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20 街歩き
深い緑の木々に囲まれた、吸血鬼たちの住処。その片隅にある焼き場で、衛利彦と鷹司は立ち尽くしていた。
灰色の煙が、ゆっくりと曇天に溶けて行く。その様を二人は放心したように見つめていたが、しばらくして衛利彦は左の手の平に反対の拳を打ち付けた。
「うっし、見張りじゃんけんしようぜ!」
煉瓦の中で燃やしているとはいえ、万が一のことを考えると、この場を無人にする訳にはいかない。火葬が終わるまでの間、二交代制で様子を見守るのが決まりとなっていた。
衛利彦が、日に焼けたごつごつした拳を鷹司に差し向ける。すると、彼は答える代わりに、陶器のように白く小さな握り拳を突き合わせた。
「最初はグー! じゃんけん、ほいっ!」
うるさい掛け声に合わせて出された手は、衛利彦がグー、鷹司がチョキだ。
「よっしゃあ! じゃあ俺後半な!」
ガッツポーズをする彼を見て、鷹司は怪訝な表情を浮かべた。
「交代の時間、忘れないでよね」
「大丈夫だよ! じゃ、夕方まで頼んだぜ」
衛利彦は鷹司の背中を一つ叩くと、焼き場を後にした。
その足で、彼は研究室に向かった。入ってすぐにある短い廊下を左に曲がり、最奥に待ち構えている部屋の扉を開ける。
「あっ、お帰りなさい。ご苦労様」
すると、部屋の中央の机には紫織が座っていた。いくつか部屋があるうち、ここは治療室と呼ばれる場所だ。設備は少し古いが、スチールの薬品棚や事務机、ベッドが数台並び、極めて清潔な十畳間である。名目上は、ここが彼らの仕事場だ。
研究所の窓からでも、焼き場の煙は確認出来る。またひとり一族の者が命を落としたことを悟ったのか、紫織は切ない笑顔を浮かべていた。
ふと、彼女の手元に目を落とす。白い布を敷き詰めた籐のかごの中には、小鳥が横たわっていた。その羽根には微かに血の跡が残っている。かごの脇にある開かれた救急箱は、治療途中であることを物語っていた。
「また拾ってきたのか」
「さっき薬草を摘みにいったら、木の根元で倒れていたのよ」
紫織は、昔から怪我をしている動物を見過ごせないたちだった。衛利彦も、その優しさには感心している。しかし、一族の当主・要専属の従者になった今、そういった些事に時間を割く暇などあるのだろうか、と若干の心配をしていた。
「ただでさえ忙しいんだから、放っておきゃ良いじゃねえか。ここで動物病院でも開くつもりか?」
「まあ、良いわねそれ。お代は薬草で支払ってもらおうかしら」
もうこいつの好きにやらせよう。ふふっと優しく微笑む紫織を見て、衛利彦は半ば諦めたように溜息を吐いた。
年齢に反して中身が子どもっぽいのは、自分たちが置かれた環境の弊害だろうか。
先祖から受け継いだ贖罪の役目を果たすべく、彼ら研究員の子どもたちは外界から隔離して育てられた。人里から隠されるように存在する一族の住み処には、渡り廊下で分断された一族と研究員が同居する屋敷、研究所、そして田畑と墓地、焼き場くらいしかない。
物寂しい場所だが、十数年前は人も多く活気があった。しかし、移住する者もいれば寿命で亡くなる者もいる。時の経過とともに、人数は目に見えて減って行った。現在、彼ら研究員の人数は、中くらいの町を一つ形成できるくらいのものだろう。この場所に残っているのはわずか二十名程度。そのうち若いと呼べるのは、紫織の家である竜胆、衛利彦の家である志熊、鷹司の家である市藤にしかいない。だから、彼の中で幼馴染たちが占める割合は大きいのだ。
この三十年、いろいろあったな。
同い年の紫織は言わずもがな、数年後に生まれた鷹司も一緒に、まるで兄弟のように育ってきた。恐らく、この住処を守る研究者の後釜として、初めから内定していたのだろう。
俺たちはここで大人たちに勉強を教わり、この野山を駆け回り成長した。世の中の常識は、知識として植え付けられているだけであり、何処か遠い存在だ。それでも、その異様さに気づかないくらいには、最低限自由に育ててもらったのだろう。
何気なく過去のことを反芻しているうちに、彼はもう一人いる幼馴染の存在をふと思い出した。
「そういえば、花織ちゃんの調子はどうなんだ?」
紫織の表情が、ぴたりと固まる。
「今日も変わらないわね」
「そうか……」
切なく伏せられた目に、衛利彦の心はギュッと痛む。
その瞬間、誰かが部屋の扉をノックした。
「すみません、今入ってもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
紫織が扉の向こうの相手に返事をする。入って来たのは要だった。
「忙しい所すみません。紫織さんにお願いがあるのですが」
「私で出来ることなら」
恭しい彼女の対応に、要は柔和な笑みを浮かべる。
「これを作って頂きたいのですが」
要は胸元から小さなメモを取り出すと、彼女にそっと手渡した。
「ああ、これならすぐに用意できます。十分ほどお持ち頂ければ」
「では、こちらで待たせて頂きますね」
「わかりました。すぐに作ります」
紫織は彼の微笑みに圧倒されたらしく、戸惑いながらも手早く調薬を終わらせた。
薬包紙に入った完成品を受け取り、要が優しい笑みを深める。
「さすがですね。助かりました」
「いえ、そんな」
嬉しそうに顔を赤らめると、紫織はぺこりと頭を下げた。
「そうだ。これから少し下へ行ってきますね。用事があるんです」
「かしこまりました」
紫織の返事を聞きながら、要は部屋を去って行った。
「要様、大丈夫かしら。あの人山を下りたことなんて、ほとんどないでしょう?」
「心配しすぎだって! 俺らより何十年も長く生きてるんだから」
「そうだと良いんだけど」
不安そうな発言を一蹴すると、紫織はあまり納得行かない様子で答えた。
「それにしても、こんなもの一体何に使うのかしら?」
紫織は、要に渡した粉末の残りを見つめる。薄緑色の粉末からは、鼻腔を突き抜ける強いハーブの匂いが漂っていた。
「一緒に街に行こう」
土曜日の朝。ちあきは沙月と宙に電話を入れた。
それというのも、数日前に起きた行方不明事件が発端である。響介に身の危険を注意された三人に、ある一つの考えが浮かんだ。奴らが知り合いの人間に変身して近づいてきたら、本物か否かをどう見極めればいいのだろうか。三人は考えあぐねたものの、その場で答えが出ることはなく、後日に持ち越しとなっていた。
「朝九時に集合ね」
ちあきは普段よりワントーン明るい声で告げると、「腕時計を持ってきて」と付け加えた。高校に入学した時、色違いで買ったおそろいの腕時計だ。ちあきが赤、宙が青、沙月が黄色である。
支度をして家の前で待っていると、二人は言ったとおりに腕時計をしてきてくれた。
「ねえ、何するつもりなの?」
「まだ内緒!」
沙月の問いに、ちあきはいたずらっぽく笑い、口の前で人差し指を立てた。
「ちあきさん、朝からずっとこの調子なんですよ」
大河の言葉に、それぞれの鞄から顔を覗かせた二匹も首を捻る。珍しく上機嫌なちあきに先導され、彼らは街へと向かった。
彼らが大通りを歩いていると、地図を片手に周りをきょろきょろと見まわしている眼鏡の男が目に入った。歳は二十歳前後くらいだろうか。何とも頼りなさそうな垂れ目の男は、歩行者から邪魔そうに避けられていた。その都度「すいません」と繰り返しながら、怯えた様子で道を譲っている。
早く往来から去らなければと思ったのか、男はひょこひょこと道の脇に急ぐ。すると、石畳に爪先が引っ掛かり、ものの見事に転倒してしまった。
鞄に入っていた本や書類が、地面にぶちまけられる。残念なことに、眼鏡も落ちてレンズが欠けてしまった。
「大丈夫ですか!?」
ちあきたちは男のもとに駆け寄ると、散らばった物を拾い始めた。男は眼鏡の場所を手で探っている。そしてようやく見つけると、ひびが入った事も気に留めず、安心したように笑った。
「いやあ、どうもありがとうございます。日本の方は親切だって本当なんですね」
「いや、そんな大したことは……」
集めた荷物を受け取りながら、男はへこへこと頭を下げている。最後の一冊である日本の観光ガイドを渡しながら、ちあきは問うた。
「旅行か何かですか?」
「実は僕、短期留学で中国からこの辺に来たばかりでして」
「そうだったんですか。随分と日本語がお上手ですね」
この辺に留学ということは、隣の市にある大学だろうか。ニコニコと愛想のいい男に、ちあきも嬉しくなる。
「ありがとうございます。母親が日本人なもので、昔から馴染みがあるんですよ」
照れた様子で男は頭を掻く。言葉の端々に若干不自然さは残るが、彼の日本語力は全く会話に差し支えの無いレベルだ。三人は思わず感嘆を漏らした。
そんな三人に向けて、男はちらちらと落ち着きなく視線を寄越す。
「あの、厚かましいお願いだとは思うのですが、良ければ道を教えて頂けませんか?」
恐らく荷物を拾ったことで、良い人だと認識されたのだろう。男の頼みを聞くと、三人は顔を見合わせた。
まだこんなに日も高いし、頼もしい護衛も付いている。みんな一緒なら大丈夫だろう。ちあきの気持ちを悟ったのか、宙と沙月は「仕方ないな」と言わんばかりに笑ってみせた。それを了承と受け取り、ちあきは口を開く。
「いいですよ。どちらに行かれるんですか?」
「ありがとうございます! 実は大学の友人からここに来いと……」
男は小さなメモを見せてくる。
「チョコレートの屋根に、生クリームの壁。窓にはカラフルな飴細工。でもおかしの家じゃない。おかしの家のすぐ隣……?」
そこに書かれた文章を、ちあきは不思議に思いながら読み上げた。沙月たちも、彼女の両脇から顔を出して覗き込んでくる。恐らく場所のヒントなのだろうが、全く意味が分からない。
宙も理解できなかったようで、眉根をしかめている。
「何だか不親切なメモですね」
「いえ、その。意地悪ではないんですよ。友人はこういうクイズの類が好きでして。ただ、土地勘のない私にはさっぱりなんですよ……」
だから、地図を片手に右往左往していたという訳か。三人は文章から何か思い当たることはないか、懸命に記憶を手繰り寄せる。
「チョコレートってことは、茶色い屋根だよね? それと、白い壁の建物ってこと?」
「そんなの山ほどあるよぉ」
ちあきの言葉に、沙月はうんざりした様子で肩を落とした。不満の声を傍らで聞きながら、宙はうーんと唸る。
「どっちかっていうと、おかしの家っていうのを見つけた方が早いんじゃない?」
「そうだね。えっと、場所はこの辺なんですか?」
「はい。この街の何処かにあると言っていました」
男は三人を心配そうに見つめながら頷く。
都心ほどではないが、この街も割合に土地が広く店も多い。一つ一つ見て回ると半日はかかってしまう。このメモの主は、どうやら彼の到着を気長に待つつもりのようだ。
「もーっ、とにかく行ってみよう! 見ればわかるかもしれないし!」
沙月としては、ここでうだうだ考えるより行動した方が早いと思ったのだろう。待ちくたびれて、すでに歩き出そうとしている。
彼女の言う通りかもしれない。ちあきは納得して男に振り返った。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい!」
一緒に探してくれることが余程嬉しいのか、男は感激した様子で彼らと歩き出した。
街は大きく分けて二種類の建物がある。事業所や個人経営の店が入ったビルと、大型の商業施設だ。そして隙間を埋めるように、マンションや民家が所々に建てられている。田舎特有の区分が分かりづらい土地のため、地元民は一貫して街や繁華街と呼んでいた。
高い建物がひしめくこの周辺は、長く近所に暮らしている三人でも、正直完全には把握出来ていない。数も多い上、中身の入れ替わりが激しいからだ。
「お菓子の家ってことはさ、ケーキ屋さんとか和菓子屋さんとかじゃない? きっと、その隣にある茶色い屋根の建物だよ」
沙月がそう言うと、ちあきは同意して頷いた。
「この辺でケーキ屋さんって言うと、大通りと裏通りに二軒ずつあった気がする」
「あれ、でもそこのビルにも食品コーナーで甘い物とか売ってるけど」
それも含めるのだろうかと、宙は首を捻る。沙月は顎を摩りながら唸った。
「それは屋内だから違うんじゃない? たぶん個人の店だけだよ」
「そっか、それもそうだね」
そうやって会話をしながら、彼らは街の中を練り歩いた。しかし―――
ケーキ屋、和菓子屋、ドーナツ店。その他甘味を取り扱っていそうな店を全て巡ったが、ヒントの条件に当てはまる所は見つからなかった。
「茶色い屋根の白い建物なら、わんさかあるのに……」
脳をフル稼働させたためか、沙月は頭痛を訴えて顔をしかめた。歩き疲れた彼らは、道の端にあるコンクリート花壇の縁に座り込んだ。
「あの、すみません。ご迷惑をお掛けして。あとは自分で……」
「いえ、ここまで来たら最後までやり遂げたいので」
遠慮がちに告げる男に対し、ちあきは真剣な顔つきで返す。二人も同じ考えのようで、疲れたと声に出しつつも諦める様子はない。
「おかしの家って、他に何かあるかなあ?」
溜息混じりの沙月の言葉に、宙はメモを見ながらぶつぶつと呟く。
「おかしの家、おかしの家かあ……」
恐らく「甘味を取り扱う場所」という意味ではないのだろう。ちあきも「おかしの家」という言葉が何を示すのか、様々なパターンを考えてみる。
「そう言えばこの文章、おかしってひらがなで書かれてるね」
沙月はメモを覗き込みながら、何気なく口にする。
「そっか、もしかしたら……」
宙はスマホの検索画面を開き、「おかし」と入力して変換する。お菓子、可笑し、犯し、お貸し……。並ぶ変換候補たちを眺め、彼は再度呟いた。
「貸し、貸す……? 何かを貸す店?」
宙の言葉に、二人はパッと顔を上げる。
「貸すって言うと、一番に思い当たるのは……」
三人は揃って西の方向に目をやる。男も不思議そうな表情で彼らの視線を追う。
「あの、何かわかったんですか……?」
「わかったかもしれない!」
「えっ!? あっ、待って下さいよ~!」
沙月が勢いよく立ち上がって走り出す。二人と男も彼女の後に続いた。
三人は、二つの建物の前で立ち尽くした。
右側にはレンタルビデオショップがあり、その隣には茶色い屋根で白い壁、極めつけにカラフルなサンキャッチャーが窓に飾られた可愛らしい洋食店がある。
「待ち合わせしている人、いますか!?」
「あっ、確認してきます!」
沙月に言われると、男は慌てて洋食店に近づき、窓からちらちらと店内を見回す。数秒すると、彼は三人に向けて頭の上に大きく丸印を作って見せた。
「やったーっ!」
人目も憚らず、沙月は歓喜の声を上げた。彼女ほどではないものの、ちあきも宙も表情を明るくして騒いでいる。
「おかしの家ってそういうことだったのね」
「ダジャレっていうか、トンチっていうか……」
肩の荷が下り苦笑いする三人のもとに、男は駆け寄って笑顔を見せた。
「すみません。本当にありがとうございました」
「いえ、場所が分かって良かったです」
ちあきが「ご友人と楽しんできて下さい」と言うと、男は再度礼を言って店に駆けて行く。扉に手を掛けた所で、男は「あっ」と声を上げて振り返った。
「そうだ。私の名前はリュウと申します。しばらくこの近くにいるので、見かけたらまた仲良くしてください!」
犬の尻尾のようにパタパタと手を振ると、リュウと名乗った男は店内へと消えて行った。扉が閉まり、沙月は腕時計を確認して腹を摩る。
「あ、もう十三時過ぎじゃん」
「ごめんね。時間かかっちゃって……」
「いやいや、ちあきのせいじゃないから! 私たちも納得してやってたんだし」
項垂れるちあきの背を、沙月はバンバンと叩く。
「ほら、私たちも行こうよ! ていうか、ちあきは何処に向かうつもりだったの?」
「そう言えば。すっかり忘れてた」
メモの解読に必死になって、当初の目的が頭から抜けてしまっていた。彼女の気の抜けた発言に、宙はくすくすと笑った。
その頃、洋食屋に入った男は、店員に案内されテーブル席に座っていた。向かいの席には誰もいない。注文を済ませた男が、窓からちらりと外の様子を覗くと、三人が話しながら去って行くところが目に入った。
存外簡単に近づけるものだな。
その男―――要は拍子抜けしてしまった。周りで物騒なことが起こっているだろうに、見ず知らずの人間の頼みを聞くだなんて。彼らに恐れられる対象でありながら、要は少し心配に思ってしまう。
しかし、要にはその方が好都合だった。彼らと接触し、目的の人物の素性を探ることが男の目的だからだ。
一族の当主として箱入りで育った要は、遠巻きにその人物を見ていた。いつも一人の金眼の少年。彼は一族内で「裏切り者の子ども」として煙たがられていた。しかし、自分の目で彼が酷いことをする姿を見たことが無かった男は、まるで現実味の無い話だと思っていた。それどころか、しばらくして出来た友人と遊んでいる姿など、どこにでもいる普通の少年だった。彼の親が一族にとって悪いことをしたとは聞いたが、彼は何も悪いことをしていないのに何故そこまで邪険に扱うのだろう。根底にその思いがあった要は、協力者である乱舞の頼みをすぐに了承することが出来なかった。
依頼した薬の匂いが鼻をくすぐる。腕のいい従者のおかげで、人間とわずかに違う体臭を誤魔化すことが出来ていた。
同胞の声に耳を塞いでいる訳ではない。彼はどうしてもこの目で確かめたいのだ。あの男が、敵に値する人物かを。
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