トローニー

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 当時、貧しい少年や少女が忽然と姿を消すことは珍しくなかった。 「服は脱がなくてもいいんですよね?」  少年は、画家に促されてアトリエに入った。窓は閉じられ、充満する油絵の具の匂いが鼻をついた。 「私はそのような絵は描かないし、そのような趣味もない」  画家はぶっきらぼうに答えた。  壁には、いくつかの人物画(トローニー)が几帳面に掛けられていた。それらは、どれも驚くほど写実的だった。まっすぐに視線を向けた不安げな表情が、このアトリエを背景に緻密に(えが)かれていた。  画家は言った。 「私は、ゴージャスな衣装で気取ったポーズをとった王侯貴族ではなく、市場や酒場にいるような普通の人々の生き生きとした表情を写し取りたいのだ」    アトリエには大きなイーゼルが置かれ、部屋の隅には未完成のキャンバスが立て掛けられていた。キャンバスの中心、人物があるべき部分には、まだ何も描かれていなかったが、背景となるアトリエの絵は、すでに仕上がっていた。  画家は、そのキャンバスをイーゼルに慎重に置いた。それはとても大きくて、両手を広げて持つほどだった。
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