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「亜美ちゃん、あと10分で開店やで」
「あ、はい!」
そんなこと知っている。いちいち話しかけないでほしい。気持ち悪い。だから店長は嫌いだ。
わたしは掃除機を事務所の奥の物置に片付けて、姿見を見つめる。不動産屋の制服を身にまとった化粧まみれの女が、嘘くさい笑顔で映っている。
別にこの職場である必要なんてなかった。もともとはあの人から遠く離れられればそれでよかった。あの人はわたしを追う気すらなかったのだろうけど……。全部、独りよがり。馬鹿みたい。
生きる理由なんてとっくに見失っていたけれど、死ぬのはもっと面倒だから、惰性で生きている。生きていくには働かないといけない。だから仕方なく、こんなところで働いている。
惰性で働き、惰性で生きている。
だってあの人はもういないのだから。
いたとしても手に入らないのだから。
……嘘も色褪せたのだから。
事務所を出て、店舗の受付に座る。PCを操作しながら、書類の挟まったフォルダを整理して、お客を迎える準備をする。
「亜美ちゃん、開けるで?」
「はい、よろしくお願いします」
朝、10時。店が開く。知らない人に知らない家を紹介するという馬鹿みたいな仕事が、今日もはじまる。
さっきの巣の家主もどこかへ引っ越したのだろう。不動産屋の仲介は受けたのだろうか。せめて捕らえた蛾を食べてから行けばよかったのに。食べもせず、行ってしまうなんて酷い。蜘蛛も嫌いだ。まるで、あの人みたいで……。
「いらっしゃいませ」
……あの人、みたいな。
「あ、み?」
「……嘘」
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