屋根の上の恋人たち

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 遠い過去、アーサーとソフィアは恋人同士だった。恋人同士だったからこそ、一緒に変異させられた。もはや記憶も定かではないが、深い深い混濁した泥濘(でいねい)から起き上がった時、隣にこの愛する人の顔を見てどれほど安堵したことか。  混乱した。絶望した。  不死の身体など望んでいなかった。そもそも、このような存在など信じてさえいなかった。なのに、それそのものになってしまった。人並みに生きて、平凡な幸せを得られればそれで満足だったのに。  否応無しに人間と不死者の戦いに放り込まれ、恐怖と絶望───痛みと苦しみが友になった。  不死者などになりたくなかった。不死者などあくまで伝説で、現実ではない。それなのに、この渇きは何だ。欲しくないのに、温かい血が飲みたくなる。他人の脈拍が判る。それは堪らなく心地好い音楽であった。血を得るために、異常なほどの力を発揮するようになった。それも変異したせいだ。人を襲い、柔らかな首筋に牙を突き立て甘美なワインに酔う。抗い難い誘惑であった。その陶酔から覚めて目の前に突き付けられるのは───人の哀しみと、憎悪と怨嗟……自分の化け物具合だ。どれほど心を痛めていても、どれほどこの生き方を拒否していても、人にしてみたら自分は化け物でしかない。血に飢え、人の生き血を(すす)り、生者を不死者に変える(けが)れた化け物───……  変異させられた数多くの人々の組織の中から、アーサーとソフィアは手を取り合って死に物狂いで逃げ出した。人と争いたくなどない。人の生き血も飲みたくない。人と戦いたいのなら、戦い奴らだけが戦えばいい。人間社会を支配したいなどと、露ほども考えていない。人を襲いたくない。派手な生き方をしたいわけでもない。ただひっそりと生きて、静かに逝きたいだけだ。  愛する家族は全員見送った。自分の兄弟の子孫も、血縁が途絶えるまで見ていた。全てに置いていかれた。苦しみも焦燥も、お互いが居たからこそ耐えられた。互いに冷たい身体を寄せ合って、何も産み出さない交わりを繰り返し、何千年と生きてきた。変異させられた身体だ、寿命があるのかどうかも判らない。人ならば致命的な怪我を負っても、幾日か昏睡するだけで治ってしまう。昏睡から覚めた時、相手がどれほどホッとした顔をしているか───  互いを愛する気持ちは変わらない。互いが唯一の存在だ。けれど、一緒に居るのも限界がある。一緒に居れば安心する。愛情を感じる。同時に、自分たちは異端者であるということをまざまざと見せ付けてしまう。愛しているのに傷付ける、苦しめる。愛しているのに、老いもしないただ過ごすだけの日々を憎んでしまう。  だったら、少し離れてみようか───……  ふたりの新しい生き方の転機だった。
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