悲劇でも喜劇でもなく

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 僕がお父さんの仕立ての仕事を手伝い始めて、縫製にも携われるようになった頃、街に悪い噂が流れはじめた。  誰か特定の誰かを貶めるような噂ではない。それよりももっと厄介なものだ。  街で黒死病が流行りはじめた。  黒死病。と聞いて、僕ははじめそれがどんなものかわからなかった。けれども、噂を聞いたお父さんとお母さんは顔を真っ青にして、なんとか黒死病に罹らないようにと、毎日お祈りするようになった。 「お父さん、黒死病ってどんな病気なの?」  僕の無邪気な質問に、お父さんは顔を真っ青にしてこう答える。 「肌が黒くなって、とても苦しくなって、あっという間に死んでしまうこわい病気だよ。 黒死病に罹ったら、もう死ぬしかないんだ」  それを聞いてぞっとした。そんなおそろしい病気が流行ってしまって、僕達家族は生き延びることができるのか不安になった。  そんな不安を僕が抱えている中、お母さんが熱を出して倒れてしまった。体が熱くて痛いとお母さんが言う。それを聞いて、僕もお父さんも黒死病なのではないかと不安になった。  お父さんはすぐにお医者さんの所に行って、お医者さんを呼んできてくれた。すぐに来てもらえたのは、たまたま他の家で黒死病の患者を看取った後だったらしく、そこをつかまえられたかららしい。  家に来たお医者さんはふたり組で、どちらも長い嘴の付いた白い仮面を着けて、頭からすっぽりとローブを被っていた。  片方の医者が、持っていた杖でお母さんにかけられた掛布をめくって、首の周り、脇の下、そして脚の付け根を杖で押す。 「どうですか?」  見ていた方のお医者さんが訊ねると杖を持った方のお医者さんがこう言う。 「黒死病特有の腫れは出ていないようです。 もしかしたら他の病気かもしれません。 先生にご判断を委ねたいです」  それを聞いた、先生と呼ばれたお医者さんがお母さんの側に寄る。それから、お母さんにどこが痛むかを訊ねて、手袋を着けた手で首の周りや脇の下を触ってもうひとりのお医者さんに言う。 「脇の下だけ少し腫れていますね。 痛んでいるのは関節だけのようですし、おそらく高熱が出るタイプの風邪でしょう」  それを聞いて、僕はほっとした。高熱が出ているのは心配だったけれども、少なくとも黒死病でないのなら、まだなんとか助かるかもしれないと思ったのだ。 「それでしたら、風邪の薬を処方しましょうか?」  杖を持った方のお医者さんがローブの中から袋を取り出す。刺激的な芳香が漂った。  もうひとりのお医者さんが袋を受け取って、小さな瓶に中身を少し移す。そうしながら、お父さんにこう言った。 「この方の診察が慣れないようすで少々不安になったでしょう。お許しいただければと思います。 この方は貴族とはいえ、まだ医者としては見習いなのです」 「えっ?」  お父さんが驚いたような声を上げる。 「貴族様が、なぜわざわざ私達庶民のところにいらしたのですか?」  その問いに、貴族だと言われた杖を持った方のお医者さんが返す。 「病は身分問わずに襲いかかります。 病に立ち向かうためには、身分に構っている場合ではないのです」  こんな立派な志を持った人に診てもらえたのなら、お母さんはきっと大丈夫だと思った。  そして、その時処方された風邪薬を言われたとおりにお母さんに飲ませていたら、お母さんは数日で元気になった。  そしてそのまま、僕達家族は誰も黒死病にかからないまま、黒死病の流行を乗り越えることができた。
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