1.月曜日

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「髪を切る? それとも、散歩に出ます?」  月曜日の午後七時半。完全に日が落ちた頃合いを見計らって尋ねてみると、台所の奥から「散歩で」という声が聞こえてきた。コインランドリーから持ち帰った洗いたての洗濯物を分けてそれぞれの部屋に運ぶと、秋生は台所の入り口に立って中を覗き込んだ。 「洗濯物、寝室に運んでおきましたよ。……って、うわ、またそんなに作ったんですか」  いかにも昭和の作りという風情の台所は4畳半ほどの食堂と一体になっていて、千影は起きている時間の大半をこの部屋で過ごす。部屋の中央に置かれた二人用のダイニングテーブルには、大皿に盛られた鶏の唐揚げの山が置かれていた。 「秋生くん、好きでしょう? これ」  こちらに背を向けたまま、千影が言った。きゅうりを刻む包丁の軽やかな音を聞きながら、そのすらりとした背中を眺めているうちに、ふと後ろ髪が思った以上に伸びていることに気がついた。前回切ったのは二週間前だっただろうか。千影の髪は伸びるのがひどく早いので、うっかりするとすぐに肩に付いてしまう。 「そりゃ好きだけど。さすがに二人でこの量は食べきれないですよ」 「育ち盛りなのに」 「育ち盛りぃ?」  冗談のような言葉に、思わず笑ってしまう。 「俺、もう二十八ですよ。さすがにこれ以上は育ちませんって」 「二十八……もうそんなに経ちますか」 「はい。育ち盛りだったのはここに来た時ぐらいまで。十年も前のことです。今後育つとすれば、せいぜい内臓脂肪ぐらいのものですよ。だから生活全般を見直さないとなぁって。じゃないと――」  ――千影さんにも、よくない影響が出るような気がするんですよね。  そう言おうとしたが「大丈夫ですよ」という声に遮られる。千影はこちらを振り返った。 「秋生くんは、大丈夫です」 「…………」  黙っていると、ポテトサラダを盛った鉢をテーブルに置いて、千影さんは改めてこちらを向いた。 「もちろん、私のことも心配要りません」 「……そうでしょうか」    こちらの言いたいことすべてを聞かなくても、千影には何でもお見通しなのだ。  千影はいわゆる普通の人間ではない。気味が悪いほどの察しの良さも、彼の特殊な性質のひとつだ。最初こそ心を読まれているようで居心地悪く思ったものだが、この十年のうちにすっかり慣れてしまった。今では話す手間が省けて楽だとさえ思っている自分の怠惰に、少し呆れてしまうほどだ。  十年。人にとってそれはそこそこ大きな時間だ。育ち盛りの子供を脱して、大人へと変わるには十分な時間。けれど千影は十年前となにひとつ変わらない。やたらと伸びる真っ黒な髪も、ほとんど白色に近い爪も、血の気を感じられない透きとおるような肌も、時折赤が混じる不思議な瞳の色も、その瞳が湛える穏やかな光も。この十年、驚くほどに何ひとつ変わるところがない。 「ええ。秋生くんの体調のことは、大体分かりますから」  初めて出逢った十年前、千影は自分よりも年上の男性に見えた。今はどうだろう。同年代に見えるだろうか。ここ数年、あまりにも昔と変わらないその姿を見るにつけ、秋生の気持ちは波立ってしまう。自分でも名前の付けられないもやもやとした感情に振り回されて定期的に不安になることが多くなったが、千影に笑顔で大丈夫だと言われてしまうと、それ以上何も言えなくなってしまう。  黙ったままの秋生を安心させるかのように、千影は微笑んだ。 「夕飯、温かいうちに食べて、今夜は一緒に散歩しましょう」
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