<2・Phantom>

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 おかげで今朝は朝から仕事がはかどらないこと。同じ入力間違いを三回やらかしたせいで、チーフに本気で心配されてしまった。なんせ頭の中でいつまでも、美しく微笑んで氷像になる推しの姿がぐるぐるしてしまったのだからどうしようもない。ああ、現実と非現実を切り離せと?切り替えて現実頑張れと?ずぶずぶのオタクに完全にそれができる奴って本当にいるのだろうか、正直殆ど見たことがないんですけど?と思う。 ――なんとか、復活しないと。ちょっと休んだら、電車乗らないと。このまま終電まで寝過ごすとか、笑えない……深夜タクシー高い……。  眠らないために、朝香は必死で眼を開けて頭を回そうと努力した。電光掲示板には、“まもなく列車がまいります”の文字がちかちかしている。その周囲に、光に誘われたのか小さな羽虫が躍っているのが見えた。次に来る電車に乗るのは無理そうだ。せめてその次の電車には乗れるように、体力を回復させなければいけない。 『朝香がさ、夢小説地雷だっていうのは承知で訊くんだけどさー』  頭を少しでも働かせるべく、居酒屋で瑠子と話した内容を思い返す。 『子供の頃からの生粋の夢女子としては、やっぱり不思議なんだよね。推しキャラがいるじゃん?かっこいいって思うじゃん?自分が、その推しと恋愛したいって思わないの?文字通り、夢見るみたいに幸せな気分でしょ』  夢女子と腐女子。兼業している人もいるが、根本的には相いれないものだとよく言われる。片や“いもしないキャラを作り上げて恋愛なんぞありえない!”と主張し、片や“キャラを勝手にホモ改変なんかありえない!”と主張してバチンガチンとやり合う状況。腐女子であり、夢女子にも一定の理解がある朝香からすれば(地雷というのは自分が読みたくないという意味であって、好きな人を見たくもないという意味ではないのだ)どっちもどっちで不毛な争いでしかないと思うのだが。なんにせよ、生粋の夢女子を自称する瑠子と、腐女子オンリーの朝香が仲良しというのはあまりないことなのかもしれない。  むしろ少しでも相手の趣味を否定するような気持ちがあったら、こんな火種になりかねない質問は出てこないだろう。お互い信頼しているからこそ、ぶつけあえる疑問もあるというものだ。 『すごーく小さい頃はさ、推しキャラの彼氏になる妄想もしてた気がするんだけどね』  そこで、朝香がなんと答えたかと言えば。 『でも、ある日眼が醒めちゃったというか。どんなに望んでも、私自身は紙や液晶を越えて中には入れんのだよ。妄想すればするほどそういうのを思い知って、夢みたいな幸せより空しさが勝っちゃったというか』 『まあ、そりゃそうだけど』
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