episode 8

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「もう別れてたんだな。それで…か。」 「それで…?」 私の問い掛けには応えず瞬一さんも菜箸を置いて自分によそった物を口にした。 だけど黙々と食べるだけで何時もよりも雰囲気が少し怒っている感じがした。 そんな瞬一さんを前に私は腫れ物に触る様な姿勢で静かにただ座っていた。 「美羽。覚えてる?俺ん家に泊まった夜の出来事。」 「夜の出来事って、え?」 私には思い当たる事が一つあった。 多分ベッドで私が涙を流した事を瞬一さんは言おうとしている。 「拓…って。俺にはそう聞こえて涙を流してた。」 やっぱりそうだった。 瞬一さんはあれからずっと気になっていたんだ。 「弟君が彼女と別れた原因が美羽も心配してしまう様な何か大変な事があったりしたの?」 「大変な事…うん、少しだけ。あっ、でも全然大丈夫なんだけどね、はは。」 「美羽があんな譫言みたいに名前を口にするなんてびっくりした。」 「はは…拓も大事な家族だからだと思うけどね。」 私は笑って誤魔化すしか無かった。 だけど瞬一さんはそんな私を受け入れてはくれずに。 「血の繋がらない弟の為に美羽が彼を思って涙を流すの?俺のベッドで。」 そう強い口調で言われてしまった。 でもそう私に話した瞬間はっと顔色を変えて何時もの優しい大人な瞬一さんに戻った。 「あっ、その…ごめん言い過ぎた。ごめん美羽。そうだよな、家族だもんな、大事な弟だもんな。」 再び鍋に具材を投入し始め苦笑いを浮かべながら気まずそうにしている瞬一さん。 既に火が通った具材を私の取り皿にひたすら入れる作業に徹し私と拓との話は終わった。 始めて見た瞬一さんの取り乱す姿に私は胸が痛むと同時に罪悪感に駆られていた。 あの夜は一花から別れたと聞き私の拓を心配する気持ちが高まり過ぎていた。 拓が今にも本当に私から消えてしまいそうで。 もう一生拓に会えないそんな気がした。 自分が抑えられなくなる位に拓に会いたかった。 どうしてこんな風になるのか。 私は自分の意志で今の幸せを道を選んで来たのに。 そんな自分軸がブレてしまえばあっという間に全てを巻き込み失うだけ。 私はもうどうする事も出来ない現状に自ら望み立っているんだ。 瞬一さんのあんな乱れた感情を作ってしまっては駄目だ。 ましてや転勤前の大事な時期なのに。 グツグツと煮える薬膳鍋の音が私に警笛を鳴らしている様だった。
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