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その数日後、いつものように砂浜でただボンヤリと海を眺めていた茂吉は、波打ち際で寄せる波の中に白いものがあるのに気付いた。
そこへ近付いてみると、それは茂吉がこの巨木の元に埋めた湯飲みだった。
それを手に取って隅々までじっくりと目を凝らすと、確かに村人達が話していた通り、茂吉の湯飲みにある模様の一部が消えていた。
一見して、そうとは気付かないほどの違い。
それを目の当たりにした茂吉は、この巨木にまつわる噺が真実だったと考えを改めたようだった。
「鏡だけじゃなく、湯飲みまで……ですか!」
「な? 面白いだろう?」
茂吉は、まるで子供が自慢げにするような笑みを浮かべている。
ただでさえ巨木の持つ妖力に圧倒されていた私は、なおも尊敬の眼差しを目の前の巨木へ向けた。
そして、私も何か試してみたいという衝動に駆られた。
だが、手持ちの金が残りわずかなのもあり、この村を最後に一度故郷へ帰ろうとしていたため、埋めた物が戻ってくるまでの間、この村へ滞在し続けるのも難しい。
そんなことを考えていた私の隣で、茂吉はボソリと呟いた。
「死んだ人とか埋めたらどうなるんだろうな?」
「え? いや、さすがにそれは……」
そう言いつつも私は、茂吉が呟いた言葉の先にある答えを知りたいとさえ思ってしまった。
「そんなことをしたら、バチが当たりそうじゃないですか?」
私はふと脳裏を過ぎってしまった考えを払拭するように、茂吉へ目を向けた。
「しない、しないって。そんな恐ろしいこと」
そう言って笑い飛ばした茂吉もただ単に、ふと疑問に思ってしまったことを口に出してしまっただけで、本気でそれを試そうとは思ってもいないようだった。
私は取り出した筆で、目の前にたたずむ巨木を絵に書き写そうとした。
神々しいまでの巨木をこの目に焼き付けるとともに、その姿を形として残しておきたかった。
山を下りて村に辿り着くと、遠くでこちらに大きく手を振っている女性が見えた。
その女性は、長の娘のキヌだった。
村人達はおろか、家族からも嫌われていた茂吉が、この村で唯一の話し相手となっていたのがキヌだったが、それを長は快く思っていないらしい。
最初に奇跡を目の当たりにしたというキヌから、直接噺を聞くことができた。
しかし、その内容は茂吉から聞かされた内容と寸分違わず、私は茂吉の記憶力の良さに感心させられた。
キヌから教えられ、ほかにも鏡が戻ってきたという村の娘達に噺を聞いている内に、この不思議噺はより一層信憑性を増していく。
次々と手鏡を見せてもらい、最後に茂吉が大事に取っておいた湯飲みも見せてもらった。
実際にそれらを手にし、模様の一部が消えているのを目の当たりにした私の興奮は、最高潮を迎えた。
故郷へ辿り着いた私は、今回の旅で聞いた不思議噺を書き上げ、一冊の書物として刊行した。
巷では物の怪といった類の絵が描かれているものが特に人気で、私のようにそのほとんどが文字で連なっているものは、それほどの人気を得ることは叶わなかったが、それでも何冊かは誰かが手に取ってくれたようだ。
この足で集めてきた各地の不思議噺が、こうして一人でも多く誰かの元へ届いてくれたと思うと、実に感慨深いものがある。
私はこれからも不思議噺を集めるため、旅に出続けようと思う。
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