普通列車下り、九時四十七分発

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 おかしいと感じたのと、相手が私に焦点を合わせたのは、おそらく同時だった――瞬間、ぱちりと目が開いた。 「……あ……?」  視界いっぱいに広がる見慣れた天井を、たっぷり十秒は見つめていたと思う。  直前まで掴んでいた人の腕の感触が、次第に薄れていく。眼前にあった公園の情景は、無機質な天井にあっさりと置き換えられ、ああ、夢か、とようやく思い至った。  痛むほど心臓が高鳴っている。  傍にまだ彼がいる。そんな感覚が残っている。少しずつ少しずつその感覚が薄れていって、私は深い吐息を落とした。  妙にリアルな夢だった。  久しぶりに彼の夢を、と思った途端、ぎくりと背筋が強張った。  ……多分、夢から醒めたせいだ。  思い出す、とは違う。蘇る、とも違う。とっくに知っていたことに改めて理解が及んだ、知らぬ間に欠けていたピースが再び嵌まった。言葉にして表すなら、それらが一番近い気がする。  名字。名前。中学校時代の面影。野球部のユニフォーム姿。当時の彼に密かに抱いていた、淡い恋心。  思い出そうと思えばすぐ思い出せていた、最初からそういうものでしかなかったはずの記憶が、我が物顔で頭を満たしていく。 「……なんなの……」  堪らず声が零れた。  吐息によく似た自分の掠れ声をどこか遠くに聞きながら、起き上がることもできず、私は手の甲で視界を塞いだ。  これだから夢というものは厄介だ。平気で忘れたり、普通なら考えられない態度を取ったり、絶対に忘れられない人が相手でも簡単にそういうことが起こり得る。  どうして今頃夢に見てしまうのだろう。  彼はもう、この世のどこにもいないのに。  忘れられない人、という言い表し方が正しいかどうかは分からない。  実際、ここ数年は彼について思い出すことのほうが珍しかった。でも。  弾かれたように、壁の時計に視線を向けた。  時刻は午前八時をわずかに回ったところだ。どのみち遅刻確定の時間だ、けれどそのことは少しも気に懸からなかった。そんなことよりも、夢の中で会社に電話した時刻まで、あと数分。  テーブルに置いたスマートフォンに勢い良く手を伸ばし、会社に電話を入れる。  数回のコールの後、通話に応じたのは直属の上司だった。  これもまた、夢と同じ。でも。 「おはようございます。(なり)()です」  昨日言われた通り、これから病院に行きますので今日はお休みさせていただきます。社長には改めて直接ご連絡します。  ひと息にそう言いきった。言いきらなければならなかった。私は、もう夢を見てはいないのだから。  電話の向こうで、上司は戸惑っているらしかった。私が〝社長〟という言葉を出したからだろう。暴言や横柄な態度を繰り返しては、私の心身をいいように追い詰め続けてきた癖に……なんだかおかしくなってくる。  昨日、自身のミスを私に押しつけた挙句、お前こそ頭がおかしいんじゃないかと暴言を吐き散らかしたことを思い返しているのかもしれない。あるいは、それ以前から続く、私への侮辱的な態度の数々も。  夢とは違って、しどろもどろに『お大事に』と呟く上司の声を最後に、通話は静かに切れた。
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