5.katharsis

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5.katharsis

安倍川慎之介ー。彼と対峙して来た日々に、僕は虚無感に囚われて居た事に気づく。 恐ろしい事に、安倍川と言う人間は、自分と瓜二つの顔をして居た。 まさかと思ったが、ほんとうだった。僕と本当にソックリだった。 一人の時に、空に見えたのは、雲の狭間に、自分自身が不安に駆られる、漠然とした不在感だった。 何が自分自身なのか、自分自身でさえ自分を掴めない。他の誰よりも、他人なんかよりも、自分自身を掴む事が何よりも手こずる…。何度もすり抜けるように逃げて、掴み損ねる、空回りする自分自身の手。自分探しの真似事なのか、退屈さだけが僕を苛々させる。眠れないだけが、僕の弊害。大量の薬を処方され、医者の言う事すら徹底的に疑って、僕は薬を飲まない方が良いと想う。アイツらは信じられない。見ろよ?この掌から溢れて溢れてしまうだけの量の薬…お前にわかるか?俺がコイツのせいで毎晩毎晩どんな思いで、眠れない夜を過ごしているか… ?!クスリのせいなの? …わからない…もう自分自身が何なのか、全くわからない。手で顔を覆い隠す様に、彼は絶望感で一杯だった。 聖書を睨みつけ、それを叩き付ける様に床にぶっつけた。バンと跳ね返り、跳ね上がったソレが、鈍い音を立てる。傍にいる私は、彼自身が怯えているかの様に見えた。ナニを… 殺してくれないか?ナァ…ククク、本当にマジでどうかしている…ハハ、何でだろう 眼から涙が訳もなく溢れて、自分がどうしてこんなにまでして、生きていかなければならないのか、その答えがどうしても分からなかった。 見つめる先に、世界の立ち位置がわからなくなって見えなくなってしまった不安定な場所に追いやられた。 人間関係は、拗れて信じられる人間は一人も居ない。何を考えているのか、全くわからない。コイツら、オレをどうしたいんだ…全くわからない…涙が次から次へと溢れ出てきて、僕は空すらもはや、見えなくなって、自身と妄想の、境界の狭間で、何が真実なのか、見分けが着かなくなった。やがて、真断された深層に落ち込んで、消えゆく夢を見た。 誰も、僕なんか見てやしないんだ… 淋しさと寂寞とした大地の切れ間で、僕は必死になって、気に入られようとした。 "私を捨てないで…"絶叫と狂気と痛みが入り混じり、切り裂かれる様に身体に刺さる無数の私を誹謗する、横暴な刃。容赦のない様に、狂って行く僕はアテもない虚空の只中を彷徨う様に漂流しているー。 自分を酷使し、自分なんかより相手の事ばかり、気にして、必死に好かれようとしている。『なんで、私を棄てるの?』 "母が、母さんが、僕を棄てるなんて…!!" "お願い、消えないで…!!お願い、僕を見捨てないで…!!" 伸ばす手に、突き放されて、僕は消えゆく空の彼方に居た、もう一人の僕に出逢う。 ー私を忘れないで…。 それは貴方が掛けた呪いだった。 貴方が私を憎んでいたのは、私の性。私も心の余裕が無かった。金銭面で、経済的に、切羽詰まっていた。切実だった。 私が貴方の心の荒み様(すさみよう)に、胸が締め付けられる様に、キリキリと痛むのは、貴方が私を必死に、繋ぎ止める為の、精一杯の、助けを求める、SOSだった。 愛されたかった…。そう、哀しい瞳で、彼は、僕は貴方の好きな人が、僕も好きで、ファンだったんだよ、嫌ってなんか居なかったんだ。誤解なんだよ…。子供の様な幼い声で私に必死に訴えている。 ー貴方を大好きだった。赦して…。 そう彼は泣いていた。 "僕は、本当は君を愛していたのに、信じられなくなってその手を離したんだー" 最後迄、貴方が伸ばした手を救えなかった。私の負い目が、やがて罪となり、そっと背後から罰を植え付ける。擦り寄る様に、やがて私をとりこんで、私に罪悪感を抱かせる…。やめて欲しい…私は何も貴方を損なったり、傷つけたりしないよ…ねぇ、ほんとうだよ、お願い、信じて…ようやく、気づいたのは、彼はとんでもない人だった、彼が私の心をオカシクさせて居たんだ…ようやく、それが彼自身が、苛んでいた問題だった、と私は、自分自身が巻き込まれて居た事に気付いた。やっと、私は理解した。私は、そうしなければ、生きられなかった…。このまま、私は振り向かずに前だけを見て進む。してしまった事を、それで良かったんだ、そう落ち着かせ様と試みるが、胸に刻まれたその傷は、私の痛みとなって、貴方の痛みが私に直に分かって凄く切ない。 貴方の問題を、我が事のように心配もし、嫌われたく無かったから、自己犠牲までして、尽くし続けたその先に擦り切れて、摩耗して、やつれて、死んでしまった。限界を迎え、親子関係が破綻したのだ、と。 乗り越えた坂道、見降ろすと、そこには、自分が斬り捨てて来た、沢山の罪人の死体が、うずくまって居た。生きる為には、仕方なかった。人々が暮らす街並みが、かつてのマボロシだった。もはや、そこには誰一人住んでいない。優しかった人々、楽しかった日々は刹那に終わりを告げる…。喪失と哀しみに僕は、懊悩と苦悶する。 燻って居るモノを抱えた人々が、憂さ晴らしに高揚し、死に追い詰める。本当は、過去の未練と後悔を、必死にひた隠し、腹の底に溜め込み、懊悩(おうのう)と、生き延びている、負け犬達の遠吠えに過ぎないのに。ウサを晴らしたくて、弱さを内包した因子ー即ち、弱者達が恵まれた人間達に、普段溜め込んだ、苛々とストレスの憂さ晴らしをして、誹謗中傷している。妬みと嫉みが、彼等を狂気に駆り立てている。殺意を隠し、彼等は、苛めている様にしか見えない。さめざめとして、私は、加担する意味が見出せなかったし、弱いモノ虐めをする趣味も無かった。 僕は、今、働いている。青天の霹靂に、見つめたのは、晴れ晴れとした自然への美しさと回帰だった。殺伐とした人間達に窮屈な想いで、心を擦り減らして来た。もう、これ以上、闘うのは、無意味だった。疑えば疑う程、疑心暗鬼になる己の心と、赦さないと言う憎しみと破壊したいと言う、過去の歪んだ憎悪と憎しみ。相手を赦すまでの、長い葛藤としがらみからの解放。闘いの最中に、見出す価値、そして覚醒を繰り返す。高揚した、やり切った感。信じられる、この人なら…。獲得した、結果と自信と、自然と芽生える、信頼関係。何度、信じられなくて、疑って、不安な日々を乗り越えて来ただろう。誰かの悪口を書けば、それを見た人を殺す事になる。誰かを徹底的に叩けば、身近な人に貯まる鬱憤は蓄積して、焦り、ゆとりすらなくなる。ここで、争っても、現実のストレスは、晴らせない。無駄な争いを幾度もして、闘って乗り越えて来たかに見えた。何度、本気で殴り合い、睨み合いの喧嘩を繰り返して来たか。拳を振り上げて来たか。刃向かったか…乗り越えてきたリングの果てで、這い上がり続け、10カウント間際で、歯を食いしばって立ち上がって来た。それは、夢への熱き未練と執着にしか過ぎなかった。やりきれなかった、後悔だ。それは、勝ち続けて来たモノしか、見えない世界だった。その先に有るのは、歩んで来た道のりと、自尊心。破壊した世界は、壊してはならない安寧への危機だった。僕は、悪意に満ちた、言葉のナイフに寄って、追い詰められた人々達の憎しみと言う名の『欲望』を描いた世界を、憎しみに彩られた羅列した個人名を全て消した。それは、悪意があるから、この世界に出してはならない善悪の彼岸だ。自分が過去にされた事を、この場でやりかえせば、同時に、過去にされた差別を、弱者に振りかざす事になる。それは、オレの女、光希を手放すのと、同じ事だ。"大切な者を護る。光希を、必ず"アイツの手は決して、二度と離しはしない。残されたのは、忘れてはならないと、あの時の彼女の未遂を、忘れない事だ。最終的に、追い詰めたのは私なのだ。 "その罪を、二度と繰り返すな"カッコつけて、誰かの為に生きるより、それは、オレのものだから大切にしたい。 後日談がある。安倍川慎之介と言う人間は、偽名だったと後で知り、私はまるで虚をつかれた様に唖然として居た。 何だったんだ?あの日々は… 彼は私自身だったのかもしれない。
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