19 警告

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19 警告

「ひっ、ひぃ……!」  田中はしゃくり上げるような呼吸を繰り返し、森の中を駆け回っていた。背後からは、どす黒い空気を纏った女が、猛スピードで追いかけて来ている。ポケットからスマホが落ちてしまったが、今の彼に構っている余裕などない。  彼女に掴まったら、きっと殺人の証拠をもみ消すために殺されてしまうだろう。こんなことなら、後輩の言うことを聞いておくんだった。  田中は涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしながら、後輩にSOSが届いていることを願って走り続けた。 「あれっ? 今、沙月さんたちの声が聞こえませんでしたか?」 「えっ?」  自室で明日の準備をしていたちあきは、大河の言葉を聞いて手を止めた。言われてみれば、家の外から話し声が聞こえるような気がする。彼女がカーテンを捲って窓から外を見下ろすと、正面の塀の前には彼の言う通り幼馴染二人の姿があった。  景色を遮る窓を開け、二人の様子がはっきりと目に飛び込む。耳にスマホを押し当てている沙月を筆頭に、宙も朝日も万里も、全員が神妙な面持ちで顔を突き合わせている。 「ちょっと、二人とも何してるの?」 「ちあき! どうしよう、部長が……っ!」  彼女の声にハッとした沙月は、取り乱した様子で顔を上げた。室内から漏れる明かりに照らされた顔は、すっかりと青ざめている。 「今行く! そこで待ってて!」  只ならぬ事態だと察したちあきは、大河を引き連れて彼らと合流した。 「状況を説明してくれる?」 「実は……」  パニックになって話にならない沙月に代わり、宙が事の経緯を語ってくれた。  突然、田中から届いた意味深なメッセージ。それを見て嫌な予感が過った二人は、先ほどからしつこく連絡を繰り返している。しかし、返事もなければ既読も付かない。電話に至っては、出られないというアナウンスが返って来るだけらしい。 「やっぱり、あの人調査に出かけちゃったんじゃ……」 「沙月、ちょっと落ち着いて。まだそうと決まった訳じゃないでしょ」 「そうそう。ほら、マナーモードになってるだけかもしれないですよ?」 「それは絶対ない!」  大河の言葉に、沙月が食い気味に言う。  田中はジャーナリストを目指しているらしく、何時でも連絡がつくマメ性格だと言う。そんな彼から何も応答が無いなんて、確かにおかしい。調査に出かけてしまったと考えるのが妥当だろう。  死体が出ていると言うのに、よく首を突っ込んだな。話を聞き終えると、ちあきは内心田中に呆れてしまった。しかし、今はそうも言っていられない。 「そうだ!」  ちあきは難しい考えた末に、パッと顔を上げた。 「響介なら見つけられるかもしれないよ。どこか場所を変えて呼び出そう!」  その一声で、彼らは最寄りの公園に向かった。静まり返った住宅街に響く足音が、緊張を加速させていく。 「よし、大丈夫そうね」  到着した公園に人がいないことを確認して、ちあきは大声で響介を呼びつける。すると、一陣の風とともに、目的の人物が公園に降り立った。 「どうした」 「お願い。力を貸して欲しいの」  行方不明になっている田中をどうにか見つけられないだろうか。その旨を説明すると、響介は沙月に向き直った。 「そいつの匂いが分かる物はないか?」 「えっ、そんなものないですよ!」  沙月はぎゅっとスマホを握りしめながら、困惑した様子で答える。 「じゃあ、そいつの声は分かるか?」 「声?」 「助けを呼ぶために、叫んでいる可能性もある」  代替案を提示され、沙月は長考の姿勢に入る。しかし、すぐにハッとなり、彼女はスマホを操作し始めた。 「確か、部長とした電話の音声が残ってた気がする!」  沙月はデータを呼び起こすと、響介にスマホの画面を向けて音声記録を再生した。内容は、次に調べるスクープのことについてだった。 「この少し甲高い声の男だな?」 「そう、それです!」  気持ちが落ち着いてきたのか、沙月は普段の明るい物言いで返す。 「よくこんなのがあったね」  ちあきが感心して呟くと、沙月は安心して緊張が解けたらしく、力無い笑いを溢した。  専ら個人活動の多い新聞部だが、田中による本格派の指導が入るため、記事に関する通話は可能な限り録音しているのだそうだ。 「こんなところで役に立つなんて……」  沙月がそう言っている間にも、響介は公園の中央に進み出て、静かに目を閉じた。周囲に神経を張り巡らせているようだ。  思わず三人と三匹も息を詰める。辺りからは薄ら寒い風の音しか聞こえなかったが、どうやら彼にはわかったらしい。数秒すると、確信めいた表情で北の方角に目をやった。 「わかったの?」 「あぁ。町境の森にいるみたいだ」  彼らに帰宅するように告げると、響介は返事も聞かず森へ向かって行った。 「えっ、ちょっと待っ……」  沙月が引き止めた時、すでに彼の姿は遠くへ消えていた。  居ても立ってもいられないのだろう。有無を言わさず置いていかれ、沙月は不満そうに顔をしかめた。  同時刻。懸命に森を走っていた田中は、地面に這うように生えている木の根に、足を引っかけてしまった。 「痛っ!」  枯れ葉の中に倒れ伏しながらも、彼は逃げようと両手足で藻掻き続ける。  ようやく身を起こし時、彼は鋭い悲鳴を上げた。一メートルもない距離に女が立っていたのだ。田中は木を背にして追い詰められてしまった。女は前に垂れた長い髪の毛の隙間から、カッと目を見開いて彼を凝視している。 「貴方、さっき私がしていたこと見たわよね?」 「ひっ、いえ! 何も、何も見てませんっ!」  森へ入った時の威勢は何処へ行ったのだろうか。田中はこの状況から逃れようと、小刻みに震えながら必死に首を横に振る。 「そんなに怖がらないで。私、人殺しがしたい訳じゃないのよ。だけど、自分を守るためには仕方ないじゃない……」  女は田中の首に沿って、つつっと爪が軽く引っ掛かるように、その肌をなぞる。 「うーん、あまり美味しくはなさそう。私結構美食家なのよ。良い物を持っていたら許そうかと思ったけど……」  頭から爪先まで、女は品定めをするように彼をじっと見つめる。 「ごめんね。貴方に価値はないみたい。ちゃんと人目に付かない所を選んだのに。こんな所に来た貴方が悪いのよ?」  女は微笑むと、懐からナイフを取り出した。そして、彼の肩を押さえつけて勢いよく振りかぶる。迫りくる刃に怯え、田中は目を固く瞑った。 「そこまでだ」  ナイフを握った手が、女の頭の脇で引っ掛かったように止まる。慣れた手捌きでナイフを奪われ、女は背後を振り返った。 「貴方は……っ!」  月明かりに照らされて、相手の姿が露わになる。それは一族の間で異端とされる、混血の男だった。 「無関係の人間を殺そうとするなんて、どういうつもりだ」  響介の問いに、女はわなわなと口を震わせる。 「最初から殺すつもりじゃなかったわ! この人が悪いのよ!」  女は掴まれた手を振り払い、田中を指さす。彼は木の幹に力無く身体を預けていた。あまりの恐怖に失神してしまったらしい。  彼を一瞥した後、響介は冷静に言葉を続けた。 「あそこに転がっている死体も、お前の仕業だな?」 「だったら何? 私は貴方みたいに強くないの。だから、こうやって自分の身を守るしかなかったのよ!」  女は金切り声を上げると、響介から距離を取って身構えた。 「貴方も、何かを企んでいるんでしょう!?」 「……は?」  唖然とする響介に対して、女は尚も錯乱気味に話を続ける。 「知ってるんだから、例の少女を匿っていること! もうやめてよ、私たちの暮らしを壊すのは!」 「何を言って……」 「いやっ、こっちに来ないで!」  女は足元に散らばる木の葉を掴むと、響介に向かって乱雑に投げつけた。彼がそれらを払っているうちに、女は森の奥へと逃げて行く。彼女の消えた方向を、響介は複雑な表情で見つめた。  公園にいる三人のもとに、夜空から一点の影が近づいてきた。次第に響介だとわかり、ふらふらと歩を進める。彼の肩には田中が担ぎ上げられていた。 「部長!」  沙月は感極まった様子で駆け出していく。響介は公園に降り立つと、田中をそっとベンチに横たえた。駆け寄って来た三人をじろりと睨みつける。 「家に帰れと言ったはずだが」 「いや、そうなんだけど。あ、ほら! 響介だけじゃ先輩の家が分からないと思って!」  ちあきは理由を付けて、公園で待っていたことを正当化しようと試みる。三人を止められなかったことに責任を感じているのか、それぞれの肩に乗る白コウモリたちも、機嫌を取るようにニコニコと笑顔を見せている。 「電話をすれば済む話だろう。今度からは気を付けろよ」  響介は呆れたように溜息を吐いた。 「……ごめんなさい」  彼女が決まり悪そうに返事をした直後、ベンチに横たわっている田中が小さな呻き声を上げた。 「あれ、僕は……?」 「部長!」  田中が目を覚ましたようだ。彼はきょろきょろと辺りを見回しながら、ゆっくりと身体を起こしている。 「大丈夫ですか?」 「あぁ、大丈夫だが……。変だな。僕はさっきまで森まで調査に行っていた気が……」  自分が公園にいることを疑問に思ったのか、彼は不思議そうに首を傾げる。 「いやだなあ、きっと夢見てたんですよ! 私たちが通りがかったら、こんな所で寝ていて本当にびっくりしました!」  何とかごまかそうとしているのだろう。沙月は下手な演技で必死に畳み掛けている。 「そう、だったかな……? 何だか随分とリアルで恐ろしい夢だったような……」 「そりゃ夜風に吹かれてたら怖い夢も見ますって! ささっ、風邪を引かないうちに帰りましょう!」  強引に納得させると、沙月は彼の背中を押して帰り道を急かした。  近くにある田中の家まで全員で送った後、ちあきたちも帰路に着いた。またもや響介が送って行ってくれるらしい。彼を追って歩いていると、沙月が「あの」と片手を上げた。 「聞きたいことがあるんですけど」 「何だ」  言うことを聞かずに公園に残っていたからか、響介はいつも以上に不機嫌な様子で答えた。しかし、沙月は臆する様子もなく話を続ける。 「最近この辺で殺人事件が起こってること、知ってますか? 部長はその死体が消えたことを知って調査に出たんですけど、まさかこの死体って……」  沙月の言葉に、響介はぴたりと足を止める。 「残念ながら一族の人間だ。恐らく研究員が回収していったんだろう。俺たちの身体を調べたら普通じゃないことがわかる。そうすれば、研究の内容が露呈する可能性が出てくるからな」 「そんな……っ!」  自分たちの過ちを隠すため、罪を上塗りして逃げ続けるなんて最低だ。ちあきは研究員たちの無責任な行為に怒りを感じ、拳を強く握った。 「それと。警察が回収する時に偶然死体を見たが、首にあった傷は同族の噛み痕だった」 「えっ!? それってつまり……」  ちあきたちは、恐る恐る次の言葉を待つ。 「一族間の争いが本格的になってきた、ということだ」  予想が外れていればいいと思った。想像しうる最悪の事態が現実となり、三人の顔からは徐々に血の気が引いて行く。 「さっきも言ったが、今まで以上に周りに気を付けろよ。これからは何が起こっても不思議じゃない」  ちあきは眩暈のような症状を感じながら、二人とともに身を固くして頷いた。  数日後。三人は田中の口から、あのニュースを再び告げられることとなる。森で見つかった死体が消え去ったことを。  鬱蒼とした木々に囲まれた砂利道を、黒のバンが走っていた。畳まれた後部座席の上には、一間ほどの大きさの、細長い包みが乗っかっている。 「ったく、毎度のことながら嫌になるぜ」  ガタガタと小刻みに揺れる中、衛利彦は気怠そうにハンドルを握っていた。 「昔よりは減ったんだから、文句言わないの」 「数が減ろうが、嫌なもんは嫌なんだよ!」  助手席に座る鷹司に窘められて、彼はクワっと口を開く。 「腐りかけの仏さんを運ぶなんて、仕事じゃなきゃやらねえっつーの。あーっ、早く帰って筋トレしてえ!」  苛立ちを露わにする彼を、鷹司が冷めた目で見つめる。 「それ以上ごつくなってどうするの」 「うっせえ! 筋肉はいくらあっても無駄にはなんねえの!」   唾が飛ぶほどの怒号に、鷹司はサッと耳を塞いだ。  やんややんやと騒ぎながら、バンは霧の立ち込める森の最深部へと進んでいく。  しばらくすると、突然視界を遮る木々が消えて、開けた場所に出た。そこには幽霊が出てきそうな、大きく煤けた洋館がそびえ建っていた。堅牢な二つの棟が、細い渡り廊下で繋がっている歪なH型の建物だ。その脇には、彼らの研究所である、白塗りの小さなコンクリートの平屋も覗いている。  平屋の前にバンを横づけすると、鷹司は早々に外へ出た。そして、平屋の脇を抜け、建物の裏手に向かって歩き出す。衛利彦は悪臭に顔をしかめながら、包みを抱え上げて彼の後を追った。  百メートルほど歩いた先。洋館から少し離れた森の一角に、背の高い、レンガ造りの花壇のようなものが待ち構えていた。彼らの腰ほどまである四角い囲いには、上開きの鉄扉が付いており、囲いの付け根からは太く長い煙突が伸びている。  鷹司は鼻と口を白衣の袖で覆うと、その扉を開けた。中から細かな灰が舞い上がり、思わず目を閉じる。空いている方の手で灰を払うと、彼は近くに積み上げられていた薪と藁を取ってきて、その囲いの底に敷いた。衛利彦は何も言わず、その上に包みを横たえる。 「じゃ、火点けるね」 「あぁ」  鷹司は、いつの間にか用意していたマッチで、藁の隅っこに火を点けた。  小さな火が、ゆっくりと下へ燃え移る。それが大きくなるのを見届けると、彼らは憂い顔で鉄扉を閉めた。  同時刻。要の執務室に、珍しい来客があった。  ギラギラと光るピアスに、所謂パンク系の恰好。街で会ったら絶対嫌煙するタイプの身なりの男だ。しかし、これでも自分の協力者である。  何の用だろうと構えていると、彼は前置きも無く話題を切り出した。 「遂に、穏健派も動き出したらしいですよ」 「……そうですか」  彼の言葉を聞いて、要は内心狼狽えた。しかし、平静を装って眼鏡の縁を押し上げる。 「例の少女はどうなりましたか?」 「あぁ、全然ダメ。あの男が邪魔で捕まんないですよ」  男の口ぶりは残念そうだが、その表情は何処か楽しそうに歪んでいる。 「要様、ここは先にあいつをどうにかしませんか?」  彼の言葉に、要の動きが止まる。 「最近、他の奴らも噂してるんですよ。あの男が何か企んでるんじゃないかって。しかも、女のそばにいるのは奴一人じゃない。例の、男か女かわからん半端者も一緒に行動してるし、皆怯えてました。あいつらが何かをやらかす前に、捕まえた方が良いんじゃないですか?」  その言葉は、代々の当主と比べて平和主義者である彼を大いに苦しめた。  誰があの少女の力を手に入れても、五百年守り続けてきたものは崩れ去る。罪の露呈か、一族の崩壊か。放置した末に訪れる未来は、誰のことも幸せにはしない。  彼の意見は尤もだが、要はすぐに踏み切ることが出来なかった。可能な限り、同胞は傷つけたくない。ましてや、まだ何もしていない者を捕まえることは論外だ。  それに、要は彼がそんなことをするような人物にも思えなかった。幼い頃に見たあの優しい金眼、唯一の友人と遊んでいる時の穏やかな雰囲気。遠目から見ていた姿は、まるで噂と反比例していたのだ。 「……半端者、か」 「要様?」  男は訝しげに聞き返した。思わず漏れた呟きは、彼の耳に届かなかったようだ。要は安堵して顔を上げる。 「いえ何でも。その件に関しては、しばらく様子を見てみましょう。乱舞(らんぶ)くん、貴方も動かなくていいですよ」 「……了解しました」  男はつまらなそうな顔をすると、見るからに形だけの返事をして、部屋を後にした。
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