カナエタカッタ。

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〜プロローグ〜 「はい?秋定香苗なんてメンバーはいませんよ」 ーー僕はその場に立ち尽くした。    Stariseのペンライトを落としたことにも気が付かずに、ただ呆然とその場に立ち尽くしていた。 「あのー、お客さまそろそろ機材の片付けに入るのでもう退場していただけませんか?」 少々面倒くさそうな顔をした派遣スタッフにその場を退場させられた。 僕の青春を捧げた君は、全て幻だったのか。 落としたペンライトに光る手作りの名前入りシートが妙に明るく光ったまま、会場に置き去りにされていた。 第1章 「ごめん、奏多くんのこと、遊んでただけだったんだ。騙してごめんね?まさか本気にするなんて思わなくてさ、焦ったよ。」 目の前の女はそういってケラケラと今にも笑い出しそうである。 不思議なことに悲しいとか絶望したとかそういう感情は浮かばず、かといって怒りや憤りが湧き上がることもなく。ただ目の前の女に騙されていたことさえもごく当たり前のように受け入れられた。 僕はよくいる根暗で地味な理工学部生だ。ほんの些細なきっかけで法学部の女と出会った。初めは馴れ馴れしい女だと思ったが、コミュニケーション能力に長けていない僕を彼女が率先して手助けしてくれているように思えて全てを委ねていたまま気付けばそういう関係になっていた。だから最初から期待はしていなかった。遊ばれて当然だと心の何処かで思っていた。本当の愛なんてこの世には存在しないんだ。 「おい、奏多!何ボーーっとしてんだよ!さては例のアホウガクブの女か?女なんてな。承認欲求の塊だからな、あんま気にすんなよ。それよりこれ見ろよ!見ろよ!美乃梨ちゃん可愛い〜〜!新しいシングルやるよ!応募券付いてるから美乃梨ちゃんによろしくな!」 捲し立てるように喋ってから一つのCDを放り投げて颯爽と過ぎ去っていったこいつは唯一僕が話せる友人、同じ学部の町田智だ。 「なんだよ。これ。」 取り残された僕の手の中にはよくあるなんちゃら48みたいな女の集団がキラキラの衣装を見に纏ったジャケット写真のCDがあった。 「す?すたーらいず?なんだこれ?」 よくわからないままCDを鞄の中にしまった。 「……バイト行こ。」 そんな毎日の繰り返しであった。 今日のバイトも良い感じにこき使われて終わった。愛想笑いだけが身についたような気がする。そういえば明日提出のレポートあったっけ。なんて思いながら鞄の中をガサゴソとすると真四角の何かが手についた。そういえば訳の分からないCDを貰ったっけ。同性であればこういった煌びやかな世界に憧れたものなんだろうか。女の全てを信じたくないと思う気持ちが強いため、正直智のようにここまで異世界の女にのめり込める程の活力もない。 「…なんだこの紙?」そこにはデカデカとあまりにポップすぎて目が眩むフォントで『近々リリースイベント決定!!!』と書いてあり、よく見かけるショッピングモールの名前がズラリと並んでいた。アイドルも僕みたいにこき使われて過労働に苦しんでいるのかな、とか思えばキラキラした女にも少しだけ同情はした。キラキラの裏にはずっと苦労があるのかもしれない。なんとなくそんな気がした。 今日は派遣のバイトの初日である。派遣バイトが空いた時間に都合よく稼げると智から勧められた。指定された場所は比較的栄えた場所にある商業施設。僕はそういう人混みが嫌いなので滅多に足を運んだ記憶がなかった。「派遣の方はこちらに集まってくださーい!」と甲高い派遣会社の社員の声が聞こえてそちらにのそのそと歩いていった。その社員は何かのプラカードを掲げていて、ウダウダと説明をし始めた。とりあえずその社員が持っている「最後尾」と書かれたプラカードを持って立っておくだけでいいらしい。午前中は。なんだこんなことでお金もらえるならもっと早くに派遣バイト始めれば良かった。午後からはまた違ったことをするらしいけど恐らく楽な仕事だと予測できた。 この商業施設の開店は10時。現在はまだ朝の6時である。しかし恐らく僕が「最後尾」のプラカードを掲げる必要があるだろう人の行列が既に入り口付近にチラホラできていた。とりあえず自分の出番だと悟り、社員の指示がある前に恐らく列の最後であろう人の後ろにプラカードを高々と掲げて立つようにした。それだけで優秀な派遣アルバイターだと胸を誇れる気がして普段のへっぽこアルバイト生活を忘れられる気がした。派遣バイトは自己肯定感を高めてくれる良い栄養ドリンク剤であった。でも、まあしかし、こんな開店4時間前から列を作る人っていうのは人生暇そうでいいな、と羨ましくなった。ただ今の僕もただプラカードを掲げて立っているだけの暇人には変わりないので、その行列を作る暇人の会話にでも耳を傾けておこうと思った。すると「昨日の美乃梨ちゃん可愛かった〜!」「いや、りりぽんだろ!りりぽんしか優勝しないからな?!」「こいつほんと盲目ヲタすぎ〜笑」「今のスタライはりりぽんなしでは成り立たないからな?!ほら、見てみろよ!新曲のジャケ写!りりぽんセンター様様だろ??」そのうるさめの暇人が掲げたものは、僕が以前に智から無理矢理渡されたものと同じCDであった。その瞬間、僕の中で全てが繋がった気がした。と、同時に僕が手に持つプラカードをよくよく見ると、「最後尾」という文字のしたに小さめの文字で「Starise リリースイベント」と書かれていた。ああ、今から智に電話して派遣バイトを代わってもらった方がいいか。急に智に申し訳ない気持ちになった。そういえば智は今日、補講の日だったっけ?親友ながらに智はつくづく運が悪いなと思わず笑ってしまった。智には今日のこと絶対秘密にしておこう。なんとなくそう思った。 午前はそんなこんなでただ棒立ちしているだけで済んだ。これで時給が発生するの本当に最高。プラカードを持ち続けたせいで腕がプルプルと震えてしまっていたけど、時給が発生する筋トレだと思えば一石二鳥だと言い聞かせた。午後からは、その行列の暇人たちの携帯電話を持って、その、す?スターライズ?のメンバーとのツーショット写真を撮るというバイトであった。暇人の中には気性の荒い人間もいて、メンバーとの撮り直しを抗議しに大声を出す場面もあった。僕の午前中プラカードで酷使した震える腕のせいでクレームの的になりませんように、と心底神経をすり減らしてしまった。午前中の気楽さはなんだったのか。ただ写真を撮るというだけのバイトなのに人生でこんなに神経を使って写真を撮ることはもう今後一切ないだろう。なんなんだあの暇人連中は。写真1枚にこんなに必死になりやがって。くそ。 なんとか午後は耐えて、ひたすら携帯電話の丸ボタンを震える手で押し続けた。疲れた。やっと帰れる、と思ったら今朝の社員が「ごめんね?中野くんだけ残ってもらっていい?中野くん率先してよく動いてくれるからさ、もし良かったら機材の運搬作業、人手足りてないから手伝ってくれたら助かるな」こういうとき断れない人間なのを今日一日で既に見抜かれていたのかと落胆した。これで時給が発生するならまあいいかと思ったけど、これがまあ身体を酷使するのなんの。機材とやらの重さを舐めてかかっていたが、中には女性のスタッフらしき人が軽々と持ち運んでいて、妙に悔しくなって対抗するように必死になってトラックに運んだ。運び終わった後にはちゃっかりアイドルが歌って踊ったあとであろうステージの飾り付けの後始末や、暇人用であろう売れ残ったCDや段ボールの解体作業など、めちゃくちゃこき使われて気付けば夜の10時を指す時計の針。派遣バイトが楽だとか午前中の自分がホラ吹きに思えた。こっちのバイトでも普段のバイトと変わらずしっかりこき使われちゃってるよ。自分の性格が問題なんだと笑うことしかできなかった。やっと社員から解放されて商業施設の関係者裏口から出ようとした。 そのとき「遅くまで作業お疲れ様でした!」と後ろから明るい女の声が聞こえた。こんなスタッフいたっけ?思わずその場で数秒間フリーズしてしまい「あのー、どなたでしたっけ?僕、あの派遣のバイトで今日限りだったんですよ笑」と要らない情報までベラベラ話してしまった。普段の僕らしくないな。「わたしStariseのメンバーの香苗って言います!みんなの夢を叶えるん♪って感じで自己紹介してます。笑っちゃいますよね。自分でも恥ずかしいなって思ってます笑」その陽気そうな女も僕と同じように要らない情報までベラベラ喋ってくれた。「ごめんなさい、僕の友人はファンらしいんですけど、僕はそういうのサッパリで。本当なら喜ぶべきなんですけど、すみません」「そんなことないですよ!わたし、アイドルずっとやってるくせにセンターどころか、ステージの端から落ちそうなところが立ち位置なので、ファンの方でも知らない人の方が多いくらいです。喜ばれることなんて滅多にないですよ笑」この女は陽気なようでいて、どこか自分のような雰囲気を感じた。雰囲気…というかどこかで会ったか?初めて会って、まるで異世界のような芸能界という場所で活躍する、いわゆる日常生活では会うわけもない人間なのになぜかとてもとても懐かしい匂いがした。いや、匂いがしたというのは変態っぽいか。僕って実は変態?!脳内で悶々と考えすぎていたのかしばらく地面を見つめていたことに気付いた頃にはもうその陽気女の姿はなかった。でも目の前の関係者入り口の重い扉の動く音はしなかった。女はどこかに消えた??いやいや、そんなわけはない。向こうの方が余程この関係者通路に詳しいわけだし別の扉があったんだろう。特に気に留めることもなくその重たい扉を開けてさっさと帰路に帰った。 「おーーーい!おぉーーーい!奏多!奏多!お願い!一生のお願い!!!」目の前の智は土下座をしていて、なんでこんな簡単に一生のお願いも土下座できるんだと呆れ返っていた。何やらStariseのライブに新規の客を連れていくと特典で2ショットチェキとボイスメッセージとやらがもらえるらしい。「もう美乃梨ちゃんのボイスメッセージとかレア中のレアでさ!いつも選抜常連メンバーしかクソ運営がボイスメッセージの特典してくれなくてさ、この機会だけだよ!これ逃したら美乃梨ちゃんのおはよう♡で目覚められなくなる、俺が一限の授業遅刻するかしないか今後の大学人生がおまえにかかってんの!!!ライブ代もドリンク代も払うから頼む着いてきてくんない??」「なんなら飯も奢る!!!」僕はそのタダ飯だけに釣られてしぶしぶ納得した。 ライブ当日。特典会とやらで智は今までに見たことのない笑顔で美乃梨ちゃんであろう女とツーショットを撮っている。友人のこんな姿を見るのもなんかこっちが恥ずかしいな。智、根暗な僕と違って顔も性格も別に悪い方じゃないのにこんなことしてないで彼女作ればいいのにな。って最近別れた僕がいうのもおかしいか。 智の特典会の様子を遠目で見ていると、この間のこき使われまくった派遣バイトのことを思い出してしまい吐き気がしたので目線を変えてみるようにした。目線を変えようとしたものの一面にそういうアイドルと暇人(智に言わせればヲタクというらしい。しかもStariseのヲタクのことをスタラーと呼ぶらしい。)の特典会の様子しか伺えなくて吐き気が増すばかりであった。 人混み嫌いな僕にはあまりにもこのライブ会場とやらは最悪な場所だった。どこか空気が澄んだ場所はないか、と探していたらステージの端の落ちそうな場所にたった1人の女が寂しそうにポツンと立っていた。まるであのときのプラカードを持った僕のように。気になって近付いてみると、その女は僕に向かってニコッと微笑んだ。その瞬間にビビッと稲妻が走った…ような感覚になった。あくまで感覚の話。自分でも不思議に思った。「奏多さん、来てくれたんですか?」なんで僕の名前を知ってるんだ?不思議に思ったが不快には感じなかった。名前を呼ばれることがどこか安心するような、そんな気持ち。「いや、なんか新規招待の特典で友人に無理やり連れられてきて…」「だとしても嬉しいです。また奏多さんに会えて。そしてわたしのことを見つけてくれて」「いや、人混みが苦手で避難しようと思ったら、すごい寂しそうに見える人がいて気になって…」「ふふ、わかってもらえました?ステージの端の端にいるから特典会の時間もいつも暇なんです。暇人ですよ。奏多さんがいてくれて安心しました。」暇人。散々に派遣バイトで口にした言葉であったが、香苗さん?のいう暇人はどこか寂しげでいて、自分にも関係のある響きな気がした。「人混み苦手なのでそろそろ帰ろうと思います。ありがとうございました。」香苗さんと話したい気持ちは山々だったがライブハウスの密集具合に気分がもう限界であった。「…待ってください!奏多さんが苦手でない人混みのない場所で会いましょう。この日時でまた。」と1枚の紙を渡された。しかし、ライブハウスの暗がりでよく見えなかったため、とりあえず受け取って会場を出た。 家に着いてベットに寝転がり、さっき受け取った紙を開くと、あまりにも待ち合わせ場所には細かい住所が書いてあった。ここは一体どこだ?と疑ってしまったが隣町であった。事前にGoogleマップで調べてみようと思った僕はあまりに不幸なのか幸運なのか。その住所にある一軒家の画像に酷く辛く頭を痛めた。以前僕が住んでいた場所だ。何かの理由で引っ越しをして今の家に住んでいるが、何の理由で引っ越したのかも母さんに聞いても何も教えてくれない。ただ以前の家で酷く辛い経験をした。そのことだけが漠然と記憶に残っている。中学生まで住んでいた家の記憶がほとんどなく、辛かったから人間の脳が都合良く忘れさせてくれたのだと思いたかったが、同時に忘れてはいけないような宝物のような記憶も失ってしまった気はしていた。 「香苗さんって一体何者…?」 僕は何も知らないままで良かったのに。
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