21 止まった時計

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21 止まった時計

 カランコロンと軽いベルの音が響く。ちあきが木製の扉を押し開けると、カウンターに立つ佳哉の姿が目に入った。 「あら、三人ともいらっしゃい!」 「こんにちは」  佳哉は、カウンターから三人に笑顔を向けて来る。ちあきは周りを見回し、混み具合を確認した。昼時だから忙しくしているかと思ったが、客は二組いるだけだ。各々談笑しており、三人の来店を気に留める様子はない。 「あの、ちょっと佳哉さんたちに話があって」  ちあきの真っ直ぐな視線を受けると、佳哉は厨房の方に首を出し、薫子に何かを問い始めた。 「もう少しで午前営業が終わるから、上の部屋で待ってて良いわよ」 「あ、ありがとうございます」  佳哉の返事に、ちあきは意表をつかれて吃ってしまう。わざわざ部屋まで用意してもらうつもりは無かった。けれど、無関係の人間に話を聞かれたくなかったので、非常に有り難い。 「あっ、ねえ三人とも!」  三人が階段に続く扉に向かうと、薫子が皿洗いの手を止めて声を掛けてきた。 「お昼ってもう食べた?」 「いえ、まだです」 「本当!? じゃあちょうどよかった!」  薫子は籐のバスケットにクッキングシートを敷くと、二斤ほどの食パンを詰めてちあきに手渡した。焼きたてほかほかで、香ばしい匂いがふわりと漂っている。 「いつも、ランチタイム用にパンを焼いてるんだけどね、今日作りすぎちゃって。よかったら食べちゃってくれない?」  わざわざパンを手作りしている事に驚いている間にも、薫子はちゃちゃっと取り皿やジャム、マーガリンなどを出して、沙月に預けている。 「ありがとうございます。あの、おいくらですか……?」 「やだ、そのくらいでお金なんて取るわけないでしょ! おまけよ、おまけ。二人だけだと食べきれないから困ってたの。食べたい分だけ食べちゃって!」  そう言うと、薫子は客に呼ばれて厨房を去って行った。三人は彼の背中に礼を投げかけてから、二階の部屋に向かった。  階段を登り切ってすぐ左手にある、レストルームと表記された木の扉を開く。部屋の中央にある二対の革張りソファーと、漆塗りされたダークブラウンの木製テーブルが彼らを出迎えた。その他には、応接セットの向こうにシングルベッド、扉の右脇に低いタンスが一つずつあるだけの、シンプルで温かみのある部屋だ。 「あーっ、お腹空いた! ね、もうパン頂いちゃおうよ!」  沙月がそう言った瞬間、彼女の腹の虫が鳴る。 「そうだね」  ちあきはくすっと笑いながら、沙月の隣に腰を落ち着けた。宙が向かいに座ってから、みんなで手を合わせ、貰ったパンに手を伸ばす。 「わっ! このパン、甘さが絶妙で美味しいですね!」 「ふわふわで最高だな……っ!」  小さくちぎったパンを口に含んだ朝日と大河は、幸せそうに顔を綻ばせている。万里も誉め言葉こそないが、目は爛々と輝いており、味に満足しているのが分かった。  何だか三匹の周りに、小さな花が飛んでいるような気がする。ちあきたちは、間に収まる、可愛い相棒の様子に目尻を下げた。  そうして、薫子の手作りパンに舌鼓を打ちながら待つこと十数分。ふいに、上階に向かって来る一人分の足音が聞こえてきた。 「お待たせ」  部屋に入ってきたのは佳哉だった。彼は持って来たティーセットを机の端に置き、ぱぱっと準備をし始める。 「ごめんね。飲み物用意するのを忘れてたわ」 「あの、お気遣いなく」  佳哉は「自分の分のついでよ」と言い、三人に紅茶を配っていく。迷った末、三匹には受け皿に紅茶を注いで出した。初めて飲むであろう紅茶に、三匹は興味津々の様子だ。  自分の分を用意し終えると、佳哉は普段通りの美しい所作で宙の隣に腰を掛けた。 「あの、薫子さんはどうされたんですか?」  ちあきは、下の階に耳をすませながら言った。以前来た時、彼の足音は二階からでも微かに聞こえていたのだが、それが今は全くない。客も引き払ったため、下階は静まり返っている。 「足りないものがあって買い出しに行ったの。十五時までに行くとイケメンの店員さんに会えるらしくて、大急ぎで出て行ったわ」  佳哉はくすりと笑う。そう言えば彼が上がってくる直前、猪が通ったかの如く猛烈な足音がした気がする。あれは薫子のものだったようだ。何ともエネルギッシュな人である。 「それで、話って何かしら?」 「そうだった!」  佳哉に問われ、ちあきは飲もうとしていた紅茶のカップを落ち着きなく置いた。 「あの、響介にも聞いてもらいたいんですけど」 「わかったわ。ちょっと待ってね」  佳哉は立ち上がると、窓を開けて響介の名前を呼んだ。すぐさま屋根に何かが当たる軽い音が聞こえて、佳哉が数歩後退る。その直後、屋根の縁に手を引っかけた響介が、窓枠にふわりと降り立った。その身のこなしの軽さに、三匹は「流石です!」と興奮した様子で羽根をバタつかせている。 「何だ?」 「ちあきから話があるんですって」  響介は窓枠から飛び降りて、間近にある宙と佳哉の座るソファー後ろの壁に背を預けた。難しい顔で腕組みをしている所は相変わらずだ。 「ちょっと提案というか。この前忠告されてから、三人で話してたことなんですけど」  ちあきは、頭の中で言いたいことを整理してから、ゆっくり口を開いた。 「本当に、これから先は何が起こってもおかしくない。前みたいに、相手が知り合いに化けて近づいて来る事だってあるかもしれない。だから、私たちの間だけでも、本人だってわかる目印を作ったらどうかなと思って」 「目印?」  不思議そうな顔をする響介に、ちあきは緊張しながら頷いた。話をお預けされていた沙月たちも、じっと彼女を見つめて話の続きを待っている。 「響介、いつも腕時計をしてるよね?」 「あぁ、これか」  彼が軽く上げて見せた左腕には、文字盤にローマ数字が刻印された、金色の枠に黒革のシックな腕時計が嵌まっていた。 「前から気になってたんだけど、それ針が止まってない?」 「……まあな」  彼女の言葉に思う所があったのか、響介は少し間を空けて答える。しかし、表情の変化はあまりにわずかで、ちあきが気付くことはなかった。 「腕時計なら私たちも持ってるから、針が止まっていることを目印にしたらどうかなって思ったの」 「つまり、電池を抜いちゃうってこと?」  ちあきは、宙の問いに笑顔で頷いた。  揃いのアクセサリーにすることも考えたが、それだと学生の自分たちは常に着けておくことが出来ない。しかし、腕時計なら学生だって身に着けるし、既に持っているから良いのではないかと思いついたのだ。揃いのデザインを用意するとなると金がかかるが、針が動いていないことを目印にするなら既存の物で済む。 「佳哉さんも、確か腕時計を着けてましたよね?」 「えぇ、持ってるわ」  佳哉はポケットから小ぶりな腕時計を取り出した。銀色でシンプルな大人っぽいデザインだ。恐らく仕事中は外しているのだろう。 「ちあきのアイデア、私は良いと思うわよ」 「私も! 傍目から見て分かりづらい目印だから、相手に気づかれることもなさそう!」  佳哉と沙月は、ちあきの意見に賛同した。そんな中、宙は一人不満そうな顔を見せている。 「でも、パッと見て針が動いてるかどうか分からないよ?」 「そんなの、相手に時間を聞けばいいじゃない。腕時計を見て時間を答えられたら、そいつは偽物よ」 「あ、そっか!」  少々呆れた顔で沙月に指摘され、宙は手のひらをポンと叩いた。 「響介はそれでいい?」 「あぁ」  ちあきが問うと、彼はいつも通り無表情のまま頷いた。 「じゃあ、そういうことで」  ちあきは立ち上がると、沙月たちに帰ろうと声を掛ける。 「あら、もう少しゆっくりしていったら?」 「ありがとうございます。でも、いつも長居するのも気が引けるので」  名残惜しそうに見つめてくる佳哉に対して、ちあきは丁重に断りを入れた。 「そう、わかったわ。まだ明るいからって油断しちゃだめよ。気を付けて帰ってね」 「はい、ありがとうございました」  三人と三匹はごちそうさまでしたと礼を告げ、バーを後にした。  来た道を引き返していると、沙月がふいに口を開いた。 「ねえ、これ電池って自分で取れるの?」  彼女は自分の黄色い時計の裏側を見ながら、どうやって取るのだろうかと思案しているようだった。 「出来ないこともないけど。パーツを傷つけると危ないから、途中で時計屋さんに行って電池を抜いてもらおう」 「あー、それが一番いいわ」  納得した様子の沙月を見たちあきは、時計屋の場所を調べるため、鞄に手を突っ込んでスマホを探った。 「……あれ?」 「どうしたの?」  突然立ち止まり、鞄の中をガサゴソと漁り始めたちあきに、沙月は首を傾げる。 「スマホ置いて来ちゃった」 「うわっ、早く気づいて良かったじゃん」  知り合いの店とは言え、あんな個人情報の詰まった物を置いておくわけにはいかない。彼らは踵を返してバーの方に戻った。 「ちょっと待ってて」 「はいよ」 「行ってらっしゃい」  バーの前で彼らと別れると、ちあきは一人階段を上がった。しかし、扉を開けようとしたところで、ちあきの手はぴたりと止まる。 「それ、両親の形見なんだっけ?」 「……あぁ」  二人の話し声が耳に入り、ちあきの身体は硬直する。扉を開けるのが躊躇われてしまい、彼女はドアノブに手を掛けたまま立ち尽くした。  佳哉は手際よくティーセットを片付けていた。その脇でソファーに身を沈めている響介は、外した腕時計を眼前に摘まみ上げてぼうっと見つめている。 「どうしたのよ、そんなにじっと見て」 「……この時計が、俺みたいだと思って」 「え?」  佳哉は片づけの手を止め、呆けた顔を響介に向けた。その視線に気づいているのかいないのか、彼は未だに腕時計を見つめている。 「人間として当たり前に流れる時間が、俺にはやってこない。受け止めきれなくなった痛みが、死という形でやってくることもない」  ベルトを摘まむ指先に僅かに力が籠り、てかてかと光る綺麗な表面に皺が寄る。 「腕時計みたいに、簡単に壊れる身体だったら良かったのに」 「響介……」  彼の言葉に、佳哉は何と返して良いのか分からなくなってしまった。  幼い頃から誰より近くにいて、彼の苦悩は重々理解しているつもりだった。けれど、本当の意味で、彼の気持ちに寄り添えたことはない気がする。自分に向けられた彼の言葉は、何だか気持ちを律する誓いのように聞こえるのだ。  自分は彼の事情を知っているだけ。傷ついた者同士が寄り添っているだけ。何十年と共に居ても彼を救えず、佳哉は歯がゆくて仕方無かった。 「ちあきー? まだ見つからないのー?」  下階からした声で、佳哉はハッとなった。それは先ほど帰ったはずの沙月の声だった。  佳哉と響介は、驚いた様子で扉の方に目を向ける。すると、部屋の扉がゆっくりと開いた。そこには、気まずそうな様子のちあきが立っていた。 「ちあき……」 「すみません、忘れ物をして」  戸惑っている佳哉に硬い表情で告げると、ちあきはつかつかとソファーに近づく。置き去りになっていたスマホを取ると、また無駄のない動きで扉に向かった。 「おい」  それを、響介が無骨に呼び止める。 「さっきの話、聞いてたのか」 「……ごめん、立ち聞きするつもりは無くて」 「それはいい」  少し怯えたような彼女の言葉を遮りながら、彼は告げた。 「俺が話していたことは忘れろ」 「えっ」  その言葉を聞いて、ちあきは呆気に取られた様子で振り返る。 「お前には関係の無い話だ」  続けざまに言われ、彼女は理解が追いつかないといった様子で立ち尽くした。 「……そっか、ごめんね」  傷ついたような表情で口を開くと、彼女は静かに部屋を後にした。その様子は、佳哉の胸を酷く締め付けた。
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