「帰る場所」

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 私は仕事で使い切った足の微々たる余力を使い果たして商店街を歩く。ここを通った先に我が家があるのと、道中のお店で総菜や冷凍食品を買えばすぐ夕食にも取り掛かれるからである。私は一度靴を脱げばどれだけ腹が鳴っても再び外へ出る気が起きない性分だ。  夕暮れ時と言うこともあり、商店街は買い物をする客たちでにぎわっていた。その中に、ひときわ輝く女性が八百屋の親父と楽しそうに会話をしている。妻のコトだ。体格の良い親父と華奢な妻が一緒だと、こちららかは熊に襲われている現場にしか見えない。  遠くからしばらく見ていると、視線に気づいたコトがぱっと顔を上げた。雪のように透き通った白い肌が夕陽で桃色に染まっている。 「おかえりなさい、タツさん」  タタタタタ、妻が熊から逃げてくる。いや、私の元へ駆け寄ってくる。嬉しそうに走ってくる妻を見ているとこちらまで口元が緩んでしまう。 「ただいま、買い物かい?」 「はい。でもタツさんが帰ってくるかなと思って八百屋さんのご主人とお話ししていました」  遠くを見ると、八百屋の親父がこちらに手を振っている。二人で頭を下げたときに妻の持っている買い物袋が見えた。袋は力なく垂れさがっていた。 「まだ決まらないのかい?」  私が買い物袋を指すと「そうなんです」と妻が言う。 「タツさんにご馳走を作ってあげたいと考えていたんですけれど、いざ買いに来たら何にしたらいいか迷ってしまって」 「コトが作るご飯は絶品だ。無理をせずともいいのだぞ」 「それはだめです」と妻がきっぱりと言い放った。 「今日はタツさんのお誕生日ですから、作るものはご馳走です」  ああ、と声が漏れた。そういえば今日は私が生まれた日だ。大人になってからというものの、年齢が重なることがどうでもよくなってきた。今の私は三十代か壮年だ。  しかし、妻のコトはどうにか私にお祝いをしたいようだ。指で額を押さえながら熟考する妻から真剣な気持ちが重々伝わる。私は人差し指を立てて見せた。 「一つ提案だが……」  私が話し終わると妻は笑顔で快諾してくれた。
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