episode 4

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揺れる車両の隅で空席が幾つかあるのに目もくれず肩を落とし私は立っていた。 棚山様から納品の事で少し厳しく言われてしまったのだ。 仕事でこんな初歩的なミスをするなんて本当に情けない。 新人にだって出来る仕事なのに。 やる気を損ない今日はもう家に直帰したい気分だった。 ふと腕時計に目を落とすと十五時少し前だった。 思わぬ事態でお昼を取り損ねてしまっていたせいで気を抜くとフラフラとしてしまう。 自分のミスが招いた事なのでこの位はしょうが無い。 あんな事があってから何時もの私が何処かへ行ってしまっている。 拓は私に何であんな事…。 何度も何度も考える。 駄目だ。 こんなんだから失敗するんだ。 そして私は金輪際プライベートで仕事に支障が出る様な事は二度とあってはならないと意志を強く持って生活を送ろうと思うのだった。 今日は残業確定だけれど会社に戻っておにぎり片手に作業を進めよう。 「只今戻りました。少し厳しいお言葉はありましたが無事に納品させて頂きました。今回は本当にすみませんでした。」 会社に戻った私は直ぐに田村さんに謝罪と無事に納品して来た事を報告しにデスクに向かった。 田村さんは私を最後まで責める事はしなかった。 私は人に恵まれているとつくづく思う。 自分の席につき休憩など取っている間もないまま途中で買って来たおにぎりを片手に再び入力作業に取り掛かる。 目の奥がジンジンと痛くなるのもこらえつつとにかく手を動かしていく。 ♪♪♪。 終業のチャイムが鳴り先輩方が帰って行くのも気にせずにひたすら作業を続ける。 カタカタカタ…カツッ。 ? 「高井さん少しこれ飲んで休憩した方が良いよ。」 振り向くとコーヒーをデスクの上にそっと差し出す神谷さんが立っていた。 「神谷さんっ、あれ、もう帰ったんだと思ってました。」 「下にこれ買いに行ってただけ。俺も飲みたかったから一緒に休憩しよ。」 神谷さんの思いやりのある優しい言葉が今の私にはとても響く。 「ありがとうございます。では頂きます。」 カフェオレの甘みが体に入って行くと張り詰めていた気持ちも緩んでいく様だった。 「はぁ…。」 「大丈夫?」 神谷さんが心配そうな面持ちで私を見る。 「久しぶりに失敗してしまいました。こんな初歩的なミス…集中力が欠けていました完全に。田村さんは少しも悪くないです。」 「誰だってそんな時はあるよ働いていればさ。」 「違うんです。自覚があるんです。他に意識がいっていたので。」 「…もしかして弟君?それとも俺?だとしたら責任感じちゃうな。」 「あの…これは私がしっかりと解決しないといけない事なので…その、はい。」 するとコーヒーをグイッと飲み干して手慣れた手つきでネクタイを外しシャツのボタンを鎖骨の辺りまで外す。 私は慌てて目を背ける。 椅子の背もたれと共に両手を上げて大きく伸びをしながら私に言う。 「高井さんもやってみてこれ。」 言われるがまま神谷さんと同じ様に手を上げて伸びをして見せた。 「う~ん。気持ち良い。」 会社でこんな風にリフレッシュしたのは初めてだった。 周りには常に先輩の目があるしこんな風に堂々となんて出来なかったから。 お互い伸びをした状態のまま向き合う。 「完璧なんか求めなくても良い。責任感の強い所は長所でもあるけどでもたまには人に頼る事も大切。高井さん見てると常に全力出しまくってるから見てるこっちが何時か倒れるんじゃないかって心配になるよ。」 「はぁ…でも私仕事頑張りたいんです。」 「勿論その気持ちは否定しないし凄いと思うよ。だけど周りに迷惑かけるからとか一人で抱え込み過ぎると余裕が無くなって今日みたいな事がまた起きてしまうと俺は思う。」 「はい…。」 背もたれから体を起こして手を差し出す。 「半分貸して。二人でやれば早く終わるよ。」 「いや、それは駄目です。先輩にそんな頼めないです。」 私も起き上がり顔の前で手を左右に動かす。 「ほら、そういうとこ。今から直そう。高井さんはもっと人に甘えなさい。」 デスクに置かれた未処理の書類を半分程手に取って神谷さんはパソコンに向き直った。 「それと俺のせいでもある気がしてさ…今日の事。」 「そんな…。」 「とにかく片付けちゃおうぜ。」 ニカッと笑う神谷さん。 私は今神谷さんの真髄に触れた気がした。
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