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一人の転生者の独白
シェリーは、僕のパートナーだ。
といっても、夫婦とか恋人とか、そういう色っぽい意味でのパートナーではない。あくまでも冒険者としてのパートナーだ。
もちろん。
シェリーは、魅力的な女性だ。
短めの赤髪は、燃える炎を思わせる力強いイメージがあって、彼女には似合っていると思う。体のラインだって、出るところは出ているし、引っ込んでいるところは引っ込んでいる。
ひとことで言えば、シェリーはカッコイイ系の美人なのだ。
それに。
僕の話を――特に彼女が知らない地球の話を――、いつも「私、関心あります!」って顔で聞いてくれるのは、この上なく素敵なことだ。一緒に行動していて、とても居心地がいいと感じる。
でも。
そうした気持ちは、恋愛感情とは違うのだろう。そう僕は自分に言い聞かせている。
これを恋とか愛とかだと誤解してしまったら、何か二人の関係がおかしくなりそう、って心配なのだ。だから僕は、彼女との仲を、これ以上深めたいとは思えない。
今、こうして差し向かいで飲んでいるのだって。
あくまでも、冒険者仲間として。
お月見という儀式を――地球の風習を――この世界でもやってみよう、という試みに過ぎないはずだった。
「今まで私、月を見て『美しい』なんて考えたことなかったけど……。こうして『お月見』をしていたら、そんな気分になってきたわ」
少し潤んだ瞳で、シェリーが呟く。
お酒のせいだろうか。今の彼女は、ほんのりと頬も上気している。いつもより唇も艶っぽく見える。
今のシェリーには、見ているだけで吸い込まれそうな、蠱惑的な雰囲気があった。
いけない、いけない。
僕たちは恋人でも何でもなく、あくまでも冒険者としてのパートナーなのだから……。
僕は、あえて彼女の魅力からは目を逸らして、夜空に浮かぶ満月へと――お月見の対象である物体へと――意識を向け直した。
「うん。月が綺麗だね」
何気なく、僕が呟くと。
「えっ?」
彼女は、びっくりしたように目を丸くしていた。それこそ、夜空のお月様とか、お供え物のケーキにも負けないくらいに『丸く』だ。
これには、僕の方こそ驚きだ。彼女の発言に乗っかるような言葉を、僕は口にしたはずなのに。
よく見ると、彼女の顔には、驚きの色だけではなく、嬉しそうな感情も表れているのだが……。
ふと、月の魔力という言葉を思い出した。
月は人間の精神に影響を及ぼす。特に満月は、人間の感情を高ぶらせる、という通説だ。
それを考えると。
いくらパートナーとはいえ、シェリーのように魅力的な女性と二人きりでお月見なんて、良くなかったのかもしれない。僕が今のシェリーをいつもとは違う目で見てしまっているように、シェリーはシェリーで、感情や思考パターンなどが少しおかしくなっているのかもしれない。
さて、どうしようか……。
そう思ったところで、テーブルの上のケーキが視界に入った。
そうだ。
花より団子という言葉がある。色気より食い気という言葉がある。
月見酒は一時中断して、ケーキでも食べたら、少しは雰囲気も――二人の間の空気も――変わるかもしれない。
とりあえず、ケーキを一口……。
だから僕は、わざとらしいくらいの笑顔で、こう言った。
「ねえ、シェリー。そろそろ、食べたいな」
「……!」
彼女が示したのは、先ほど以上の驚きだった。今度は「絶句している」「言葉も出ない」という感じだ。
ああ、いけない。これは、僕が焦ってしまったのだろう。ちゃんと「ケーキを」と言わなかったから、何か誤解させたのかもしれない。
僕は慌てて、言葉を付け加えた。
「ケーキひとかけら、だよ」
一瞬、彼女は、あっけにとられたような顔をしてから。
酒のせいだけとは思えないくらいに顔を真っ赤にして、その場に立ち上がった。
そして。
バチン!
大きな音を立てて、僕の頬を平手打ちする。
「ナッツ! 今夜のあなたは、どうしちゃったの? せっかく、ちょっといい雰囲気だなぁって思ってたのに……。あなたが、こんな男だったなんて! 見損なったわ! 私、帰る!」
プンプンと怒りのオーラを撒き散らしながら、彼女は、部屋から立ち去ってしまう。
「……」
言い訳じみた返事をすることも、彼女を引き止めることも、僕には何も出来なかった。
ただ、叩かれて熱くなった頬に手をあてがいながら、意味がわからず戸惑っていた。
いったん止まった機械製品が再起動するかのように、ようやく僕が言葉を取り戻したのは、それから数分後のこと。
まだ混乱した頭のまま、僕は呟く。
「僕の方こそ……。わけがわからないよ……」
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