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「神隠し?」
「……さ、家にお帰り」
微笑む男の顔は、笑っているのにどこか悲しげに見えて、そこを動く気になれなかった。
けれど、帰れと言うのだからここに居てはいけないのだろうと子供なりに俺は考え、ポケットに手を入れた。
そこには祖母の家でもらった飴玉がひとつ入っていた。
取り出して男の目の前に突き出すと、戸惑ったように飴と俺を交互に見つめる。
「……わたしに?」
頷くと、男は笑って手のひらを差し出した。
白く華奢な手のひらに載せると
「金木犀の礼か。賢い子だ」
と目を細める。
俺はまだそこに居たかったし、その人をずっと見ていたいと思った。
「……あのさ」
「うん?」
「……ぜったい、もう来たらだめ?」
男の眼が揺らいだ。
唇を開きかけ、少し考え、男は言った。
「……では、こうしよう。お前が子供の間は来てはならない。大人になって、それでもまだわたしに会いたいと思ったならおいで」
「来ていいの?」
「大人になったら、だ」
その時の俺はきっと、嬉しくて目を輝かせていたと思う。
「じゃあ、大人になったら来る。おれ、たくみ。なるせたくみ。だから、覚えてて」
不意を突かれたように眼を丸くする相手に言い捨てて俺は駆け出し、石段を下りる手前で振り返ると、もうその姿はどこにも無く。
夢でも見たんだろうかと思ったが、手には俺の背では届かないはずの金木犀の枝が確かにあり、飴はなくなっていた。
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