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「おっちゃん、いつもニット帽かぶっとるな。なんでえ?」
「…ハゲなのさ。早く学校行けよ。遅れるぞ」
「えー?ほんのこちな?おっちゃんわっぜうそつきやし信じらんねえ。ちょっと取って見せてよ」
「おっし。俺が取ったらお前らもスカート捲ってパンツ見せろよ?」
「ばか!エロオヤジ!」
「なんだよ、俺のニット帽はパンツだぞコラ。お前らにはなにもパンツ脱げって言ってねえだろうが、ああ?布くらいできゃあきゃあ言うなら俺の恥部見たら卒倒するからやっぱ帽子は脱げねえなあ…」
「屁理屈!おっちゃんのケチ!変態!」
(…うるせえなあ)
広げた新聞に目を通しながら尾上はチラリとけたたましい女子高生共を見上げる。
古びた商店街の古びた店の中、コンビニもない街はいまだに個人商店が流行っている。
安いパンと紙パックのジュースを購入し、意味の理解しにくい言語を扱う馴染みの高校生達は最近見かけるようになった店番のオヤジがお気に入りのようで、毎朝なにかにつけ、ちょっかいを出してくるのだ。
ラフなカッターシャツにズボン、耳を隠すようにいつもニット帽を被っている少し怪しい雰囲気のオヤジ。
唇が切れて引きつれているのもなんだか危なそうで見ている分には格好いい。
鄙びた町の女子高生共の標的になるには格好の獲物だった
狭い街は噂が広がるのが早い。東京にいた万丈食料品店の次男が帰ってきた次の日には街中の皆さんがお帰りを言いにきた。
そして万丈食料品店の次男の知り合いと言う男が一緒にくっついてきたと言うのも街中の人間が知っている。
騒ぎ疲れた女子高生達が出て行った店内でパサリとまた新聞紙がすれた音を出す。
静かだ。
少し冷たい朝の匂いが肌をなでる。
尾上はただ、座っていた。
しばらくして奥の方で老女が名前を呼ぶ。
「尾上さんや、おやっとさあ。朝飯できたげな」
「…はあ、すみません。今行きます」
よっこらせ、と立ち上がる尾上のズボンのポケットには、いつも棒状の何かが入っていた。
【ナイフ】
「かごんま弁はむっかしかかんなあ、尾上さんはわからんだろ。やけん尾上さんいとったらおかげせえでおきゃっさあうっけせぇきて商売、繁盛!あんたええ男だしの、ほい、たんと食わんか、たんと」
「…はあ」
線香臭い茶の間は仏間と兼ねているせいだ。
そこにでかい図体の男が二人とババアが卓袱台に向かう姿は少し滑稽である。
訛りがきつくてわかり憎い言葉を話す母親の通訳をする万丈は笑いながらしどろもどろに返事をする尾上に教えた。
「鹿児島弁は難しいから話が通じないでしょうが、尾上さんがいるから客が沢山きて繁盛してるって言ってるんですよ」
「そりゃ良かった。いつ只飯食らいと追い出されるのかと冷や冷やしてる」
「先に追い出されるのは俺の方ですよ。さっきも散々お前の顔は潰れた猫より酷いと文句を言われたばっかりですからね」
「それは親だからだろ、お前の顔、なかなかイケてるじゃねえか」
「…なんだか、尾上さんに言われると」
「安心しろ、タイプじゃない。俺は170㎝以下のジャニ〇ズ系が好みだ」
「…はあ。いや、まあ、いいのか悪いのか解りませんけどね?うちの母親、ぽかんとしてますから…」
「…わるい」
「尾上さん、たんと食え」
「…いただきます」
…安穏だった。
万丈に脅されてと言う名目で彼の実家に世話になってもう2ヶ月だ。
万丈の母親は万丈が帰ってきた事を素直に喜んだし、尾上がついてきた事も男手が増えたと理由も聞かずに歓迎した。
父親は万丈が東京にいる間に死んだそうだ。
長男は少し離れた場所でこれまた酒屋を営んでいる。
実家に帰りしばらくして万丈が配達をして尾上が店番をする。そんな構図が出来上がり、のんびりとした生活が始まった。
尾上はかりかりと沢庵をかじる。黙って食べる。そこには傍若無人に振る舞うヤクザの尾上はいない。
ただの中年男だ。
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