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 僕は何も云わず、懐から自分の炉を差し出した。丹紅がかった美濃焼の炉だ。  彼女の睫毛が迷い気に動いたが、そろそろと手を伸ばし、受け取った。小指が僕の掌を掠めてゆく。  彼女は浅く一礼し、顔を背けるように俯いた。右の手は炉とともに、じっと袂に収まっている。半襟から伸びた白い首筋には、細い黒髪がするりと落ち、耳は仄かに色づいている。  彼女の手首から傘をあずかり、庭へ入った。  袖の内に互いの温度を感じながら、玉砂利の庭を歩む。  足下にしめやかな音を立て、彼女はじっと瞼を伏せ、僕は庭の山査子(サンザシ)の枝が露を湛える様を眺め、緩やかに歩を進める。  南天(ナンテン)の枝から、遠慮がちに二、三度、雀が啼いた。  羽毛が覆っているとはいえ、其処は寒くはないか。  呼吸のたび、澄んだ空気が胸のあたりを締め付けた。  竹簀戸をくぐると辺りはいっそう翳り、苔むした土に飛石が顔を出す。見慣れたはずの引戸の、飴色味がやや濃くなったように見えた。  手水の水盤には、菊の花弁がいくらか散っている。重陽の用意をひとりで行う彼女の姿を、瞼の裡に思う。これから、此処で何度季節が巡るのかを。  からり、と丸い音を立てて戸が敷居を滑り、庵が開いた。
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