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彼はいつのまにか自分の茶碗の米を平らげていた。
音を立てて器を置くとシャツのポケットから煙草を取り出してくわえる。
万丈はライターを取り出して尾上の煙草に火をつけた。
「ありがとうな、こんな平和ボケした夢を見たのは久しぶりだ」
「…それは良かった。それより俺の皿に煮豆を放り込んだりするのは止してくれませんか。目玉焼きの黄身にまみれて凄い事になっている」
「甘い豆は嫌いなんだよ。そんなもん食えるか。甘い豆なんか、甘納豆で十分だ。お前のお袋が作ったんだから責任もってお前が食え」
「…ああ、はい。そういうものなんですかね…?」
「そういうもん、だ」
彼等は何を隠そう、幸せだった。
だが彼はズボンのポケットにナイフを持っていた。
いつでも切りつけられるようによく研いだ折り畳み式のナイフを持っていた。
万丈の母親が訝しみながら電話に出ている
「はあ?尾上はどこ?わいはなんね?」
陰のある男の声。万丈と尾上にはまだ届かない。
尾上はすっかりただの中年男になったが、彼はいつだってナイフを持っている。
いつかただのヤクザになる日がくるのを知っているからだ。
その日までとりあえずは奇特な若い男の側でゆっくりと煙草でも吸おうと思っている。
【ナイフ】完
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