トローニー

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 目が(くら)みそうになって、少年は思わず手を伸ばした。だが、そこにあるはずの麻布(キャンバス)には触れず、手は絵の奥へと入ってしまった。 「ああ、どうなっているの?」  少年は画家に尋ねた。だが、そこには誰もいなかった。  遠く背後から声がした。 「さあ、振り向いてごらん」  そっと振り返ると、まるで重力の方向が狂って絵の中に吸い込まれるような、奇妙な感覚が少年を襲った。 ・・・  アトリエには画家がひとり、イーゼルの前に立っていた。キャンバスには、振り向きざまの半身が描かれていた。驚いたような少年の表情が、まるで生きているかのように写しとられていた。画家は、完成したトローニーを壁に掛けると、いつまでも満足げに眺めていた。  なるほど、貧しい少年や少女が忽然と姿を消すことは、当時珍しくなかったのである。 〜終わり〜
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