億り人 4

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億り人 4

 美濃妖吉を葬り去った楓は、妖吉の事務所を捜索して火葬の記録を持ち帰った。その結果、妖吉の火葬場で火葬されたはずの死体が膨大な数にのぼることが判明した。  楓は自分の目を疑った。  高見澤は数字を聞いて愕然とした。  五万人––––––  妖吉の十機の火葬炉は年中無休で七年間フル稼働していたのだ。  その全てが夜摩の手に渡って再生人になっているとすれば、個別に再生人を探し出して殺していくことは現実的な解決策にはならなかった。  再生人は、社会の中で多くの問題を起こしながらも、見えないところに定着していると考えざるを得なかった。それまで再生人は個々にばらばらに生きていると思われていたが、どこかにまとまった再生人のコミュニティができていることも考えられた。  もし再生人が結婚し、相手が再生人であれ通常人であれ、子供が生まれていたらどうすればいいのか––––––再生人問題は、楓が当初思ったよりずっと広範かつ根深かった。  五万という数に対して、現時点で再生人とのかかわりが把握できているのは楓が会った主婦たった一人である––––––文字通り氷山の一角に過ぎない。そしてその一人は、相手が再生人だとわかっていても、一緒に暮らしたいと言っている。故人の面影が偲ばれて、別れがたくなるのも人の情である。  殺すっ!と叫んでいた高見澤も、この世の中に存在しているはずの再生人の数の多さと、再生人と通常人のえも言われぬ関係の可能性を知って押し黙った。 「これはもうどうしたらいいのかわからない––––––」  高見澤は腕を組み、目を瞑(つむ)って考え込んでしまった––––––人獣、妖怪、妖気だけを相手にしていられた時にはなかった悩みだった。  たとえ再生人と判明したところで、人獣のような凶暴性がなければ、むやみに殺していいものかどうか、高見澤にも迷いが生じた。まして、周囲に親しい人々ができ、再生人であっても人々のほうが彼らを守ろうとするような場合や、再生人のコミュニティの中で平穏に暮らしているような場合は、人権に近いものが生じてしまうのでないかとさえ思われた。 「人工的に作られたクローンや人造人間とどう違うのかな」 「マサさん、いくら考えてもこの話には解がないと思います。一応大元は絶ちましたから、あとは世の中の自浄作用に任せるほかないと思います」 「自浄作用って?」 「再生人も世の中に受け入れられる者とそうでない者に分かれると思います。その個別の判断を怪奇事件捜査課が一手にやる必要はないということです」 「なんだか無責任な気もするが、現実的にはそうするしかないのかも知れんな」  ––––––戦う刑事高見澤にも解決できない問題はあるのだ。  結局問題を起こす再生人をモグラ叩きで潰していくしかない。人間の犯罪捜査も基本的には、事件発生後の後追いが多いので、未然に事件を阻止できないのは、人間も再生人も変わりはない。未然に潰せるのは目につきやすい人獣や妖怪だけなのだ。    楓はもう一度、再生人と住んでいる主婦と話をするために彼女の家を訪れた。 「今主人は散歩に出ているのでちょうどよかったです」  初老の女性は、機嫌よく楓を迎えてくれた。 「ご主人の死体を売買した者はもう罰せられました。そういう意味では一応ご安心いただければと思います。あとは個別の対応です。今ご一緒に住んでいるのは、厳密にいえば生きた死体で、意識はご主人ではない別な死者の魂です。あるべき姿に戻したいと思われるなら、それは可能です。死者の死体を奪い、それを勝手に再生させて、第三者の死霊に宿らせることは、故人への冒涜(ぼうとく)であり、本来許されるべきことではありません」  楓は基本的な考え方を述べた。 「そうですよね。亡くなった主人が、もしこれを知ったら驚くだけでなく、怒るでしょうね。ただ私はそれでも、主人そっくりな人が家にいてくれることで救われるところがあるのです。長年一人暮らしで寂しかったということもあります。一人で住んでいた時と比べると、今はなんとなく落ち着く気がするのです。私が血迷っているのかも知れませんが––––––」 「そんなことはありません。お気持ちはよくわかります。心の中に残っている亡くなられたご主人のお姿が、実際に目に見えるのですから。再生人が、亡くなられた方の家に帰って来るのも多分レアなケースですし、何かがあるのかも知れませんね」  楓は、長年一人で寂しかった寡婦の気持ちには、同情せずにいられなかった。  多分このまま様子を見るほかないだろう––––––  その時、玄関のドアをどんどん叩く音がした。 「開けてくれっ」  ––––––誰かが外で叫んでいる。 「主人の声です。どうしたんでしょう?」  主婦は急いで玄関に行って鍵を開けた。楓もついていった。  ドアを開けた時、玄関先に男が倒れていた。 「あっ」  すぐに楓はそのうなじに降魔の杭の跡があるのに気がついた。  外に出ると、空中に青白く発光する不知光(しらぬい)の巫女が浮遊していた。不知光の巫女は死体から遊離した死霊を呑み込んでいるところだった。  ––––––不知光の巫女は、不正な手段で蘇った死霊を殺すことに微塵も疑問を抱かなかった。  可哀そうな主婦は、一度死んだ夫がもう一度殺された現場を目撃することになった。  楓はその精神的ショックが心配だった。一度火葬にしたはずの夫の死体を、もう一度この女性に処理させるのは気の毒過ぎた。 「奥さん、あとは私が処理しますから、忘れてください。ご主人は今度は間違いなく安らかに眠られます」  主婦の目はもう真っ赤になっていた。  楓は主婦の肩を抱いて、家の中に入れた。  不知光の巫女は死霊を喰い終わると、死体に向けて腕を振った。死体はふっと消え去った。それと同時に不知光の巫女の姿も消えた。  不知光の巫女は、感情に邪魔されることなく、情け容赦なく降魔の杭を打ち下ろす。時にその非情さがなければ、世の中を正せないこともある。  でも楓は不知光の巫女のように非情にはなれない。  楓は、何が本当に正しいのか、一概に決めつけられるとは思わなかった。ただショック状態の主婦の心が落ち着くまで、何時間でもそこに一緒にいてあげようと思った。
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