6 忌み名

1/1

14人が本棚に入れています
本棚に追加
/50ページ

6 忌み名

 夜空に浮かぶ大輪の花に背を向けて、ちあきは暗い坂道を真っ直ぐに下った。咲き乱れる音は、まるで胸中の憤りを煽るかのように激しく鳴り響いている。 「ちあき、ちょっと待ってよ!」  怒りで力の入った彼女の腕を、沙月が追い縋るように掴む。 「一体どういうこと!?」  ちあきが振り返るや否や、沙月は息の上がったまま疑問をぶつけてくる。珍しく取り乱した様子の声に決まりが悪く感じ、ちあきはすぐさま顔を逸らした。 「別に何でもないよ」 「何でもない訳ないじゃない! ちあき、私に何か隠してるでしょ!?」  険しい表情で詰め寄られ、ちあきは頭を抱えた。ここまで来たら沙月にも言うべきなのかもしれない。けれど、彼女を危ない世界に巻き込むなんて絶対に嫌だ。  究極の選択を前に、ちあきの心臓は全力疾走した時のように加速してゆく。 「ねえ、私にも話せないことなの?」  黙り込んだちあきに、沙月は小さく問いかける。出会ってから十年あまり、彼女に隠し事なんてしたことはない。初めて抱えた秘密は、ちあきにとって大きなストレスになっていたのだろう。置いていかないでと訴えかけるような沙月の切ない瞳は、不安定に積み重なった心に止めをさした。もう隠し通すのは無理そうだ。 「わかった。ちゃんと話すよ」  とりあえず帰ろう。ちあきは観念して言うと、沙月を連れて足早に家へと向かった。  所変わってちあきの自室。テーブルを挟んで沙月と向かい合ったちあきは、順を追って説明を始めた。 「吸血鬼!?」 「うん」  テーブルにのし掛かって身を乗り出す沙月に、ちあきは淡々と答える。 「前に宙くんの事で調査に出掛けたことがあったでしょ? あの時、宙くんに化けた吸血鬼に襲われて……。危なかった所をあの人が助けてくれたの」 「な、るほど……?」  沙月の返事は非常に辿々しかった。今まで抱えていた疑問が、二つまとめて解き明かされることになったのだから無理もない。その混乱たるや相当のものだろう。  彼女は、まるで腹痛と戦っているかのようなしかめっ面を浮かべ、腕を組んでうんうんと唸り始めた。 「私がドッペルゲンガーだって騒いでいたものの正体は、吸血鬼ってこと?」  ちあきは神妙な面持ちで頷き返す。 「その日を境に、悪い吸血鬼に付け狙われるようになったの。あの人が言うには、私の血は他と違って価値のあるものらしくて」 「そ、それで?」 「あの人―――響介は、私が悪い奴に追われていることを知って取引を持ち掛けてきた。他の奴らから守る代わりに、私の血を寄越せって」  唖然とした沙月は、行き場をなくしたように両手をわたわたと動かす。 「えっ、待って。その話だと、ちあきは響介って人に血をあげてるってこと?」 「守ってもらったときだけね」  遂に思考回路がショートしてしまったようだ。沙月は目を回すと、疲弊した様子でテーブルに突っ伏した。 「話は信じるけど、あまりにも現実味が無さ過ぎてついて行けない……」  おいそれと受け入れてもらえるなんて思っていなかった。しかし、宇宙人やら七不思議やらを追いかけている沙月に「現実味が無い」とまで言われるとは。  それほどの非常事態であることを改めて感じていると、沙月は彼女の様子を窺うようにそろそろと顔を上げた。 「響介って人は、良い吸血鬼なの?」 「……たぶん」  その答えに、沙月は今にも魂が抜け出ていきそうな細く長い溜息を吐いた。 「そんな危険なことになってるなら、もっと早く言いなさいよぉ~……」  再びテーブルに上半身を預けた沙月は、見るからに不満そうな表情を浮かべている。湧き出る罪悪感は、ちあきの心をチクリと突き刺した。 「ごめん」 「いや、責めてるわけじゃないんだけどさ」  ガバっと身を起こすと、沙月は真剣な顔つきでちあきの両手を取った。 「とりあえず、今度からは相談して! 私たちがちあきを守るから!」 「……ありがとう」  気持ちは嬉しい。けれど、沙月たちを危ない世界に巻き込みたくないという気持ちの方が強く、複雑な心境だ。  誰かに助けて欲しい。でも誰も傷つけたくない。相反する気持ちの狭間で、ちあきはしばらく苛まれることとなった。  翌日、土曜日のため午前中で部活が終わった宙を呼び出した。もちろん沙月も一緒だ。 「ちょっと待って。飲み込むのに時間がかかる」  部屋に招き入れ一部始終を話すと、彼は昨日の沙月と似たり寄ったりな反応を示した。その隣で、沙月は困ったような表情を浮かべている。 「あの、ごめん。ゆっくりでいいよ」  ちあきの言葉を聞いて、宙はテーブルに両肘をつく。そして、頭を抱えた数秒後、情報の整理が出来たのか、彼は長い溜息とともに肩の力を抜いた。 「わかった。とにかく、怪しい奴らからちあきを守ればいいんだね」 「そういうこと!」 「宙くん……!」  ただでさえ非現実的で突飛な話なのに、信じてくれた上に力を貸してくれるなんて。本当に良い友人を持ったなと、ちあきは感慨深くなった。 「でも、私を守って欲しいって言うよりは、身の回りに気を付けて欲しいの。二人も巻き込まれる可能性があるから。私は最悪何とかなるけど」  ちあきの言葉を聞いて、宙は眉根を寄せる。 「その響介って人に守ってもらえるから?」 「うん」  その返答に一瞬だけ躊躇う様子を見せた後、宙は厳しい表情でちあきを見つめた。 「その人は本当に大丈夫なの? 今までは助けてくれたかもしれないけど、その人も同じ吸血鬼な訳でしょ? いつ約束を破るかわからないのに信頼していいの?」  ちあきは押し黙った。宙の言うことが全くの正論だったからだ。今までは頼る相手がおらず、都合よく助けてくれる響介に縋っていた。しかし、まだ知り合って間もない上、素性もわからない。加えて彼女の中では、祭りの一件で人間関係がいい加減な奴という印象が芽生えてしまっている。 「わからない。でも、悪い奴らに対抗するには、あの人の力を借りるしか無いと思って」  ちあきは俯いたまま小さく答えた。現段階では、そうとしか言いようがない。 「それに、まずは信じてみなくちゃ始まらないでしょ?」 「そりゃそうだけど……」  なるべく明るい声で付け加えるも、二人は煮え切らないような返事をした。それを最後に、三人の間に重い沈黙が訪れる。しかし、それは一分と持たず、たちまち糸が切れたかのように揃って項垂れた。 「とりあえず、しばらくは誰も一人にならないように気を付けよう。暗い時間帯に出歩いたり、人気のない場所に行ったりしないように」  宙の言葉に、ちあきと沙月は満場一致で深く頷いた。 「じゃあ、俺帰るよ」 「私も。おつかい頼まれてたんだ」  二人は少し疲れた様子で立ち上がると、鞄を手に取り、帰る支度を始めた。 「送って行こうか?」  心配そうに見つめるちあきに、宙は「大丈夫」と答える。 「まだ日も高いし、沙月には俺が着いて行くから」 「そっか」  それなら問題ないだろう。ちあきは安心すると、玄関まで二人を見送りに向かった。靴を履いた宙が今一度振り返る。 「来週の登校日は迎えに来るから、三人で一緒に行こう」 「うん」 「ちあき、寝坊しちゃダメだからね!」  その言葉に、ちあきは「沙月こそ」と笑った。三人で登校する約束を交わすと、二人はちあきの家を後にした。  夏休みも残り一週間となったこの日。日暮れ高校は、久しぶりに生徒たちの声で活気づいていた。貴重な夏休みを潰されたとあって、教室内では文句が飛び交っていたが、それは教師も変わらない。普段の授業と違って緩い雰囲気の中、提出物の回収や始業日の確認を終えると、部活もなく昼頃に解散となった。教師に至っては早く帰れと言わんばかりに、生徒を教室から追いやっている。 「お腹空いたーっ!」  校門から出たところで、沙月は組んだ両手をめいっぱい空に向けて伸ばした。 「そうだね。今日はお昼ご飯何?」 「たぶん冷やし中華。明日も明後日も冷やし中華」  メニューが思い浮かばず、連日同じものが続いているのだろう。沙月は少しうんざりとした様子だ。それを見て宙は小さく笑う。 「夏の定番だからね」 「うん、まあ美味しいから良いんだけどさ」  そんな話をしながら歩いていると、三人は少し先のガードレールに凭れ掛かっている人影を見つけた。 「ねえ、あれって」  まさかと思いながら視線を向ける。沙月が指さしたのは件の男だった。 「何かどこかで見たことあるような……」 「この前、ちあきを海で助けてくれた人。そんで例の吸血鬼」  目を細めて響介を観察する宙に、沙月は小声で説明をする。 「えっ、そうなの!?」  驚きが抑えられなかったのだろう。宙が思わず大声を上げると、それに反応して俯いていた響介が顔を上げた。 「げっ、気づかれた」  こちらに向かってくる響介に対し、沙月はあからさまに顔を引きつらせた。ちあきのシャツの袖を掴んで後退を促している間にも、短い間合いはすぐに埋まっていく。そして、気が付けば澄まし顔の響介が三人の行く手を塞いでいた。 「ちょっといいか」 「……何?」  ちあきは少しの抵抗として、普段よりぶっきらぼうに言い放つ。 「この前の礼をもらいに来た」  気持ちの読めない彼の表情に、三人は固唾を飲み込む。 「あの!」 緊迫する空気の中、宙が意を決した様子で響介の前に進み出た。一体何を言うつもりだろうか。不安の入り混じる視線を浴びながら、彼は精悍な顔つきで響介を見据えた。 「ちあきから話は聞きました。一体何が目的なんですか?」  二人を守るように立ちはだかる宙を、響介は鬱陶しそうに睨みつける。 「目的? お前何か勘違いしてないか。俺はお前らの敵でも味方でもない。血を貰う代わりに守ってやっているだけだ」  鋭い視線に容赦なく射抜かれ身を震わせるも、宙は歯を食いしばって言い返す。 「簡単に信じられる訳ないじゃないですか」 「信じられないならそれでいい」  押し問答に痺れを切らしたのだろう。響介はちあきの腕を掴んで、有無を言わさず歩き始めた。 「ちょっと、何すんの!?」 「用が済めば返す。大人しくしてろ」 「ちあき!」  必死に手を伸ばす沙月を見て、響介がぴたりと立ち止まる。そして、少し身を屈めてちあきに囁きかけた。 「俺はあいつらの前でもいいが」  低い声が耳朶をくすぐり、ちあきの身はぴくっと跳ねた。血を吸われているときの光景を思い出す。二人に醜態を晒されることと身の安全、どちらを取るか。追い込まれた状況に額からは冷や汗が流れ、唇の震えは止まらない。 「……沙月、宙くん。そこで待ってて。すぐに戻るから」  大丈夫、きっと何も無い。今までだってそうだったんだから。  彼女はぎこちない笑顔を浮かべると、心配そうな二人の視線を振り払って歩き出した。  響介に連れて来られたのは、高校裏手の森だった。ちあきは雑草に足を取られながら、こちらを全く考慮しない歩調に何とか着いて行く。しばらくすると、彼は木陰が一段と濃くなっている、隅の暗がりで足を止めた。 「一つ聞きたい」  彼は背を向けたまま問いかける。早速血を吸われるのだろうと思っていたちあきは、緊張しながら次の句を待った。 「俺のどういう所が適当なんだ」 「……は?」  驚きのあまり口が閉まらず、ちあきは間抜け顔になる。 「この前言ってただろう」  祭りの日の夜を思い出す。恋人でもない女と妄りに接する響介に対し、腹が立って平手打ちをしたことだ。 「それ、本気で言ってる?」 「あぁ」  確かに響介の顔をじっと見ても、表情はいつもと変わらない。至って真面目なようだが逆に質が悪い。  ただ冷静になってみると、自分もだいぶ早とちりしてしまったような気がする。一緒に居た女が、恋人以外の大切な人と言う可能性を失念していた。 「一緒にいた女の人とはどういう関係なの? 友だち? 家族?」 「赤の他人」  しれっと言う響介に、ちあきの堪忍袋の緒はぶつんと切れた。 「そういう所が適当って言ってるの! そんな奴、信じられる訳ないでしょ!」  その見た目からいって、自分より年上なのは明らかだ。  いい大人がそんなこともわからないのか。子どもじゃないんだからもっと誠実な対応しろ。誰にも彼にも良い顔をしていたら相手に失礼だ。適当なことばかりしていると痛い目を見るぞ。  血管が切れそうなほどの怒号が、矢継ぎ早に飛んでいく。しかし、響介はまるで聞いていなかったかのように、平静を保った顔をちあきにぐっと近づけた。 「他の女と関わらなければ信じるか?」 「えっ」  見たことのない真剣な眼差しに、ちあきの胸が微かに高鳴る。 「食糧のお前を失うのは死活問題だ。信頼してもらわないと困る」  何だそういうことか。一瞬だけ言葉の意味を勘ぐったちあきは、肩透かしをくらってがっかりしてしまった。 「まあそれなら」 「わかった」  溜息混じりのちあきの返事を聞き、響介は彼女の肩に手を伸ばす。 「あっ、ちょっと待った!」 「何だ」  ちあきはバッと顔を上げる。もう一つ聞かなければならないことがあった。 「上の名前は?」 「……は?」 「苗字よ、苗字! あんた下の名前しか名乗ってないじゃない。素性の分からない人間なんて信じられないわ」  とは言いつつも、沙月たちに言われるまでは頼りまくっていた訳だが。残された道が無かったとは言え、自分でもどうかしていたと思う。 「どうせ調べたって出てこない」 「何か言えない理由があるの? 余計怪しいじゃない」  ちあきの訝しげな表情に頬を引きつらせると、響介は観念した様子で口を開いた。 「不知夜(いざや)響介。それが俺の名前だ」 「……変わった名前してるのね」  響介は機嫌悪そうに鼻を鳴らす。 「この名前は好きじゃない。今まで通り呼ばないと助けに行かないからな」 「わかったわよ」  ちあきの返事を聞いて納得したのか、響介はようやくといった感じで彼女の首元に噛みついた。 「痛っ」  しばらくぶりの感覚に、ちあきは思わず声を上げてしまう。点々と残る痕がようやく消え始めた所だったのに。落胆したちあきは抵抗するのも嫌になり、響介にその身を委ねた。爽やかな緑の風が吹き抜ける中、彼女の周りだけが熱を帯びていく。  しばらくして、頭を溶かすような体温から解放される。どうやら満足したらしい。響介は傷口を舌でなぞると、首元からそっと顔を離した。 「やっぱり、お前のが一番美味い」 「全然嬉しくない」  ちあきは顔をしかめ不満を露わにする。少しは気分を害することが出来るかと思ったが、それくらい何てこと無いようだ。響介は何食わぬ顔で身を翻すと、ちあきに向けて肩口から視線を寄越した。 「まあいい。用は済んだから行くぞ」  その言葉に、ちあきはきょとんとする。  「送って行ってくれるの?」 「守るって約束だろ? それに、一人で帰らせたら、さっきの奴らの信頼が落ちる」  それがわかるのに、何故自分の適当な部分が理解できなかったのか不思議でならない。ちあきは何だか腑に落ちないまま、響介とともに二人のもとへ向かった。   風がざわめき、彼らが去った木々の影から一対の視線が覗く。 「……ふうん、面白い」  視線の主はにやりと笑うと、静かに林の奥へと消えて行った。  学校の近くまで戻ると、落ち着きなく待っている沙月たちが目に入った。 「あっ、ちあきーっ!」  沙月はちあきを見つけるや否や、猛スピードで彼女に駆け寄って行く。 「良かった、ちゃんと帰ってきて……!」  沙月は涙で顔をぐずぐずにしながら、ちあきの無事を確かめるようにその頬を撫でた。少し遅れて沙月の後ろに宙が追いつく。彼はちあきを見て安心した表情になると、すぐさま響介にきつい視線を投げ付けた。 「俺たちはまだ信じたわけじゃありません。もしちあきに何かするようなら、こっちは容赦しませんから」  宙の咎めるような目付きに、響介は関心のなさそうな表情を向ける。 「安心しろ。俺が裏切ったところで得がない。そっちが裏切らない限り約束は守る」  響介は三人に背を向けて、その場を後にした。 「次に呼ばれるのを楽しみにしてる」  不敵な笑みで、ちあきにとって最悪な言葉を残して。
/50ページ

最初のコメントを投稿しよう!

14人が本棚に入れています
本棚に追加