ジョシュア・サンチェスの波乱の半生 ~あるダメ男の物語~

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ジョシュア・サンチェスの波乱の半生 ~あるダメ男の物語~

 ここは「神聖帝国」であるが、しばらくして「神聖ローマ帝国」を名乗ることとなる国である。  この世界の情勢は、13世紀頃の中世ヨーロッパにそっくりであるが、過去の地球なのかというと、さにあらず。  その証拠に、この世界には月が2つあった。  一つ目の月は前世でなじみのある月そのものであるが、もう一つは小さくて暗い。こちらは新円ではなく、歪んでおり、じゃがいものような形をしていた。  この世界はいわば異世界。  魔法が普通に存在し、森には摩訶不思議な魔獣が跋扈(ばっこ)するファンタジーな世界であった。     ◆  ジョシュア・サンチェスは神聖帝国のフランケン公国にあるマインツ大司教領の片田舎でサンチェス家の次男として生まれた。  実家は農家である。  農民にもいくつか階層があり、自分で土地を所有して領主からの週賦役を負う義務がない自由農民、週賦役を課せられる小作人、土地所有者の支配下で農作業を行う農奴、金銭で身柄を売買される奴隷がいた。  また、土地を相続できない農民の次男以下の者には、農地の所有も貸借もせず、金銭で雇われ働く農民もいた。  ジョシュアの家はこの中の小作人であり、耕作する土地も広いとは言えず、生活は苦しかった。  まして、ジョシュアは次男であるから後継ぎになれないことは目に見えていた。     ◆  父は教養のない大人しく生真面目な農夫だったが、生来の不器用で、妻の助けなしには生活が立ちいかないような男だった。  母はさる商家の娘で、珍しく読み書きや計算もできる賢い女で、面倒見の良い肝っ玉母さんだった。  ジョシュアは父に似たのか大人しく不器用で、何をやっても中途半端であり、取り立てて取り柄のない子供だった。  そんなジョシュアに、母は懸命に読み書きと計算を叩き込み、簡単な単語の読み書きやごく簡単な計算だけはなんとかできるようになっていった。  そんなジョシュアを村の同じ年頃の子供たちは馬鹿にし、いじめもどきの行為も受けていた。抵抗しようにも腕っぷしはからっきしダメだった。  そんなジョシュアは一人河原で石を投げて時間を潰していると、水面に投げた石が偶然ぴょんと跳ねた。いわゆる水の石切りである。  ジョシュアは面白くなって夢中になって石の大きさ・形、回転のかけ方、水に投げ込む角度などを研究し、20段など当たり前にできるようになった。  これを見かけた村の子供がいた。 「ジョシュア。凄え! それ何だよ?」 「石切りっていうらしいよ」 「俺にもやり方を教えてくれよ」 「いいよ」  ジョシュアは惜しみなく研究したコツを教えた。  すると村の子供も上達し、2段、3段とできるようになったが、5段ぐらいがせいぜいだった。  そのうち子供たちが集まってきて、石切りがブームとなっていった。  20段が軽くできるジョシュアを、子供たちは石切り名人ともてはやし、これをきっかけに、いじめもどきの行為は行われなくなった。     ◆  この世界では男は14歳ごろ、女は12歳ごろに成人とされたが、7歳ころから見習いを始めるのが習慣となっていた。  ジョシュアも7歳となった。  母は、家を継げないジョシュアの見習い先を探してきては見習いに出すのだが、不器用なジョシュアは、才能がないと言われては戻されてしまう。  これが何度も続き、(あとは雇われ農民でもやるしかないか)と(あきら)めかけた時、実家の商家からロートリンゲン地方の上ロタリンギアにあるモゼル公国のさる老騎士が従卒の見習いを探しているという話を聞いた。 「ジョシュア。兵隊さんの見習いをやってみないかい」 「うん。いいよ」  腕っぷしに自信がないジョシュアは気が乗らなかったが、大人しい彼は母の提案に抵抗する気概もなかった。     ◆  モゼル公国まではかなりの距離がある、ジョシュアは、母に連れられて(くだん)の老騎士のもとを訪ねた。  ジョシュアの母が頭をさげた。 「どうかよろしくお願いいたします」  老騎士は言った。 「まずは、腕前を見せてもらおうかの。おい、おまえ相手をしてやれ」  ジョシュアより少し年上の従卒見習いが相手をすることになった。  ジョシュアに練習用の木剣が渡される。剣を持つのは初めてだったが、相手の持ち方を見様見真似でなんとか構えた。 「では、始め!」  ジョシュアは必死に剣を打ち込んだ。  が、ヘロヘロな太刀筋は相手にかすりもしない。  これを見て相手は手加減してくれているようだが、ついに(しび)れを切らしてジョシュアを打ち()える。  まともに剣撃を受けたジョシュアは大の字にのびてしまった。 「ジョシュア!」  母が駆け寄り、抱き起すとジョシュアは目を開けた。これを見てほっと胸をなで下ろす母。  老騎士は言った。 「ダメじゃな。これは…ほかに何か取り柄はないのか?」 「水の石切りなら得意です」 「石切り? それが何の役に立つ」  そう言われ、ジョシュアの心は(しぼ)んだ。  母が(わら)にもすがる思いで言った。 「簡単な読み書きと計算ならできるのですが…」 「ほう…」  老騎士は考えた。  兵隊に求められるスキルは剣の腕だけではない。  伝令はある程度の読み書きができる必要があるし、輜重(しちょう)部隊であればある程度の計算能力も必要だ。 「いいだろう。剣の腕はこれから鍛えれば何とかなるじゃろ。まだ小さいんだし…」 「ありがとうございます。ありがとうございます。」  ジョシュアの母は感激して何度も礼を言った。     ◆  あっという間に時は過ぎ、ジョシュアの14歳の成人を迎え、なんとか新人の従卒となることができた。  剣の腕は相変わらずで、最下位とまではいわないが、下から数えた方がずっと早い程度の腕前だった。  新人の従卒の仕事に城の夜回りがある。  ある日。夜回りをしていると、ひっそりと城を抜け出そうとする人影があった。  すかさず松明(たいまつ)で照らすと、(まぶ)しさで人影は立ちすくんでいる。 「誰だ!」とジョシュアは誰何(すいか)した。  人影は灯りで照らされた眩しさに腕で顔を覆うが、女性であることは一目瞭然だ。 「まさか。姫様?」  この城の女性で剣を使うものなどモゼル公爵の一人娘であるヘルミーネ以外にいない。 「ここは見逃してちょうだい。私は騎士にならなければならないの」 「まさか城をお出になるおつもりですか?」 「そうよ。あんなお爺さんのところに嫁にいくなんて、まっぴらごめんだわ」 「お考え直しくだせえ。ご領主様のお気持ちもお察しになって…」 「いやよ。あり得ないわ」 「…………」考え込むジョシュア。  そして彼としては一世一代の決断をした。 「お1人ではあまりにも危険だ。せめてあっしをお連れくだせえ」 「………わかったわ。ここを見逃してくれるなら、そうしましょう。あなた名前は?」 「ジョシュア・サンチェスと申します」 「そう。ではジョシュア。あなたもすぐに荷物をまとめていらっしゃい」  こうして2人はひそかに城を出るのだった。     ◆  翌日。2人がいないことに気づき、おそらく捜索隊が出されているはずだが、2人はまだ発見されていなかった。ただ、公国内にいてはいつ発見されるかわからない。一刻も早く国外へ出る必要があった。  しかし、ヘルミーネはお嬢様で剣の修行ばかりしていて公国の地理には明るくない。それはジョシュアも同じであった。 「姫様。あっしの故郷がマインツ大司教のご領地にございます。そこまでの道順ならなんとかわかります」 「『姫様』はおよしなさい。身分がバレてしまうわ。せめて『お嬢様』にしてちょうだい。それにしても…他に方法はなさそうね。とりあえずマインツ大司教のご領地に向かいましょう」  2人は大司教の領地へと道を急ぐ。     ◆  ヘルミーネはとジョシュアは司教座のあるマインツの町に着いた。ジョシュアは大司教の領地といっても田舎の出身であり、マインツの町には明るくない。  様子がわからずきょろきょろとしていると、前方から修道女が早足でやってきた。  ジョシュアは修道女に気づくのが遅れ、ぶつかってしまった。倒れた拍子に腕を擦りむく。 「痛たたた…」 「たいへん申し訳ございません。急いでいたもので…。あっ。怪我をさせてしまいましたね。すぐに治します。腕を見せてください」  ジョシュアは修道女に腕を見せる。 「大した怪我ではなさそうですが、一応治しておきますね。光よ来たれ。癒しの光。ヒール」光の回復魔法だ。  みるみる傷が治り、跡形もなくなった。  ジョシュアは初めての体験に感動している。 「す、凄い」 「では。私は急いでいますので…失礼します」というと修道女は行ってしまった。  ヘルミーネは「もう。頼りないんだから」と文句を言う。しかし、新米兵士に色々求めるのも酷というものであろう。  しばらく町を探索していると、司教座の建物が見えてきた。  そこでヘルミーネは思いついた。 「教会といえばヒーラーがいるのよね。冒険者にはヒーラーが必要よ。教会で紹介してもらいましょう」  しかし、教会に着いたものの、まったく相手にされなかった。  教会は権威ある組織であり、冒険者など見下していることをヘルミーネは知らなかった。お嬢様ゆえの世間知らずとも言えよう。 「何よ。お高くとまっちゃって」  ヘルミーネはぷんぷん怒っている。公爵家の娘であることを明かせば対応も違ったのかもしれないが、今はそれもできない。  ヘルミーネは思案する。  そうだ、先ほど会った修道女はヒーラーだった。あの娘に声を掛けてみよう。少し若かったけれど、腕は確かそうだった。  翌日。ヘルミーネたちは昨日会った修道女がいないか教会の近くで見張っていた。  夕刻近くになって、今日はもうあきらめようと思った矢先、彼女は現れた。 「ちょっとあなた」 「あっ。昨日の…」 「あなたヒーラーなんでしょ。昨日の腕は見事だったわ。私たちの冒険者パーティーに入れてあげてもよろしくてよ」 「あのう。他にメンバーの方は?」 「今のところ私とジョシュアの2人だけね」  悪びれもせず、ヘルミーネは答えた。 「それで魔獣退治というのは、心もとないのではないでしょうか?」 「も、もちろんよ。今はメンバーを充実させようとしているところなの。そういえば名前を聞いていなかったわね。私はヘルミーネ。そしてこちらはジョシュアよ」  ジョシュアは軽く会釈した。 「ベアトリス・フォン・ヴィッテルスバッハと申します。」 「あら。もしかして大司教様のご息女なの」 「そうです。大司教の5女になります」 「あら。5女ともなると嫁ぎ先も期待できないわね。あなたの腕があれば冒険者として生きる方が道が開けるかもしれないわ」  痛いところ突かれるベアトリス。  一人では踏ん切りがつかなかっただけにいい機会ではあるのだが、この2人ではいかにも頼りない。 「今すぐには決断できないので、少し考えさせてください」 「わかったわ。期待して待っているわね」  それからヘルミーネはベアトリスのところに毎日訪ねてきた。  ヘルミーネが訪ねてくるようになって1週間が経った。ベアトリスは熱意に打たれパーティーに参加することとなった。  3人は人目を避けながらマインツの町を出立した。  ベアトリスは尋ねる。 「これからどちらへ向かうのですか」 「バーデン辺境伯領にある黒の森(シュバルツバルト)は魔獣の宝庫で冒険者が多いと聞いたわ。ここからも近いし、行ってみましょう」とヘルミーネ。 「わかりました。そこで仲間を募集するのですね」 「そうよ」     ◆  ヘルミーネ一行はバーデン=バーデンの町に着き冒険者ギルドへ向かう。  形式どおり冒険者登録をした。当然、Eランクからのスタートだ。  ヘルミーネは、ギルド職員と相談し、掲示板に募集の掲示をしてみるが、1週間経っても何の音沙汰もなかった。  ヘルミーネは、勇気を振り絞って冒険者に声を掛けてみる。 「あなたたち。よろしければ、私たちのパーティーに入れてさしあげてもよろしくてよ」 「なんだてめえ。舐めてんのか。俺たちの仲間に入りたきゃ最低でもシルバーになってからだ。出直しな」  いくつか聞いてみたが、ヘルミーネの高飛車な態度もあり、似たり寄ったりの反応だ。  見かねたジョシュアは言った。 「あのう。お嬢様。さすがにその頼み方は…」 「………わかったわ。それでは選手交代よ。ベアトリス。お願い」 「私も自信はないのですが…。とにかくやってみます」  しかし、パーティーはみつからない。  結局、まずは簡単な採取のクエストから始めて堅実にランクを上げていくのが常道なのだろう。  しかし、これはヘルミーネの性に合わない。 「森の奥までいかなければ、魔獣もそんなに強くないというわ。まずは、入り口近くで弱い魔獣を狩ってみましょう」 「お嬢様。いきなしそれは危険なのでは」と気の弱いジョシュアがこれに食い下がる。 「大丈夫。いざとなればベアトリスが治してくれるし」 「そうですか」とジョシュアは不承不承引き下がった。     ◆  天才物理学者である普門院亮は、中世ヨーロッパに似た魔獣や魔法が存在するファンタジーな世界へと転生してしまった。  亮はバーデン=バーデン辺境伯の次男フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンとして、懸命に学び、武技や魔法の修練を積んで冒険者としての活動を始める。  パーティーメンバーも次々と集まるが人狼などの人外娘ばかりだった。  転生者としてのチート能力と前世の記憶も活用しながら彼は冒険者として実績を積み、いつしか「白銀のアレク」という二つ名で呼ばれるようになっていた。  フリードリヒのパーティーはいつもどおり黒の森(シュバルツバルト)で狩をしていた。午前の狩を終わり、昼食場所を探していた時。  千里眼(クレヤボヤンス)で辺りを探っていたフリードリヒが異変を察知した。 「人族どうしで争っているな」  どうも多勢に無勢だ。男1人女2人のパーティーが大勢に襲われている。冒険者狙いの盗賊か? そういえば手配書が回っていた。懸賞金が掛けられていたはずだ。     ◆  ヘルミーネたちは黒の森(シュバルツバルト)に入って獲物を探していた時、身長2mはあろうかという大男とそのとりまきたちが前に立ちふさがった。いかにも悪人面をしている。 「いいカモのご登場だぜ。お前ら身包(みぐる)み置いていけ」 「あなたたち何なの?」 「見てわからねえのかよ。盗賊に決まってんだろ」  ジョシュアは、健気にもヘルミーネたちの前へ出て剣を構えている。だが恐怖のため剣先は震えている。 「男はどうでもいい。とりあえず殺っちまえ。女は傷つけるなよ」 「よっしゃー!」襲いかかる盗賊たち。  ジョシュアは一撃で剣を叩き落とされ、腹部を刺された。 「ううっ」腹部を手で押さえうずくまるジョシュア。手が血でべったりと汚れているのを目にするとショックで失神してしまった。     ◆  事が収まって、フリードリヒはジョシュアの頬をかるく叩き刺激を与える。  ジョシュアは低く(うめ)くと意識をとりもどした。 「はっ。お嬢様は?」 「あっちだ」 「お嬢様。大丈夫でございますか。えっ。この格好は?」  ヘルミーネはボロボロになった服の上にマントを羽織っていた。 「いろいろあったが、お前は知らない方がいい。とにかく私たちが助けたのだ」 「そうですか。それはどうもありがとうございました」  落ち着いたところで、盗賊たちを警吏にわたし、フリードリヒが経営するタンバヤ商会でヘルミーネの服を調達する。  その日は、ヘルミーネ一行を宿まで送り、別れた。     ◆  翌日。フリードリヒがギルドに顔を出すと、ヘルミーネ一行が待ち構えていた。 「あなたたち。よろしければ、私たちのパーティーに入れてさしあげてもよろしくてよ」 「あのう。お嬢様。ですからその頼み方は…」とジョシュアが小声で言っている。 「間にあっている」と素通りするフリードリヒ。  ヘルミーネは悔しそうに唇を嚙みしめて硬直している。  翌日も翌々日もヘルミーネ一行は待っていた。そして1週間が経ち、ヘルミーネたちはフリードリヒが折れてパーティーに入れることとなった。  が、フリードリヒは言った。 「さすがにジョシュアは勘弁してくれ」  わかってはいても、面と向かって言われると(こた)える。 「あっしはだだの従者ですから。最初から参加するつもりはねえです」 「ありがとうございます。感謝いたします」とベアトリスが礼を言う。  ヘルミーネは赤い顔をしてそっぽを向いている。どこまでも素直じゃないやつだ。 「それでは今日は黒の森(シュバルツバルト)にいってパーティーの連携を確認しよう」 「では、あっしはその辺で時間をつぶしております」とジョシュアは町に姿を消した。  このあとヘルミーネ一行はフリードリヒが住まうホーエンバーデン城でやっかいになることになった。  フリードリヒは思った。  いちおう何とかなりそうだが、ジョシュアの処遇は迷うな。もし、他家の家臣ということなら、ツェーリンゲン家の正式な家臣にはできない。フリードリヒの客分扱いのままで、騎士団の訓練に参加させて腕を磨いてもらおう。早速団長にお願いだ。     ◆  ジョシュアはバーデン=バーデン領の騎士団と訓練を積むことになった。  だが、いままでやってダメだったものが突然できるようにはならない。  なかなか剣の腕に芽は出ないジョシュアであった。  そしてジョシュアにとって雌伏の時が何年も続く。  その間にフリードリヒは軍人となって、電撃的な出世を遂げ、暗黒騎士団(ドンクレリッター)の団長となっていた。  ヘルミーネもフリードリヒの騎士団に入団し、上手いことやっている。  ジョシュアは思うのだ。  姫様さえ幸せなら言うことはない。それに比べてあっしは…  不器用で何をやっても中途半端なジョシュアは自信を喪失していた。  姫様はフリードリヒ様がいれば、もう大丈夫だ。  ならば、あっしはモゼル公国に戻ろうか…  いや。今のこの剣の腕では戻ったところでお荷物になるだけだ…  結局、踏ん切りがつかないジョシュアであった。     ◆  そんなジョシュアにもついに転機がやってきた。  フリードリヒが長い時間をかけて開発した自動小銃と大砲が完成したのだ。  フリードリヒの食客(しょっかく)となっていたジョシュアはこの新しい武器に興味津々だった。  皆が試し撃ちをしているが、戸惑うばかりでなかなか命中しない。  だがジョシュアは直感した。  鉄砲の弾丸を石と思えばいい。石切りの要領で弾道を想像して撃てばいいのだ…  最初の1射目。  銃の反動にあおられて的から外れた。  2射目。反動に気をつけながら撃つ。  的の近くには当たったがやはり外れだ。  だが、これでなんとなく銃の癖がわかった気がする。  ──この銃の癖を踏まえて弾道を想像するんだ…  3射目。  見事に的に命中した。  これを見ていた食客(しょっかく)たちから歓声があがり、ジョシュアはもみくちゃにされた。 「すごいじゃないか。ジョシュア。俺にもやり方を教えてくれよ」 「いいよ」  ジョシュアは惜しみなくコツを教えた。  すると他の食客(しょっかく)たちも上達し、的の近くに当たるようにはなったが、命中精度はジョシュアにはとても及ばなかった。  こと鉄砲に関して、ジョシュアは天才的な才能を発揮したのだった。  このことはすぐにフリードリヒに伝わり、ジョシュアは暗黒騎士団(ドンクレリッター)の砲兵小隊の隊長に任命されることになった。  が、人の上に立つなんて自分の性格からしてあり得ない。 「あっしが隊長なんて、とんでもねえです」と必死に断った。  しかし、フリードリヒに「技術が一番の者が隊長をやらなくてどうする」と押し込まれ、断り切れなかった。  だが、置かれた状況というのは人を育てるものだ。  他のことはまるっきしでも、こと鉄砲と大砲についてはジョシュアの右に出る者はいない。  これだけは自信が持てたジョシュアは、軍事演習を重ねるうちに動作も部下に対する指示も見違えるほどキビキビとできるようになっていった。     ◆  そして初めての実戦の時が来た。  それは皮肉にもジョシュアが出奔(しゅっぽん)したモゼル公国だった。  ロートリンゲンの地方領主の連合軍が最大勢力であるモゼル公国を追い落とそうと襲ってきたのだ。  敵の数はモゼル公国軍の2倍。  戦いは自ずと籠城戦となった。  それを救出するため、神聖帝国皇帝は、暗黒騎士団(ドンクレリッター)を派遣したのだった。  まずはペガサス騎兵が攻城兵器を潰した。  次はいよいよ砲兵隊の番だとジョシュアは気持ちを引き締めた。  フリードリヒの命令が下った。 「砲兵隊。城門前の敵を集中して狙え。 撃て(ファイエル)!」  これを受けてジョシュアが砲兵小隊に命じる。 「撃て(ファイエル)!」  多数の砲弾が城門前の敵を襲う。あちこちで大爆発がおき、敵がみるみる吹き飛ばされていく。  直撃を受け体がバラバラに吹き飛ぶ者、手足をもがれ絶叫する者もいる。まさに阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵図だ。  ジョシュアは、今更ながらにその威力の大きさを実感した。  ジョシュア率いる砲兵小隊はもはや暗黒騎士団(ドンクレリッター)にとって欠かせない存在となったのだ。     ◆  その後、暗黒騎士団(ドンクレリッター)はロートリンゲンの統一などのために転戦を続け、砲兵小隊の力量も上がって行った。  そして大砲や砲弾の生産体制が拡充されたことを受け、砲兵隊は小隊から中隊に格上げとなることになった。  これによりジョシュアも中隊長に横滑りした訳だが、中隊長は通常は男爵待遇である。  ジョシュア・サンチェスは、ジョシュア・フォン・サンチェス卿となったのだ。 「あっしが貴族なんて…」と盛んに照れるジョシュアを部下たちは冷やかした。 「隊長。貴族は『あっし』なんで言わねえんですぜ」  隊員たちは爆笑した。     ◆  自称「カリオストロ伯爵」なる魔術師・占星術師・錬金術師はローマに突然に現れた。(からわら)にドンナ・ロレンツァという若くて美しい妻を(はべ)らせて。  しかし、カリオストロはフリードリヒにインチキを暴かれ、逃走の身となった。  カリオストロ伯爵の行方はしばらく(よう)として知れなかったが、ローマでエジプト・フリーメーソンを再建しようとしてローマ当局に身柄を拘束され、終身刑に処せられることとなった。  一方、妻のドンナ・ロレンツァは修道院に終生監禁されることとなったが、ある日突然姿を消した。  実は彼女の本性は妖狐だった。彼女にしてみれば修道院からの脱走など難しい事ではなかったのだろう。  ドンナ・ロレンツァは、しばらくしてほとぼりが冷めると、フリードリヒの愛妾(あいしょう)であるクララ・エシケーを頼ってナンツィヒにやってきた。実はクララも格の高い妖狐だったのだ。  フリードリヒは、姿と名前を変えることを条件に彼女を受け入れた。新たな名前はザビーネ・オールトである。  ナンツィヒの城でメイドとして働くこととなったザビーネは、ある日、前を歩く男のズボンからシャツの裾が大々的にはみ出しているのを発見した。  ザビーネは居ても立っても居られない。彼女はダメ男を放っておけない(たち)の性格だったのだ。  ザビーネは男に駆け寄ると「裾がはみ出してますよ」と注意し、なおしてあげた。 「まったく隊長と来たら。砲術以外のことはてんでダメなんだから」と周りにいた部下たちは笑った。 「隊長?」とザビーネが不思議そうな顔をすると。 「こう見えてサンチェス卿は砲兵中隊の隊長なんすよ」と隊員が答えてくれた。  それからザビーネは頼まれもしないのにジョシュアの世話を焼くようになった。  ジョシュアの方も気の弱い性格なのでこれをするに任せていた。  そんな日が続き、ジョシュアは思った。  ──まるで母ちゃんみたいだな…  何をするにも不器用なジョシュアの世話をこまごまと焼いてくれた母の姿が、ザビーネと重なった。  ある日。  ジョシュアは勇気を振り絞ってザビーネに言った。 「あっし…私はもうあんたがいねえと生きていけねえです」  それを聞いたザビーネはポカンとしている。  ザビーネはふと我に返って言った。 「それってもしかしてプロポーズのつもり?」 「へえ」  ザビーネはクスクスと笑いだした。 「なんて不器用なプロポーズなの。でも、そんなあなたは最高よ」  ザビーネはジョシュアに抱きつくと、その頬にキスをした。  それが返事だった。 「でも、あなたには言っておかなければならないことがあるの」 「えっ。それは…」 「私、実は妖狐なの。人族じゃないのよ」 「…………」  ジョシュアはしばし逡巡したあと、ぽつりと言った。 「大丈夫だ」  暗黒騎士団(ドンクレリッター)はヴァンパイア、人狼を始めとして人外の者たちが当たり前に団員となっていた。  ジョシュアの砲兵中隊にも亜人が何人か混じっていた。  そういう意味では人外の者に対する免疫はとっくにできていた。  妖狐などダークナイトや悪魔に比べれば可愛いものだと思った。  そしてジョシュアはあることに気づいて言った。 「こ、子供はできるのかな?」 「私の叔母が人族の子供を産んだことがあると聞いたわ。たぶんだいじょうぶよ」 「なら全く問題ない!」  ジョシュアは力強く言った。
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