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仕事はできるが少し変わった人という噂は本当らしい。
わざわざ下田まで魚を食べに行くなんて。
冬美はリアクションに困り、ただ笑みを浮かべるのみ。だが課長は、それを好意的なものと受け取ったのか、驚くような提案をしてきた。
『どうです、野口さん。ここで出会ったのもなにかのご縁です。下田旅行をご一緒しませんか』
『はあ……ええっ!?』
それは絶対に遠慮したい。失恋の傷を癒し、推しへの思いにけじめをつけるために旅するのだ。誰かと一緒では気が散ってしまう。ましてや同じ会社の、しかも目上の人となんてとんでもない。
『あ、あの……しかしちょっと、それは』
失礼にならぬよう、適当な理由を言って断ろう。冬美はぐるぐる考えるが、とっさに上手い言葉が出てこず、しどろもどろになる。
課長は笑顔で見守っている。変わり者という噂だが、悪い評判は聞かないし、実際悪い人には思えず下心も感じられない。純粋に、親切心から誘ってくれているのだ。
でもやっぱり困っていると、彼は察したのか、妥協案を提示してくれた。
『では野口さん、とりあえず食事だけでもご一緒しませんか。その後は自由解散ということで』
『えっ? あ、はい。それなら大丈夫です!』
ハードルが下がったことにほっとして、思わず妥協した。
でも、やはりおかしい。
よく考えると、旅先でたまたま出会った他部署の上司と食事をともにするというのも妙な話である。
普通だったらそもそも話しかけてこないのでは?
やっぱり断ろう――と冬美は思ったが、なかなか言い出せないうちに下田に着いてしまった。
「それでは行きましょうか」
「はい……よろしくお願いします」
早く食べて早く解散しよう。
冬美は独り頷くと、足取り軽い課長と並び改札へと進んだ。
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