1/3
前へ
/3ページ
次へ

 ひと月余り逢わなかった人に招かれ、此処へ来ていた。  夜半のうちに降りた水の粒で、地面はごく薄く化粧をして光っている。うす曇りの早朝は未だ蒼く、仄暗い。  ぽつぽつと卯木(ウツギ)のひらく垣に沿って進むと、(ヒノキ)の数寄屋門が開かれている。  ひと抱えもあるような煤光りのする門柱の傍へ、いつも通り、主が立っていた。  番傘を提げ持っている。撫子(ナデシコ)を染めぬいた緋色の傘で、梅雨前に僕が贈ったものだった。 「お早うございます」 「お早うございます」  彼女は、袖口から小さな銀の炉を取り、差し出した。 「お手もとに、」  毬形の表面には唐花の透彫が施され、紋様に沿って燻した銀が鈍く光る。それが肌理細かな白い(たなごころ)に載っている姿を見て、両者が離れるのを惜しく思う。  下手(しもて)に包むと、円い重みとともに、冷えた指先をじんわりと温めた。  内側の自在には小さな炭が熾こしてあり、熱灰に沈香の刻が()いてあった。甘い匂いが古渡(こわたり)めいて、鼻腔と心を満たしてゆく。  彼女を見やると、寒さで僅かに上気した頬で微笑ましく、そしてやはりこちらを見ているのだった。
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加