25 目撃者

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25 目撃者

「全く、周りの視線には気を付けて下さいと言ったじゃないですか」 「ごめんってば。上手く行ったんだから良いでしょ?」  車のハンドルを握るスーツの男の呆れ口上に、助手席の若い男が軽い調子で答える。  ここは一体どの辺りだろう。  後部座席で目を覚ました男―――要は、寝かせられた状態で二人の会話を聞き、事の経緯を振り返っていた。  今日は例の男について知るため、リュウという名の留学生を騙り、再びちあきたちとの接触を図ろうとしていた。彼女たちが登校している時に、偶然を装って声を掛ける。単純明快な計画だったが、事もあろうに時間を見誤り、計画は失敗に終わってしまった。  そして出直そうと踵を返した時、彼は高校の裏手で、男たちが白いコウモリを捕まえた場面を目撃したのだ。直後、動揺から地面にあった小石に足が当たり、その音を聞きつけた男に殴られた、という所で記憶が途切れている。  ―――気を失ってから、どれくらい経ったのだろう。  後頭部の痛みによって現実に引き戻される。いつの間にか、手には錠が掛けられていた。これでは満足に動くことも出来ない。  何とか情報を得ようと視線を彷徨わせるも、低い視点から見える窓の向こうには、少し雲行きの怪しい空と、ビルや電波塔の先端くらいしか映らなかった。空の明るさから夜になっていないことは把握出来たが、他は全くわからない。 「こらーっ! ここから出せーっ!」 「もー、元気だねぇ君たちは」  突如前方からした声に目を向ける。助手席に座っている若い男の膝には、小さな檻が乗っており、中に先ほどのコウモリたちが入れられていた。  目撃した時も耳を疑ったが、やはりあのコウモリたちは喋っている。人間と寸分違わぬ言葉遣いに、要は未だ驚きを隠せなかった。 「無駄に体力を消耗するだけだよ。ちょっとは静かにしてたら?」 「これで大人しくしてる方がおかしいだろーっ!」  見かけによらず勇ましい態度だ。要が感心していると、兎見と呼ばれていた助手席の男がふいに振り返った。 「あっ、もう起きたんだ?」  人を殴ったと言うのに、まるで何も無かったかのような表情である。  曲がりなりにも自分は一族の当主だ。正体に気が付いていればこんな扱いはされない。単純に誘拐の目撃者として連れてこられた、ということだけは察しがついた。 「私をどうするおつもりですか?」  要が抑揚のない声で問うと、若い男に代わって、運転席にいるスーツ姿の男が答えた。よく見ると彼も吸血鬼だ。 「申し訳ありませんね。私たちも無関係の人は巻き込みたくないのですが、先ほどの場面を見られてしまったからには、タダで帰す訳に行かないのですよ」 「ちょっとだけ狭いけど良い所だよぉ。たぶん三食出てくるし」  兎見がスーツの男の言葉を引き継ぎ、くすくすといたずらっぽく笑う。神経を逆なでするような態度を前に成す術もなく、要は窓の外を流れる景色を見送った。 「おらっ、大人しくしてろよ」  約二十分後。要は如何にもといった見た目の粗暴な男によって、薄暗い牢屋に押し込められた。鉄柵の向こう側―――施錠をする男の背後には、壁際に段ボール箱大の檻が積み上げられており、中にいる動物たちが呻き声を上げている。 「お前ら、俺たちをどうするつもりだ!」  檻の塔の一番上でコウモリが吠える。周囲の喧噪を凌駕する声に、男は鬱陶しそうな顔で言った。 「ったく、馬鹿みてぇな声出しやがって……。あのなぁ、お前らは売られたんだよ!」 「えぇっ!?」  もう一匹が目を見張らせる。 「お前らみたいな珍しい動物は、頭のおかしい金持ちがこぞって欲しがるんだ。きっと数日しないうちに買い手がつくぜ。せいぜい良い奴に買われることを祈るんだな!」  男はそう言い捨てると、壁に取り付けられたフックに鍵束を引っかけ、格子窓のついた鉄扉から部屋の外へ出て行った。  足音が遠くなるごとに、先ほど歩かされた暗い廊下を思い出す。ここは何処かの町にある雑居ビルの地下だ。先ほど聞いた通り、ここでは希少な動物の売買が行われているのだろう。有無を言わさず連れ込まれた彼らは、店主と思われる別の男の監査を受け、その後、奥にあるこの空間に閉じ込められたのだ。  この劣悪な環境からして非合法な店なのだろう。となると、売られる先も碌なものじゃない。自分は目撃者として収監されているようだから、月日が経てば解放されるかもしれないが、コウモリたちはそうも行かないはずだ。 「うわぁーんっ! 万里、大河、どうしよーっ!」  身に迫る危険を理解したのだろう。斜め前に置かれた小さな檻の中で、コウモリのうちの一匹が騒ぎ出した。 「朝日、とりあえず落ち着けって」 「そうそう。騒いだって解決する訳じゃないぞ」  それを他の二匹が宥める。彼らも先ほどまでは狼狽えていたようだが、仲間が取り乱しているのを見て冷静になったのかもしれない。兄弟みたいに身を寄せ合い、この非常事態に適応しようとしている。 「あっ、お兄さんは大丈夫ですか?」  宥めていた方の一匹―――大河と呼ばれていた糸目のコウモリがこちらに顔を向けた。 「はい、無事です」 「良かった。すみません、巻き込んでしまって」 「いえ、私は大丈夫です。あなたたちの方こそ、大変でしたね」  どうして喋れるのか、という問いが喉まで出かかったが、この非常時に言っている場合ではない。 「うぅ、お兄さん良い人ぉ……」  要が当たり障りない返事をすると、朝日と呼ばれていたコウモリが泣きながらつぶやいた。日暮れ高校へ向かった目的を思えば、とても良い人とは言えない。図らずも彼らを騙している形になり、わずかな罪悪感を覚えた。 「ほら、泣いてばかりいられないぞ! 脱出する方法を考えなきゃ!」 「うぅ……っ」  その会話を聞きながら、要は彼らの入れられている檻に目を止めた。先ほどは気がつかなかったが、それはかなり使い古されている代物と見受けられる。 「あの、そのままこちらに倒れてくることは出来ますか?」 「へっ?」 「私、見た目のわりに握力が強いんです」  一族の中では弱い部類に入るが、それでも並みの人間と比べたらかなりの力がある。  要は両方の手を握り込んで、手錠のチェーンを千切ろうと引っ張った。手首に錠が食い込んでギチギチと音を立てる。しかし、しばらく痛みに耐えると、チェーンは破壊音とともに飛び散った。 「ほらね」  自由になった手をひらひらさせると、三匹は魔法でも見たかのように目を丸くさせた。 「その程度の檻なら、柵を曲げて、あなたたちが抜け出す隙間を作り出せるかもしれません。それで、あなたたちが壁にかけられた牢屋の鍵を取って下さいませんか?」  彼らがいるのは、ちょうど要のいる牢屋の目の前だ。そこから落ちて彼の手の届く場所まで来れば、柵を曲げることも可能だろう。 「わ、わかりました! やってみます!」  三匹は意を決した様子で、要側の柵に体当たりをした。数センチずつ、真下の檻の天板を擦って移動していく。そして、彼らの檻が天板からはみ出した時――― 「うわあっ!」  彼らは五回目の体当たりで、檻の塔と要の牢屋の間に落っこちた。 「痛ててて……」 「大丈夫ですかっ!?」 「はい、ちょっとびっくりしただけなので」 「良かった。では、少し失礼しますよ」  彼らの無事に安堵した要は、牢屋の隙間から檻を引き寄せた。等間隔に並ぶ細く冷たい柵の隙間に指を入れ、両手で掻き分けるように力を入れる。柵はじりじりと開いていき、一分もしないうちに、三匹が出られるほどの隙間を作ることが出来た。 「わぁっ、ありがとうございます!」 「今、牢屋の鍵を取ってきますね!」  出るや否や、万里と呼ばれていたコウモリが、壁に向かって慌ただしく飛び立った。しかし、小さな体では重かったのだろう。鍵を束ねる丸カンを口に咥えて引き返した彼は、限界を訴えるようにプルプルと震えていた。要がハラハラと見守っていると、残りの二匹が見かねた様子で加勢に向かっていく。そして慎重に戻ってきた彼らは、要が皿状に出して待っていた手の上に鍵束を落とした。 「ふぅっ、お待たせしました!」 「ありがとうございます」  彼らの達成感が溢れる笑顔に和みつつ、牢屋の錠前に片っ端から鍵を試していく。運良く三個目で正解を引き当て、彼は牢屋から出ることが出来た。 「さて、これからどうしましょうか」  改めて部屋の中を確認してみる。打ちっぱなしのコンクリートの空間には、山積みの檻と、室内を照らす小さな蛍光灯、そして換気扇くらいしかない。コウモリたちであれば換気扇から出られるかもしれないが、要は正面突破するしか道は残されていないだろう。 「あの、お兄さんが良ければ一緒に逃げませんか? 俺たちも協力するので」  その難しい顔を見て、彼の不安を察したのかもしれない。大河がおずおずと申し出た。 「よろしいのですか?」 「もちろんです!」  朝日がニコニコと言う。同意するように頷いた万里を見て、彼は心強さを感じた。 「ではお願い致します」 「はい!」  話がまとまった所で、要と三匹は、こそっと格子窓から扉の外を覗いた。人がいないことを確認し、目配せをしながらドアノブに手をかける。あの男は施錠を忘れていたようで、扉は難なく開いた。  右手に伸びる暗い廊下に息を飲む。その突き当りには扉が一つあり、隙間からわずかに光が漏れていた。向こう側からは、行きに見た店主らしき男の声と、要を牢屋に閉じ込めた男の声が聞こえる。  ここさえ抜ければ出口はすぐそこなのに……。  要が考えこんでいると、万里が口を開いた。 「あの、俺に一つ考えがあるんですけど」  ガッシャーン! 「何の音だ!?」  檻の部屋からけたたましい衝撃音がして、男たちはざわめきたった。すぐに廊下の扉が開き、男たち二人が檻の部屋に飛び込んでいく。  その様子を廊下の扉の裏で見ていた要たちは、顔を見合わせて笑った。  一緒に捕らわれていた動物たちを解放し、奥の部屋で騒ぎを起こさせる。男たちがそちらに気を取られている間、隙を見て脱出するという作戦だった。  きっと、檻でも落としたのだろう。気が立っていた動物は、彼らの思惑通り大暴れしてくれたようだ。  要は三匹を懐に隠しながら、空っぽになった部屋へ一目散に飛び込んだ。地上に続く扉を開けて、階段を駆け上がる。もう夕方を過ぎているのか、しばらくぶりに見た外は群青色に染まり視界が悪かった。けれど、細かいことは言っていられない。要は緊張で暴れる心臓に耐え、無我夢中で駆け出した。  それからどのくらい走っただろう。ビルからかなり離れた場所の公園で、彼は倒れ込むように腰を下ろした。  運動不足が祟ってか、呼吸が苦しい。要が木にもたれて息を整えていると、コウモリたちが彼の懐から飛び出してきた。 「大丈夫ですか!?」 「えぇ、ちょっと、息が上がっただけです……」 「あの、本当にありがとうございました」  膝の上に止まり心配そうに見つめてくる三匹に、気持ちがじんわりと温かくなる。 「いえ、こちらこそですよ。それより、ここがどこかわかりますか?」  呼吸が落ち着いて来た要は、辺りを見回しながら言った。 「うーん、それが……」 「連れてこられた時も、景色がよく見えなかったですし……」  歯切れの悪い万里と大河に対して、朝日はきょろきょろと周囲を見ながら言う。 「ここ、見覚えがあるかも」 「えっ、本当か!?」 「うん、どこだっけな。わりと最近見たような……」  朝日がそう言ったとき、遠くから聞き覚えのある声がした。 「万里―っ! 朝日―っ! 大河―っ!」 「いたら返事してーっ!」  その必死の呼びかけに、三匹はハッとなる。 「もしかして……っ!」  飛び立った三匹を追って、要も公園を出る。すると、左手の道路の向こうから、懐中電灯の光がいくつか近づいて来た。 「ちあきさーん!」 「大河っ!?」  走り寄って来た数人が、彼らに懐中電灯を向ける。 「あれっ、リュウさんっ!?」  そう言って目を丸くしたのは、彼が今日接近するつもりの少女だった。  要たちが逃げ込んだのは、日暮れ町の隣町にある公園だった。朝日は、練習試合の観戦で、近くにある高校を訪れた際に見た景色を覚えていたらしい 「どうもありがとうございました」  コウモリたちを肩に乗せて、ちあきが頭を下げる。後ろには、以前会った沙月と宙、そして要の目的である響介や佳哉がいた。 「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。皆さんの大切なお友達に、怪我が無くて本当に良かった」  まさか彼らの仲間だったとは。思わぬ展開に驚きながらも、要は思惑を悟られないように優しく微笑んだ。 「えっと、リュウさんでしたっけ? お礼と言っては何ですが、良かったら都合のいいときにでも、うちの店にいらしてください。ご馳走いたしますので」  進み出てきた佳哉に名刺を渡され、要は心の内でほくそ笑んだ。これで彼らに近づく良い口実が出来た。 「そんなお礼だなんて……。でも、せっかくですから、近いうちに寄らせて頂きます」  その人当たりの良さに、ちあきたちはすっかり安心した様子を見せていた。 「帰りは大丈夫なのか?」 「えっ?」  彼女たちの隣で、一人不愛想な顔をしていた響介が言う。 「さっきの奴らが来るとも限らないぞ」 「確かに危ないかも。リュウさん、家の近くまでついて行こうか?」  響介に続き、沙月やちあきたちが心配そうに声を掛けてくる。 「あっ、いえ大丈夫です! ここからならそう遠くありませんから」  要は尾を引いたような表情を見せる彼らを説得して、何とか別れた。  一人夜道を歩きながら、先ほどの響介の言動を思い出す。もともと疑っていた訳ではないが、自分を気遣う姿は全く悪人には見えなかった。  彼が本当に何かを企んでいるのだろうか?  考えが傾き始めていることに気づき、ぶんぶんと頭を振る。  自分は一族の当主として、間違った判断をしてはいけない。もっと彼の人間性を理解してからでなければ。  要はどちらつかずの立場に苦しさを覚えながらも、当主としての責任感を掲げて自分の心を律した。  高層マンションの一室。スーツの男―――狐坂は窓の外に広がる眩い夜景を見つめながら、耳に当てていたスマホを離して通話を切った。 「彼らが逃げたそうですよ」 「えーっ、もう? ちょっと早くない?」  革張りソファーの上で膝を抱えていた兎見が、スマホから目を離して顔を上げた。 「あの店は人が少ないですから。頭を働かせば抜け出すことは可能でしょう。それにしたってお見事ですよ」  貴重な収入源を逃したと言うのに笑っている。兎見はそれが信じられないと言いたげに目を細めた。 「誉めてどーすんの! 僕すごく苦労したんだけど」 「ははっ、すみません。どうも娯楽性を感じるものには目が無くて」 「あくどいビジネスで忙しいのに、追いかける余裕なんてあるの?」 「一言余計ですよ。貴方も加担しているじゃありませんか」  しれっとした態度の兎見に対して、狐坂は心外だと言わんばかりに溜息を吐いた。 「最近単調な日々が続いていましたからね。あの人たちを見ていたら退屈が紛れそうだ。そう思いませんか?」 「まぁね」  胡散臭い笑顔の問いに、兎見は再びスマホに視線を落として生返事をする。 「きっと、彼らは一族の問題に大きく関わってくる。私たちは時代の目撃者となることでしょう」  狐坂はくすくすと笑いながら、遠くに並ぶ夜景を見やった。
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