8 悲劇の一族

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8 悲劇の一族

「まず、そうね。吸血鬼っていうのは元々人間なの」  大きな影がかかる橋の下で、佳哉は軽やかに口火を切った。 「ただ、世間一般で知られているものとは少し違うわ。ゾンビでも幽霊でもない。特殊変異した人間とでも言えばいいかしら」 「特殊変異?」  ちあきの問いに、佳哉は神妙な面持ちで頷く。 「始まりは五百年前。とある山奥の村に住む男が天からのお告げを聞いて、突然画期的な医療技術を編み出したの。にわかに信じがたい話だけどね。それを人のために役立てようと、村人たちは研究を始めた。禁忌とされていた人体実験にも手を出したけれど、それらは失敗に終わる。この実験の副産物こそが、私たち吸血鬼よ」  ちあきの背筋に悪寒が走る。突飛だが嫌に現実味を帯びた内容だ。息を殺して耳を傾ける二人に、佳哉は続きを語っていく。 「私たちは超人的な力と半永久的な命を持つ代わりに、大量の血液を減少する。言わば超燃費の悪い身体ってところね。だから生命維持のために血を欲しているの。そして、その姿を見た他の人間たちに、吸血鬼と呼ばれるようになった」  次々と情報が押し寄せ、ちあきの頭は熱を帯びてくる。悲し気な佳哉の表情が、重々しく沈んでいく心に拍車をかけた。 「一応普通の食事でも栄養は取れるけど、人の何倍もの量を食べなければならないの。だから血を取り込んだ方が早いってわけ」  最後まで聞き終えると、ちあきは内容を必死に整理し始めた。ひとまず理解は出来たが、同時にある一つの疑問が湧いてくる。 「ということは、佳哉さんも誰かの血を?」  佳哉に向けた視線に畏怖が孕む。しかし、彼は気にも留めない様子で口を開いた。 「えぇ、でも私は響介と違うやり方よ。さっきも言ったように吸血鬼も元は人間だからね。上手いこと普通の人間社会に溶け込んで暮らしているの。やり方は人それぞれだろうけど、私は秘密のルートを使って血液バンクから買い付けているわ」  彼が人の首に噛みつく姿を想像してゾッとしたちあきは、その言葉を聞いて安堵した。 「よく聞いて。大事なのはここからよ」  彼女の警戒心が緩まったのを察したのだろうか。人差し指を立てて、険しい顔で近づいて来た佳哉に、ちあきは息を飲む。 「私たち一族には暗黙の了解があるの。それが人間に害を与えないということ」  何でも一族が生まれた頃は厳格に守られていたそうだが、最近になって掟を破る者が現れ始めたらしい。 「自由を求めて人間を支配下に置こうと企む強硬派、人間と共存することを望む穏健派。一族はこの二つに分かれて軋轢が生じている状態なの」  佳哉は顔を離すと、ちあきに憐憫の眼差しを向けた。 「ちあき、貴女は一族の問題を左右する存在と言っても過言でないわ」 「そっ、そんなこと言われても……」  どう足掻いても逃げられない。そう宣告されたように感じ、ちあきの目の前は真っ暗になった。胸中で恐怖と疑問とが混ざり合い、思考を乱していく。彼女が泣き出しそうな顔で身を縮めると、沙月がその背中を優しく摩った。 「安心して。私たちは貴女に危害を加えたりしないわ」  その言葉に、二人は期待に満ちた瞳で佳哉を仰ぎ見る。凄い勢いで顔を上げたからなのか、彼は困った様子で苦笑した。 「響介が味を占めて血を強請っているから、説得力に欠けるんだけどね」  それに関して悪いのは、響介ただ一人だ。今だって、彼が説明する後ろで突っ立ったままそっぽを向いている。佳哉が何故こんな無愛想野郎の世話を焼くのか謎である。 「私たちはどちらの派閥にも所属しない、中立の立場を取っているの。だから、穏健派にも強硬派にも貴女を渡したりなんかしないわ」  佳哉の頼もしい笑顔に感極まり、ちあきは情けない顔になってしまう。 「あの、ありがとうございます。でもどうしてそんなに良くしてくれるんですか?」  おろおろと遠慮がちにされた質問に、佳哉は「うーん」と唸り声を上げた。 「私たちも、貴女みたいに理不尽な目に遭って来たから……ってとこね」 「佳哉」  ずっとだんまりを決め込んでいた響介が、佳哉を咎めるように睨みつける。 「わかってるわよ」  佳哉は仕方ないなと言う風に、わざとらしく肩を竦めた。 「とにかく、そういう訳だから。響介のことも気にしなくていいわよ。見返りなんてなくても、ちゃんと守ってあげる」 「えっ、そんな訳には……」 「いいのいいの! ただ世話を焼きたいだけなんだから!」  佳哉は響介の胸倉を掴むと、「いいわね!?」と凄みのある顔で返事を迫っている。 「……あぁ」  至極不満そうではあるが、響介はそれを承諾した。言わされている感満載である。 「でも」  何故か納得が行かず、ちあきは反論の声を上げた。力んだ肩にそっと手が置かれる。振り返ると、沙月が困ったように笑っていた。 「こう言ってくれてるんだし、もういいんじゃない?」  彼女の言う通りだ。遠慮することはないはずなのに、素直に受け入れられないのはどうしてだろう。酷く衰弱した響介を目の当たりにしたから? 同情したから? それとも、借りを作りたくないから?  困惑していたその時、頭に降りた一つの考えは脊髄反射のように素早く口をついた。 「あの、私の血を飲むと強くなるんですよね!?」 「えっ? まあ、そうね」  突然の大声に、佳哉は目を丸くする。 「そしたら、やっぱり私の血をあげます。その方がちゃんと守ってもらえるし……」  徐々に言葉尻が小さくなるちあきを見て、佳哉はちらりと響介に視線を寄越した。 「だってさ。良かったわね、響介」 「当たり前だ。礼がないとやってられるか」  響介は再び胸倉を掴まれ揺さぶられた。この男は意外と馬鹿なんだろうか。  ちあきが呆れた目で響介を見つめていると、佳哉は投げ捨てるように響介から手を離して彼女に向き直った。 「でも、限度は考えなさいよ? そうでないと、敵にやられる前に貧血で倒れちゃうからね」  大丈夫、何かあったら私が響介をぶっ飛ばすから! 身構えた様子のちあきに、佳哉は拳を握って見せた。 「ありがとうございます」  佳哉のおかげで、少しだけ肩の力が抜けた気がする。ちあきの顔にわずかな笑みが戻ると、佳哉も満足そうに顔を綻ばせた。 「他に何か聞きたいことはある?」 「はいはい!」  沙月が元気よく手を上げる。 「あの、さっき半永久的に生きるって言ってましたけど、寿命とかってあるんですか? ていうか今いくつですか?」  オカルト好きな彼女にとっては見逃せない話なのだろう。ここぞとばかりに質問をするところは本当に沙月らしい。 「寿命に関しては、私たちもよくわかっていないの。一族の歴史自体がまだ浅いからね。ただ、初めの一族は四百歳くらいでなくなったわ。私たちは百歳くらいかしら」 「おぉ!」  佳哉の答えに、沙月は興奮して鼻息を荒くする。 「それと普通の人間と一緒で、病気や事故でも死ぬわ。ただ、身体が強いからちょっとのことじゃ影響されないの。老化するスピードも違う。だから半永久的な命ってわけ」 「なるほど!」  いきいきと話を聞く沙月に気を良くしたようで、佳哉は得意気に口を開く。 「でも、一つだけ確実な弱点があるの。それが心臓。そこを一突きされたら、さすがの吸血鬼も終わりよ」  その言葉を聞き、ちあきは初めて響介に会った時のことを思い出した。この男は、心臓を打たれそうになっても飄々としていた気がする。そして自らを死なない体だと言っていたはずだ。一体どういうことだろう。  ちあきが考えていると、佳哉がふいに腕時計を見やった。 「さてと、私もう仕事に行かなくちゃ。あんたはどうするの?」 「別にどうも」  響介の不愛想な答えに、佳哉は溜息を吐く。 「そう言えば、家ってどうしてるんですか? 戸籍とかは?」  ふと出た沙月の質問に、佳哉は一瞬戸惑った様子を見せた。 「吸血鬼を生み出した村人たちのことを覚えてる? 私たちは研究員って呼んでるんだけど。彼らは先祖代々、吸血鬼の生活を支えることを役目としているの。贖罪って奴かしらね。彼らは人間界の各所に散らばっていて、その中でも役所に勤める人が上手いことやってくれるのよ。だから、ちゃんと家も借りられるし仕事も貰えるわ。だけど」  佳哉の視線はそのまま響介にスライドする。 「響介はついこの間、仕事辞めちゃったのよねー?」 「余計な事を言うな」  佳哉のからかうような物言いに、響介は苛立った声を上げる。 「何のお仕事をしてたんですか?」 「見た目通りホストをやってたの! お店じゃナンバーワンだったんだから!」 「えっ!?」  佳哉の答えを聞いて、今までの記憶が高速でよみがえった。祭りの夜に見かけた女性は、客だったのではないかという考えが過る。そうだとすれば、自分はだいぶ失礼をやらかしていたんじゃないだろうか。 「どうかした?」 「あっ、いえ、何でもないです……」  佳哉に不思議そうな目を向けられ、ちあきは首を振った。慌てふためいているのは、彼女一人だけだ。当の本人ですら何でも無いような素振りである。もとはと言えば響介がはっきりと答えなかったのが原因だが、今さら蒸し返しても仕方ないだろう。ちあきは、胸中に広がったモヤモヤを何とかして収めた。 「それにしても勿体ないですね。ナンバーワンなら稼げるだろうに」 「そうよねえ。本当にしっかりしてくれないと」  沙月の言葉に、佳哉は頬に手を当てて困ったように溜息を吐く。 「もう、私だっていつまでも世話してられないんだからね!」 「頼んでない」 「きーっ!」  佳哉は三度(みたび)響介の胸倉を掴むと、金切り声を上げながら彼を揺さぶった。漫画の中だけでしか聞かないような声に、ちあきは思わず笑いそうになる。 「全くもう……!」  どれだけ揺さぶられても響介は無反応だ。怒るだけ馬鹿らしいと思ったのだろう。佳哉は彼から手を離した。何だかダメ息子とその母親に見えて来る。 ちあきがそんなことを思っている間に、佳哉は呼吸を整えて背筋をしゃんと伸ばした。 「とにかく、今日は帰るわね。また何かあったら呼んで頂戴」  そう言って二人に連絡先を渡すと、佳哉は響介を引きずりながら帰って行った。 「痕までつけて、随分と気にしてるのね」  響介の隣を歩きながら、佳哉はほくそ笑んだ。 「あの方が場所を特定しやすいだけだ」 「誰よりも鼻が利くあんたに必要かしら?」  おちょくるような口ぶりの佳哉を、響介はきつく睨みつける。 「まあ、あの子にとってはその方が安心でしょうけど」  佳哉は余裕な態度で微笑んで、彼の視線を軽く受け流した。 「一族に対する牽制の証を付けるなんて、よくやったものだわ」  そう言うと、佳哉は響介に冷ややかな流し目を送る。 「敵はあんたを狙ってくるわよ」 「わかってる」  端的な返事で話が締め括られた時、二人はちょうど目的地である繁華街に着いた。 「じゃ、私こっちだから」  佳哉は「またね」と手をひらひら振ると、たくさんある路地の一つに消えて行った。少し奥まった場所に位置するバーが彼の仕事場である。響介は佳哉の背中をしばらく見つめた後、再び雑踏の中に紛れて歩き出した。  痕を付けたのは、どう転がっても自分は奴らの敵になるとわかっていたからだ。それならば、少しでも彼女を見つけやすいようにと思っただけのこと。特別に彼女が気になると言う訳ではなく、打算的な考えから来る行動だった。  いつの間にか、一族の間に生まれた謎の風習。気に入った人間の首に、吸血鬼が苦手とする十字の印を刻むことで、誰にも渡さないと周りに宣言する意思表示の方法。何が作用してそうなるのかは不明だが、付けられた痕は滅多なことでは消えない。そして、肉体に深く侵食したことにより、吸血鬼は相手の存在を強く感じることが出来るようになる。  こんなもの一部の低俗な輩の行いだ。そう思っていた響介は、自分がすることになるなんて想像もしていなかった。人間も吸血鬼も、彼にとっては恨みの対象でしかないのだから。
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