囚人とヤモリ

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 その真っ暗な独房には、ひとりの男が座っていた。  縦の鉄格子で隔たれた板張りの狭い空間には、便器と小さな格子窓。それ以外には何も、ベッドどころか毛布の一枚すらなかった。それは独房というよりは、単なる古びたトイレという表現が相応しいように思えた。  廊下の突き当たりにぽつりと造られた――隔離されたといっていい、誰もがその存在を忘れてしまうような独房。そこは元々物置小屋だった。それを少しだけ改良し、懲罰用の独房として利用されるようになったのだ。  夏は暑く、冬は寒い。便座と排水溝を取り付けただけの、人間が生活するにはあまりにも虚無の部屋。  この部屋に入る囚人は、刑務作業を免除されるという破格の待遇を受ける。それでもそこに入りたがる人間はいない。何の刺激もない世界で狂ってしまうことを知ってしまうからだ。  過去に十人の囚人が作業免除に釣られて立候補したが、次第に様子がおかしくなり、ついには発狂死してしまった。  その独房はに目が眩んだ者が帰ってこられなくなることから、罠をなぞらえて「ネズミ殺し」と呼ばれていた。それは囚人たちの中では、死刑に等しい罰として非常に恐れられていた。
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