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9 探偵ごっこ
その日は何事もなく授業が終わり、ゆっくりと帰り支度をしている所だった。
「ちあき、出掛けるわよ!」
彼女のもとに、意気込んだ様子の沙月がやって来た。
「出掛けるってどこに?」
「決まってるでしょ! 素行調査よ!」
そんな話題になる人物は、今現在一人しか思い当たらない。突然叩かれた机の音に驚いていると、その隙に沙月は近くにいる宙を強引に連れて来た。
「俺、部活あるんだけど!」
「大丈夫、部長さんにはもう話つけてあるから!」
「何でっ!?」
いつの間に手を回していたのだろう。こういう時の沙月は異常なほど行動が早くて、ちあきはいつも驚かされてしまう。
「別に今日じゃなくたって」
不満そうな宙に、沙月は「甘い!」と一喝した。
「情報収集は早さと正確さが命なの。あの男が悪者であると仮定してごらん。モタモタしているうちに、疑われるような証拠を消しちゃうかもしれないんだよ?」
的を射た意見に、宙は押し黙る。そして数秒後、観念したように溜息を吐いた。
「わかった。二人だけで行かせるのも危ないし、一緒に行くよ」
「そうでなくっちゃ!」
沙月は満面の笑みを浮かべて、ぱちんと指を鳴らした。
建物の影から小さな望遠鏡で辺りを見回し、沙月はニヤリと口を歪める。
「ターゲット発見。暑苦しい服着てるから、わかりやすいわね」
通学路を右手に逸れた先にある、商業施設やオフィスビルが立ち並ぶ繁華街を、響介は一人で歩いていた。
「よく場所がわかったね」
沙月は何の迷いもなく、二人をここまで案内してきた。感心して言うちあきに、彼女は得意げな様子で口を開いた。
「この辺でフラフラしていてもおかしくないのは、こういう人が集まる場所だけよ。住宅街や人気のない所を歩いていたら怪しまれるからね」
「なるほど」
さすが、普段から調査をしているだけのことはある。情報などないに等しい状態から、よく探り当てたものだ。
「さあ、見失わないように追いかけるわよ!」
望遠鏡を懐に仕舞った沙月に手招きされ、二人は足を踏み出した。彼女に言われた通り自然体で歩き、周囲の人々に紛れながら響介を追う。最初にいたビルの通りはオフィスがほとんどで、そのまま道なりに大通りを進んでいくと、商業施設が密集するエリアに続いている。基本的には老若男女が訪れる健全な面構えだが、一歩脇に入れば飲み屋や怪しいネオンの光る店が犇めいているような場所だ。
「いったい何処に行くのかしらねえ」
ニタニタと笑う沙月の視線の先を追う。
彼は輸入雑貨店やコーヒー専門店、ドラッグストアや花屋など、まったく関連性の見えない経路を辿っていた。時折妙齢の女に言い寄られていたが、彼は適当にあしらいまた進んでいく。十分と少しほど尾行している間に、彼の手はちぐはぐな荷物でいっぱいになっていた。
「すごい量ね……」
そんなことを言っていると、響介がふいに路地裏へ進路を変えた。
「おっと、急いで!」
沙月に言われて、小走りで彼の入った路地裏に足を踏み入れる。山積みになっているビールケースや、エアコンの室外機などに身を潜めながら追跡を続けていると、いくつ目かの角を曲がった所で、彼の姿は忽然と消えてしまった。
「えっ、足早っ!」
「見失うような距離じゃなった気がするけど……」
沙月と宙が不思議そうに顔をしかめていた、その時だった。
「おい」
「「「わあ―――っ!」」」
突如背後からした声に、三人は揃って飛び上がった。身を寄せ合いながら振り返る。そこには、前方にいたはずの響介が涼やかな表情で立っていた。三人の顔から、ダラダラと滝のような冷や汗が流れる。
「いつの間に!?」
「さあな」
沙月の至極当然な問いを、響介は淡々と煙に巻く。
「もしかして、尾行してることに気づいてたんですか? 何で?」
「それ」
響介はちあきの首元を指さす。制服の襟首を少し捲ると、そこからまだ新しい十字の痕が覗いた。
「何これ?」
「あ、そういえば……」
それは、約束を交わした日に響介がつけた痕だった。自分を探すための目印だと言われていたが、日が経つにつれて見慣れてしまい、すっかり存在を忘れていた。
「俺にしか分からない目印だ。それがある限り、お前らの場所は筒抜けなんだよ」
「プライバシーの侵害って言葉、知ってます?」
「嫌なら消すか?」
沙月の言葉に、響介は何食わぬ顔で言い返す。その睨み付けるようなじとっとした目からは、消すのは勝手だがその後の責任は取らないぞ、という意思が読み取れた。
「このままでいい」
「えぇっ!?」
ちあきの答えに、二人は驚きの声を上げる。
「ていうか、場所がわかってたってことは、私たち弄ばれてた!?」
「鬱陶しいから撒こうとしただけだ」
「どっちにしろムカつく!」
激しく地団太を踏む沙月を見ながら、響介は溜息を落とした。
「用事があるなら、回りくどい真似をするな」
彼は辛辣な物言いをしながら、三人に進むよう急かした。目的地について来いということらしい。
気が収まらない様子の沙月を二人で宥めながら、一行はその場を後にする。響介の背後に見える曲がり角からは、打撲痕だらけの腕が地面に這いつくばって覗いていた。
響介に案内されたのは、繁華街の奥まった場所にある小さなコテージ風のバーだった。入口前の看板によると、日中はカフェとして営業しており、未成年でも入れる場所となっているらしい。
響介が扉を開けると、入店を知らせる軽やかなベルが鳴った。休憩時間のためか客はおらず、自然光で満ちた店内は優しい静けさを保っている。壁やインテリアは焦げ茶色の木材で統一されており、漆塗りされたバーカウンターや、端にひっそりと置いてある観葉植物が小粋な感じの内装だ。
ちあきたちが見入っていると、バーカウンターの奥から、小さな足音が近づいてきた。
「あぁ、おかえり! おつかいご苦労様」
顔を出したのは、白いカッターシャツと黒のカフェエプロンに身を包んだ佳哉だった。
「佳哉さんっ!?」
「あらっ、ちあきじゃない! どうしたの?」
彼はちあきたちの存在に気づくと、ぱっと表情を明るくした。
「この近くで響介と会いまして。あの、もしかしてここって……?」
「そう、私の職場よ! 何だ、響介はまた説明してなかったの?」
呆気に取られている三人を見て、佳哉は「全くもう」と腰に手を当てた。
「この店人手が足りなくてね。響介が暇してたから、買い出しを頼んだのよ」
そう言って響介から荷物を預かると、佳哉は三人をカウンター席に案内した。その間に、響介はカウンターの斜め後ろにあるテーブル席を陣取っている。
「何か飲む? 私が奢るわよ」
「いえ、そんな」
「子どもは気にしないの! さ、何が良い?」
強引に押し切られ、三人はアイスティーを注文した。佳哉はガラスのコップに注いでそれぞれの前に置くと、再び三人に向き直った。
「そこの彼は初めましてよね。私は夏出佳哉。響介の友だちなの。よろしくね」
「藍井宙です。よろしくお願いします」
慣れない場所ということもあってか、宙は少し緊張した様子で挨拶を返した。
「いろいろと困惑してるでしょうけど、貴方たちの味方だから安心して頂戴ね」
「はい」
宙の返事を聞くと、佳哉は微笑みながら首を傾げた。
「ところで、今日はどうしたの? この辺に用事があるなんて珍しいのね?」
「あ、いや、それが……」
まさか、響介を尾行していただなんて言える訳がない。
三人が答えに窮していると、二階から途轍もない勢いで階段を下ってくる音がした。
「響介ちゃーん!」
カウンター脇の扉を開けるや否や、現れた体格のいいベリーショートヘアの男は、物凄い勢いで響介に飛び付いた。響介は足を踏ん張ることで、巨体の繰り出す衝撃を何とか受け止めている。佳哉と同じ格好ということは、ここの店員だろうか。
「久しぶりっ、買い出ししてくれてありがとね! 本当に助かるわぁ!」
猫撫で声の店員は、彼の胸の中で顔を上げると目に小さな涙を浮かべた。随分と響介のことを気に入っているようだ。
「鬱陶しい」
「あぁん! いけず!」
店員は拗ねた様子で彼から手を離した。
「ところで佳哉、その子たちは?」
「私の知り合いなの」
傍らにやって来た男に、佳哉はにこりと笑う。
「三人とも、紹介するわね。彼はこの店のオーナーをしている薫子よ」
「よろしくねっ」
佳哉に言われると、薫子は太陽のように明るい笑顔を見せた。気さくで良い人そうだ。
三人は安心した様子で、彼に名乗って頭を下げた。
「お店に来てくれてうれしいわ……って、もうこんな時間! 看板出してくるわね!」
「ありがとう」
薫子は時計を見ると、パタパタと店の外に出て行った。
「あっ、薫さーん!」
「二人とも、いらっしゃーい!」
外で誰かと会話している声がした後、来店を告げるベルが鳴る。入口を見ると、露出の多い服を着た小綺麗な女が二人いた。そのうちの一人には何だか見覚えがある。
「佳哉さん、来たよー! ってあれ!?」
「響介がいるーっ! 何で何で!」
派手で大人びた格好とは裏腹に、女たちは無邪気に騒ぎ始める。
「……うるさいのが来た」
「ちょっと、失礼なんですけどーっ!」
彼が頬杖をついて辛辣に言うと、女たちは二者二様に詰め寄った。
「すぐ会えないかと思ってたからうれしーっ」
「何で急に辞めたのよー? ホストだったから堂々と連れ歩けたのにさあ! イケメンとのふれあいが足りなすぎるんだけど!」
「ちょっと、二人とも落ち着きなさいよ」
ぎゃいぎゃいと畳みかける二人を見かねて、薫子が会話の輪に入る。その様子を見ながら、ちあきはハッと思い出した。見覚えがあると思った盛り髪の彼女は、祭りの夜に響介と連れ立っていた人物だ。
「お知り合いの方ですか?」
呆気に取られていた宙が、佳哉に問う。
「あの子たちはね、響介が働いていたお店と同じビルにあるキャバクラで働いてるの。ここの常連よ」
「あー、なるほど」
言うなれば、同じ界隈の仲間といったところだろう。急に出来た顔面偏差値の高い集団に、宙は納得した様子で頷いた。
「やっぱりモテますね」
感心したような沙月の呟きを、佳哉は違う違うと笑い飛ばす。
「全然そんなんじゃないのよ。もっとフランクな感じ。おじさんの相手ばっかりしてると、たまにイケメンを連れて出かけたくなる時があるんですって。あぁ、ちなみに、響介が吸血鬼だってことは知ってるわよ。同伴の見返りに血を貰っていたから。ただ、仕事柄なのか、あまり深入りはしてこないけどね」
佳哉の答えを聞いて、ちあきは何故か少しほっとしていた。その理由に首を傾げていると、片方の女が長く真っ直ぐな茶髪をなびかせて、ちあきたちのもとに駆け寄ってきた。
「ってか珍しいね! この時間に他のお客さんがいるなんて。佳哉さんのお友だち?」
「そうよー」
佳哉に言われると、女はちあきたちを眺めながら、可愛いだの肌がきれいだのと一人で盛り上がっている。
「今学校が終わったの?」
「はい、そうです」
「いいなあ、私たちはこれから仕事だよお」
ちあきの返答に、彼女は羨ましいと言わんばかりの様子で項垂れた。
「ねえねえ、そう言えばさあ。ずっと気になってたんだけど。佳哉さんって、響介と付き合い長いんでしょ? どういう出会いだったの?」
思い出したように女が言う。それはちあきも気になっていたところだ。
「話すと長くなるわよ?」
「いいよ、聞かせて聞かせて!」
話すように急かされ、佳哉は少し目を伏せた。
「響介と出会ったのは私が五歳くらいの時ね。見てわかる通り、私は物心ついた時から自分を女だと思ってたの。可愛いものが大好きで、親から与えられる男の子の服や玩具が嫌で仕方なかった。そのうち親や周りの子どもたちに邪険に扱われるようになって、私は一人ぼっちになったの」
そこで話を区切ると、淀んで見えた佳哉の顔に明るさが浮かんだ。
「そんなある日、私と同じように一人でいる男の子を見つけた。それが響介よ。私が思い切って声を掛けたら、すんなりと受け入れてくれてね。幼くても、私が人と少し違うことくらいわかってたはずだわ。それなのに何も聞かないでそばにいてくれた。それからずっと一緒なの」
彼の話を聞いて、ちあきの脳裏に祭りの夜のことがよみがえった。後ろの席で、薫子たちと話している響介を覗き見る。涙を流す自分をそっと抱きしめてくれた時、確かに彼の心の温かさを感じた。その不愛想な態度のわりには、優しい人物なのかもしれない。しかし、それだけで判断するのは危険だ。ちあきは騙されないぞと頭を振る。
「何それめっちゃ泣けるーっ!」
隣を見ると、女はサバサバした容姿からは想像がつかないくらい豪快に涙を流していた。こうも感動されたら佳哉も本望だろう。彼は頬を淡く染めて、くすくす笑っていた。
「それよりも、ほら。貴女注文はどうするの?」
「あっ、そうだった! 早く食べなきゃ!」
メニュー表を受け取った彼女は、「響介も一緒に食べるー?」と後ろを振り返る。
「俺は帰る」
「えーっ、つまんなぁい!」
さっさと店を後にしようとする響介を見て、傍らにいた盛り髪の女がついて行く。扉を開けて店のすぐ外に出たところで、響介は彼女に言った。
「悪いが、大通りに出るまであいつらと一緒に帰ってくれないか?」
「ん? わかったぁ。またねーっ」
突然のことに戸惑った様子を見せながらも、彼女は響介を見送った。
山奥にある古めかしい洋館に、一つの足音が近づいていた。
「要様は何処!」
豪奢な玄関扉を開け放つと、女は切迫した様子で言った。偶然ホールにいた白衣の男は、呆気に取られながら答える。
「執務室にいると思いますけど……」
「ありがとう」
男の声を遮るように言うと、彼女は階段を駆け上がった。長い廊下を走り抜け、突き当りの部屋に辿り着くと、扉を強くノックした。
「どうぞ」
扉を開けると、部屋の正面にある執務机に座っていた男が顔を上げた。スーツベストを纏い、銀縁眼鏡を掛けた落ち着きのある面差しは、何処か学者然としている。
「どうされたんですか?」
「大変なんです! 最近、町に下りている人たちが問題を起こしてばかりで!」
どうにかしてください! 女は机に両手をつき、身を乗り出して訴える。
「詳しく話して頂けますか?」
男は万年筆を置いて手を組むと、彼女に神妙な顔で言った。
「それが、町に特別な血を持つ少女がいるらしくて……」
切り出された話に、男の手は嫌な汗で滲んだ。
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