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20分ほど後、冬美は伊豆急下田駅ホームに降り立った。
課長と一緒に。
「久しぶりだなあ。相変わらず観光地らしい、旅情に満ちたホームだ」
「そ、そうなんですね」
大きく伸びをする課長を、戸惑いながら見やる。
(なんだか楽しそう……)
電車の中で偶然出会った彼は、どうしてか隣の二人掛けの席に座り、冬美に話しかけてきた。
にこにこと愛想の良い彼は、他部署の人間にありがちな壁を感じさせない。しかも上司であるのに言葉遣いが丁寧で、それでいて親しげな空気を醸している。
ほんわりとした雰囲気に釣られて、ついつい会話してしまったのだ……
課長は伊豆のリゾートホテル開発の責任者を務めたことがあるそうで、名所や名物、温泉などについて詳しかった。今日は久しぶりに下田へ行くと聞いて冬美は驚く。
『私も下田まで行きます』
『へえ。ご観光ですか?』
『えっ、いえ……』
冬美は口ごもった。まさか、好きなアイドルの故郷を訪ねる傷心旅行とは言えない。普通の失恋ならともかく、【推しロス】である。
課長のようなタイプに理解されるとは思えず……
『たまには独りでぶらっと、こう……どこかに行きたいなあと思いまして』
いいかげんな返事だが、課長はうんうんと納得してくれた。
『一人旅もいいですよね。僕も似たようなものです』
『そうなんですか?』
『朝起きたら、急に金目鯛の煮つけを食べたくなって。気がついたら電車に乗っていました』
『……』
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