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そして、春
「葉月さん、これ、どうやったらいいんですか?」
「葉月さん、次、こっち教えてください」
「葉月さん、これ、スイッチ入れても動かないんですけど」
あちこちから私を呼ぶ声がする。
私は実験室中を歩き回って、困っている新4年生たちの質問に答える。
「これは、まず、こんなふうに…」
「これはちょっと難しいから、一緒にやるね」
「これは、サンプルをセットして、この蓋を閉めてからじゃないとスイッチは入らないから」
ついこの前まで、先生と2人きりだった実験室が、10人の新4年生が入って来てくれたことで、騒がしくも楽しく一変していた。
私は、私が先生にしてもらったように、研究の楽しさを知ってもらえるように、後輩たちと時間を共有したいと思っている。
でも、それを邪魔する人がいる。
「葉月さん、ちょっと」
研究室と実験室をつなぐドアから、先生が顔を出して呼ぶ。
「ごめんね、ちょっと待っててね」
私は実験を教えていた学生にそう言って、研究室にむかう。
「何ですか」
私が研究室に入ると、机の前に座った先生が不機嫌そうな顔でこちらを見ていた。
「なんで、みんな、葉月さんのこと、名前で呼ぶの?」
「先生が私のことをそう呼ぶからですよ。用がそれだけなら、私行きますよ」
実験室に戻ろうとする私の腕を先生が掴む。
「男子学生にまで、手取り足取りしすぎじゃない?」
先生は、じとっとした目でこちらを見上げる。
「先生も私に手取り足取り教えてくれたじゃないですか」
「それは、その、下心があったというか…」
「私は違います。後輩たちに研究の楽しさを伝えたいだけです」
「本当に?」
「本当です」
先生が掴んだ腕を離してくれたので、私は実験室に戻ろうと先生に背を向けた。
ふと意地悪をしたくなって言ってみる。
「私よりも先生じゃないですか?さっき、女の子たちが、今日の夜のお花見、誰が先生の横に座るかで揉めてましたよ。女子大生にモテるなんて、いいですね」
私はドアノブに手をかける。
先生はその私を後ろからぎゅっと抱き寄せる。
「葉月さん、どこ?」
「先生のところかなあ」
「教えて欲しいところあるのに」
ドアの向こうで、後輩たちの話し声が聞こえる。
先生はそんなことお構いなしに、私の耳に口を寄せて甘くささやく。
「僕の隣にいるのは、いつも葉月さんだけだよ」
私は思う。
たくさんの仲間に囲まれて、大好きな人にこんなに愛されて
私は世界中の誰よりも
ついている。
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