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恋人の裏切り
「ロク、頼むから話を聞いて」
ドア越しに恋人が懇願する。
けれども、開けるわけにはいかない。
この恋人は私を「裏切った」のだから。
「裏切り」というのは、私以外の人と結婚した事…と世間一般には思うでしょう。
もちろん、何割かはそういう気持ちはある。
けども、私の怒りのメインを占めるのは、
何故、パートナーの私になんの説明をしてくれなかったのか?…だ。
だって私は、結婚も事をオンライン会議で知ったんだもの。
初めて知った時は凍り付き、恋人に対し、怒りと不信しか抱かなかった。
でも数分後には、きっとこの結婚の下地には…退っ引きならぬ事情があるのだと、思った。
そこから更に数分後には、この結婚は、彼女にとって重要な要素ではないのでは?と思った。
「取るに足らない」事。
だから私に言わなかった。
事実、オンライン会議では、書類上の配偶者に離婚をこっ酷く跳ねつけられる動画しか披露されてない。
そこから察するに、
少なくとも、パートナーである私よりも、この結婚は重要な要素ではない。
ならば、きっと彼女は、私の元へ来る。
そして待ちに待った瞬間は来たのだ。
話を聞くべきだと頭の中では分かる。
しかし、いざ、恋人の声を耳にすると、ふて腐れる気持ちがムクムクと顔を出す。
そして、暫しの膠着状態。
恋人は参った…とでも言うように、ドアに額を張り付けて冒頭の台詞を吐いたのだろう。
ドア越しから焦った息遣いが聞こえる。
心なしか、ドアにピッタリ背をつけて体育座りする私の背中に、焦った彼女の熱が伝わる様だ。
こんな事態になり、君には、申し訳無く思っている。
身勝手な言い分なのは重々承知してる、けど、話合いの機会をくれ…
ドアはしゃべり続ける。
耳を傾けていると次第にかわいそうになってきた。
…いやいやいや、恋人を締め出したのは怒れる私だ、
私達の結婚は、簡単ではない。
私達の今いる国では同性は結婚出来ない。
恋人は紙切れ一枚で簡単に結婚出来た模様。
それに対する、嫉妬じみた怒りもある。
いやいや、落ち着け、私。
絶対に何かしら事情がある。
彼女の事は誰よりもよく知っている。
だから、事情がなしに、知り合って付き合い長くない相手と結婚する訳ない。
パートナーはそんな人ではない。
彼女の人間性を理解している、私はがちゃんと向き合わなきゃ、かわいそう。
書類上の配偶者にもこてんぱんにされていたし。
私まで責めるような真似すれば、味方無しじゃない…彼女。
ああ、やばい、
さっきと同じ事を言っている。
行き場を失った怒りが、頭の中で、闘牛の様にグルグルと勢いよく駆け回っているのだ。
それに気付くと、自分でも困ってしまった。
それ以上に困っている事に…
「これが最後のお願い。…開けて!ロク!」
凛とした通る声で私に懇願するドアに…いや違う、恋人の声に酔いしれる自分に気づいてしまっている。
すると、ドアをゴンっと恋人は叩いた。
一瞬ギョっとなり、現実に戻される。
怒った?
いやいやいや…シチュエーションとしては、アンタが悪いし…。
ああ、どうしよう、そろそろ潮時かな。…ふて腐れも。
そのタイミングだけは、さすが恋人同士…合った様だ。
「ふうっ……………ごめん、本当に。………後でちゃんと謝るから」
足音が少し遠ざかる。
彼女も潮時と諦めたみたい。
気が抜けると同時に、寂しさを感じた。
矛盾……
面倒くさいわね…私も。
思わず、ポソっと呟く。
次の瞬間、
ドアに近い、窓ガラスが派手な音を音を立てて粉々に散った。
!!!!!!!
割れたガラスの向こうからの侵入者がひらり、と室内に入ってくる。
その瞬間から私はこの侵入者の存在がわかっていた。
この犯人の正体はもちろん、恋人だ。
小説や映画の様に、このシチュエーションに関係ない登場人物が登場…なんて展開は現実的にはない。
何してんのよ!
私は、恋人にそう叫んだ…つもりだったらしい。
実際には、言葉が喉から発っせられる事は無く、私は口をパクパクさせていただけらしい。
後で、恋人に教えられた。
恋人は、着地地点から一歩も動く事無く、私に言った。
「勿論、弁償する」
「……!!」
「原状回復は約束する」
何言ってんの?
当たり前じゃない!
もう、帰ってったら帰って!
どの台詞を吐こうか私の頭はパニックになっていた。
自分でも予想つかない事を恋人にした。
自分の側にあったテーブル上のコーヒーを恋人にめがけてぶちまけた。
恋人の金髪の髪や、白いシャツはコーヒーの色に染まる。
この時になって、私は自分のフウフウという荒い息に自分が思いの外、興奮状態なのを自覚した。
対する恋人は、コーヒーで汚れながらも無表情だった。
数秒、目を伏せ、それから私を真っ直ぐ見つめて恋人は言った。
「それでも帰りたくない。…どうすればいい?」
私の怒りやら、意地が途端に崩れた。
恋人をギュッと抱きしめる。
それに呼応する様に恋人も私を抱きしめる。
コーヒーの香ばしくも、苦い臭いに塗れながら、お互いの体温を感じ取った。
ああ、私の人生に彼女は無くてはならない人だ。
これから先、どんな関係になろうとそれだけは変わらない、と悟った。
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