに見つめてくる沙月に対し、宙はいじけたように答えた。そして二人の視線から逃れるかの如く、半歩前に進み出る。こういう時の彼は放っておくのが一番だ。  微かな静電気が放たれているような空気の中、三人は足を進めた。  あれは単なる嫉妬なのかもしれない。宙は自室でがっくりと肩を落とした。 あの男が現れてからと言うもの、ちあきが彼に関心を寄せているのは明白だった。  真面目で正義感が強い彼女のことだ。きっと、一度足を踏み入れたことに関しては、自分が納得するまで付き合おうとするだろう。そんな姿もかっこいいとは思うけれど、彼女の身に何かが起こってからでは遅い。今からでも思い止まってくれればいいのだけど。  彼女の身を案ずる言葉を並べ立ててみるも、これが建前であることは本人がよく知っていた。  本当は、自分が彼女を守れなくて悔しいだけだ。自分はただの平凡な男で、超人めいた力を持つ相手には到底適わない。それでも、ちあきがあの男の手によって守られることは、どうしても我慢ならなかった。 「嫌な奴だなあ、俺って」  悶々とした気持ちを押し潰すように、宙は脱力してベッドに突っ伏した。  それからというもの、まるで響介から事情を聞いたことが合図だったかのように、三人の周りに異様な気配が流れ始めた。彼らがギスギスしている訳ではない。今までは人気のない場所や、暗がりに行かなければ感じなかったような不審な者の視線が、そこかしこに見受けられるようになったのだ。  一番に気づいたのは宙だった。今までは同性の友人と行動を共にしていた彼だったが、ちあきたちの身を案じて、可能な限り二人のそばにいるようになった。 「また誰か見てる」  昼休み。廊下で立ち話をしている最中、宙は校門前を見つめながら言った。二人はつられてそちらに視線を向ける。すると、人影はすぐさま門に身を隠してしまった。顔にわずかな不快感を滲ませながら、二人はまた校内に視線を戻す。 「宙くん。次の体育、男子はグラウンドでしょ? もう準備した方が良いんじゃない?」 「いや、そうだけど……」  宙はチラチラとちあきに目をやった。ここ最近、彼女と離れるたびに強い不安を感じる。自分がいない間に何かがあったらどうしよう、と気が気じゃない。  そんな落ち着き無い彼を怪訝な表情で見ていたちあきだったが、突然名案とばかりに明るい面持ちで口を開いた。 「ねえ、二人にも万里たちに付いてもらえば?」 「えっ」  予想だにしなかった提案に、宙は目を丸くする。 「前も言ったでしょ? 私が狙いでも、一緒に居る二人だって危ないんだから。一人に一匹ずつ付いてもらった方が安心だよ」  気遣いは非常に嬉しいが、あの表情は決して自分の身を心配していた訳ではない。宙は思わず呆気に取られてしまった。  横で話を聞いていた沙月など、口を押えながら可笑しそうに噴き出している。こいつ、わかってて面白がってるな。 「沙月、何で笑うのよ」 「いや、気にしないで! 万里たちに付いてもらうの良いと思うよ。私は賛成!」  沙月は笑いを堪えながら、宙にも目配せをする。 「そういうことじゃないんだけど……」 「ん? 何か言った?」 「何でもない」  彼の不満たっぷりな呟きは、ちあきの耳には届かなかったようだ。宙は諦めて彼女の提案を了承した。 「宙くん。心配なら、響介に護衛に付いてもらう? 一人で帰るの心細いでしょ?」 「いい! それはいい!」  普段は気が遣えるのに、何故今日に限ってこんなに鈍感なんだろう。  悪いが自分にだって男の矜持(プライド)というものがある。追い討ちの提案をバッサリ断ると、ちあきは少しだけ悄気(しょげ)た様子になってしまった。  上手く行かない歯痒さに、宙は手の平で額を押さえ重い溜息を落とす。 「とりあえず、遠回りになっても人通りの多い道で帰ってよ」  そう二人に言いつけ、宙は教室に足を向けた。 「変なの」  ちあきは彼の背中を見送りながら不思議そうに呟く。その後ろで、沙月は声を押し殺して笑っていた。  一週間ほど経ち、頃は十月に突入したある日の放課後。宙が日直の用事から帰ってくると、生徒がいなくなった教室でちあきと沙月が話をしていた。衣替えが済み長袖の制服になったことで、秋らしい雰囲気が増している。 「何の話してるの?」 「土日に勉強会しようって話!」  声を掛けると、沙月は助かったと言わんばかりに安堵した様子で答えた。 「沙月さんってば、全然勉強してないんですよう」 「こらっ、朝日!」  それも束の間。胸ポケットから顔を覗かせた朝日を、沙月は決まり悪そうに咎めた。 「朝日も人のこと言えないけどな」 「まあまあ、そんな厳しいこと言わなくても」  宙の胸ポケットから万里、ちあきの胸ポケットから大河が顔を出した。各々の胸ポケットに入っている相手が、以前言及された警護の割り当てである。 「今回は私の家でやる? それとも沙月の家?」  ちあきに尋ねられ、沙月は顔の前で両手を合わせた。 「悪いんだけど私の家でお願い! 留守を預かることになってるから」 「いいよ、お昼過ぎに行けばいい?」 「うん!」  話が決まったところで、宙は何時になく緊張した面持ちで口を開いた。 「あの、俺も行きたい!」  距離感に合わない少し大きめの声に、二人は驚いた様子で顔を見合わせた。胸ポケットの中の三匹も、くりくりの目をさらに見開いている。 「珍しいね。あんた、勉強は一人じゃないと集中できないからって毎回断ってたのに」  沙月の言葉に、宙の顔は強張る。 「いや、その。今回の範囲難しいから」  彼の視線が彷徨っているのを見て、沙月はニタニタと企むような笑いを浮かべた。 「ま、いいけど!」  宙の顔に熱が集まる。恐らく沙月には自分の思惑など筒抜けなのだろう。しかし、この程度で挫けてはいられない。彼は意を決してちあきに振り返った。 「ちあき、その日家に寄るから一緒に行こう」 「えっ、何か家に用事だった?」  ちあきが不思議に思うのも当然だ。彼女の家を経由して沙月の家に向かうと、ものすごく遠回りになる。宙は言葉を探して狼狽した。 「ああ、うん。ちょっとね。親から頼まれごとがあって」  心配だから迎えに行きたいなんて、口が裂けても言えない。 「わかった。じゃあ宙くんが来てから行こうか」  ちあきの返事に、宙は安堵の溜息を落とす。こんな下手な嘘に騙されるなんて、逆に不安になってきた。  ちあきのことを案じていると、ふと彼の視界に沙月のにやけ顔が目に入った。キツく睨みつけるも、彼女には全く効いていないようだ。ちあきには見えない所で親指を立てられ、宙はどうにでもなれと肩を落とした。  そして週末。昼過ぎになって、宙はちあきの家を訪れた。 「はーい! 今行く!」  インターホンの音に続いてちあきの声が響くと、十秒もしないうちに玄関の扉が開いた。膝丈ほどのパーカーワンピースにタイツ、そしてスニーカーという、気取らない恰好のちあきが顔を出す。 「お待たせ。家に用事があるんだったよね?」 「あ、それはもういいんだ。大丈夫になったから!」  宙は慌てて手を振る。身から出た錆とはこのことだ。 「そう? じゃあ行こっか」  宙はちあきと並んで家を出発した。 「二人とも、もう顔出しても大丈夫だよ」  ちあきがそう言うと、大河と万里は鞄の中から顔を出した。 「ちあきさん。沙月さんの家は近いんですか?」  大河は相も変わらずの細目で彼女に問いかける。 「うん、すぐそこだよ」  沙月の家は徒歩十分ほどで着く距離にある。宙の家からなら目と鼻の先だ。 「留守番してなきゃいけないのはわかりますけど、教えてくれる人に来てもらうのってどうなんですかね?」  万里が不満そうに呟く。いつものことだが、彼の口調にはどことなく棘があった。しかし、これも彼の律儀な性格ゆえである。 「万里は真面目だね」  宙は優しく万里の頭を撫でた。 「別に、普通ですよ」  眉根を寄せながらも、万里の頬には赤みが差しているように見えた。  そうして二人と二匹で話しながら歩いていると、突然背後から犬の咆哮が聞こえた。そう遠くない場所であることに気づき、足を止めて二人揃って振り返る。  すると、十メートルほど離れた所に一匹のドーベルマンがいた。何故か首輪に紐は付いておらず、飼い主らしき人間も見当たらない。鋭い歯が剥き出しの口からは荒い息が漏れ、低い唸り声を上げている。両の目は激しく血走り、非常に興奮していることが見て取れた。 「何処から来たんだろう……?」  宙は首を傾げた。まずもって、この周辺にドーベルマンを飼っている家はなかったはずだ。  二人が混乱した様子で見つめていると、ドーベルマンはゆっくりとにじり寄って来た。 「ねえ、これまずいんじゃ……」  ちあきが呟いた途端、ドーベルマンは一際大きく吠え、二人に向かって突進してきた。 「うわっ、何で!?」  ちあきと宙は、弾かれるように駆け出した。しばらく走れば撒けるだろうと、二人は住宅街の中を猛スピードで駆け抜ける。  沙月の家の前を通り過ぎ、その先にある小学校の前も通り過ぎ、気が付けば滅多に来ない町の西端の方まで来てしまった。何度か他の通行人ともすれ違ったが彼らの方には目もくれず、ドーベルマンはずっと二人を付け回している。  ここまで犬怖さで驚くべきスピードを出していた二人だが、そろそろ限界が近づいてきていた。それでも、ぜひゅうぜひゅうと忙しなく酸素を吸いながら、必死に足を動かす。そして、人気のない森沿いの道に出た時だった。 「きゃっ!」  半ば足を引きずりながら走っていたちあきは、足元にある石に引っ掛かり躓いてしまった。投げ出された身体はアスファルトを転がり、近くの壁に追突する。その拍子に頭をぶつけ、ちあきはくたりと地面に倒れた。 「ちあき、大丈夫っ!?」  宙は慌ててちあきのもとに駆け寄った。気絶してしまったようだが、呼吸はしっかりしているし、頭にも大きな怪我はない。彼女の鞄の中にいた大河も同じように気絶してしまっているが、ひとまずは大丈夫そうである。  安心したのも束の間、背後から再び地鳴りのような唸り声が飛ぶ。恐る恐る振り向くと、威嚇してくるドーベルマンの横にひらりと一人の男が現れた。 「よくやったな」  宙はその男に見覚えがあった。ちあきを誘拐し、響介を一突きしたあの若い男だ。  彼は刃物を差し向けた時と同じような笑みで、ドーベルマンの頭を撫でている。 「あれぇ? 君、この間ボールぶつけてきた嫌な奴じゃん」  男は宙の存在に気づくと、挑発的な笑みを浮かべる。 「あはっ、今日は丸腰なんだ? 余裕じゃん」  何が可笑しいのか、男は歯を見せて小さく喉を鳴らす。宙は彼を睨みつけながら、ちあきを庇うように前に立った。震える唇で、男に問いかける。 「何の用だよ」 「はあ? そんなの決まってんじゃん。その女の中身。それ以外に何があるんだよ」  まるで宙を馬鹿にするかのように、男は大仰に告げる。 「帰れ!」 「やーだね。そういう仕事だもん」  神経を逆撫でされるような物言いに、宙は拳を強く握る。男はまるで堪えておらず、口笛まで吹き始める始末だ。  男から感じる畏怖に抗うよう睨みつけていると、鞄の中にいる万里が口を開いた。 「宙さん! 響介さんを呼びましょう!」  小声ではあるが、彼には確実に届いていた。それでも、宙は首を縦に振る訳にはいかなかった。ここで奴を呼ぶのは、負けたような気がして悔しい。  万里は焦った様子で何度も宙に呼び掛けてくる。しかし――――  ダメだ、何がなんでもあいつは呼びたくない。  宙は肩掛けしていたウエストバッグに万里を押し込むと、彼が潰れないよう、ちあきたちの隣に投げ置いた。 「ねえ、もういい? 俺さっさと帰りたいんだけど」  男は飽きたと言わんばかりに頭を掻く。 「お前なんかに、ちあきは渡さない!」  思いがけず、強気な言葉が口から衝いて出る。男は一瞬面食らった顔をしたが、すぐににやりと口元を歪めた。 「そこまで言うなら、ちょっとだけ相手してやるよ。俺、雑魚には興味ないんだけどね」  言い終えぬうちに、男は拳を振りかぶる。激しい風に吹かれて、周りの木々が一層葉擦れの音を大きくした。
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