20人が本棚に入れています
本棚に追加
二人が恋人同士であると、擦れ違う人々が気づくことは恐らくない。夜風が少しずつ冬の面影を見せ始めた十一月、街で交差する人々は、皆、迷いない足取りでそれぞれの帰るべき場所へと歩いていく。
「明日、会議が中止になったんだ」
ぐいぐいと引っ張られて歩きながら、朝香はごく普通の口調で切り出した。社会人三年目の彼は、医療機器メーカーの企画部総務課に勤めている。彼の会社と恵のバイト先である珈琲処が隣接していたことが出会いのキッカケだった。恋人となったいまは、「お隣さん」という利便性を活かし、時間が合う時は一緒に帰宅する。逆にいえば、休日に会えるのは月数回程度だ。来年、社会人一年生となる恵は、勤勉な恋人の姿を見るにつけ、世の大人たちはなんと大変なことかとつくづく感心する。
「そうなんだ。会議って、資料の準備とかだけでも大変そうだね」
「まあな。……で、明日はメインイベントの会議がなくなって、休むことにした。有休も少しは消化しないとうるさいからな」
「よかったね。たまには、ゆっくり休みなよ」
なんの気なく返事をすると、ぐん、と、後方に引き戻された。振り返ると、朝香はピューマ顔負けの形相で睨みを利かせている。知らない人間であれば卒倒するだろうが、恵にはなじみの表情だ。立ち止まった彼に首を傾げると、地底から呻くような声が返った。
「クソガキ、なんでそうなる?」
「あ、出た!! 俺がクソガキなら、大ちゃんはクソ野郎だって、何度も言ってるよ。俺たち、四つしか違わないんだからな!」
負けじと言い返すと、朝香は腕を取られた状態でずいっと横に並んだ。自然と目線が上がり、夜に浮かぶ綺麗な横顔につい見惚れる。
「……明日、用事があるのか?」
「ないよ。講義はもう少ないし、明日はバイトも休み」
「それなら――来い」
「どこに?」
向けられた眼差しはまだ威嚇状態だが、恵の問いかけに応じた彼の声は、照れ隠しだと確信できるほど、ぎこちなかった。
「俺の、家だ」
最初のコメントを投稿しよう!