1.月曜日

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「例えるなら、副作用のようなものなのです」と言われた。 「副作用?」 「ええ。イライラしたり、不安が増したり、――私に、飲む血の量を増やして欲しいと望むようになったり……」  一旦落ち着いてから話そうと言われ、家に帰って居間のソファーに並んで座ると、秋生は千影の話に耳を傾けた。 「個人差はありますが、血を提供してくださる方によく見られる傾向です。初めのうちは何の問題もないのですが、時が経つうちに、少しずつ顕著になっていきます」 「…………」 「秋生くんは年齢的にも若く、血の状態も体調的にも問題がないし、今はまだ大丈夫だと思っていたのですが――」  千影はそう言ったきり、黙りこんでしまった。 「いや……、さっきはついイライラしてしまったかもしれないけど。そこまで深刻に考えることではないんじゃないか……な」  慌ててそう取り繕ったが、千影は俯いたまま顔を上げない。  世間一般に認知されている『吸血鬼』。それは長年に渡って人々が物語の中でが作り上げてきた架空の存在ではあるのだろうが、日光が苦手だったり、老わずに長い年月を生きることができるなど、千影の性質と合致する点も多い。ただ、千影は太陽に焼かれても灰になったりしないし、普通の食事だってする。人の血が得られなくても、飢えて死ぬことはない。 「日に焼かれれば灰になって死ぬ、血が得られなくなれば飢えて死ねるというのなら、私はもう生きてはいないし、提供者を探すこともしていないでしょう」  俯いたまま、千影はぽつりぽつりと語り始める。 「血を得られなくても死ぬことはありませんが、全身がバラバラに引き裂かれるような痛みに襲われます。しかし死が訪れることはなく、ただただ、苦痛が続くだけです。その痛みはどうしても耐えがたくて……、どうしても誰かに頼らざるを得ず――」  苦しげに目を閉じると、千影はしばらく黙り込んだ。 「……自死を試みたことは何度もありました。だけど、何をしても死ねなかった。私には死ぬことが許されていないのかもしれません。死さえ選べれば、誰かの人生を台無しにすることもないのに、といつも思います」 「そんな……、そんなこと言わないでよ」  ――自死……って、自殺のことだよな。  その言葉にすっかり動揺した秋生は、千影の腕に手を添えた。 「台無し、だなんて。俺は千影さんに人生を台無しにされたなんて思ってない」 「いいえ。現に、あなたにははっきりとよくない傾向が出てきている。これ以上この関係を続けると、あなたをだめにしてしまう」  千影は隣に座る秋生に体を向けると、その顔をまっすぐに見つめた。 「今からでも、遅くはない。ここで終わりにしましょう」 「……――えっ?」 「申し訳ない。私がもっと早くに決断すべきでした」 「そんな――、急に何を」 「次の提供者がいつ見つかるか分かりません。出来るだけ急ぎますが、もう少しだけ、私に時間をくれませんか」 「や……っていうか。待って、ください」  降って湧いた話に、思わず声が震えた。 「そんなの、嫌です」 「おそらく、今ならまだ大丈夫なはず。あなたの人生をこれ以上壊したくありません」 「いやっ、だから!」  思わず両手で千影の両腕を掴むと、ぶんぶんと振った。 「俺の話を聞いてよ! 千影さん」 「……――」 「どうして、俺の人生を壊したなんて言うの。俺、千影さんと一緒に暮らしてからずっと、いい思いをさせてもらってばかりなのに。学生の頃は特に親にお金を頼れなかったから、家賃とか仕事のこととか、本当に助かったんだよ。それに一人暮らしなんてしていたらきっとロクなもん食べてなくて、今頃は身体だって壊してたかもしれない。知ってるでしょ? 放っておいたら適当なもん食ってその辺の床に転がって寝るようなだらしないやつなんだから。いつも何かしら食べさせてもらったり、体調が悪いときは気に掛けてくれたり……、感謝こそすれ、千影さんがそんな風に思うことなんてひとつもないのに」 「秋生くんの世話をあれこれ焼いていたのは、本当のところ、私の中に後ろめたさがあったからなのだと思います」  千影は目を伏せた。 「私はずっと、大事なことを告げずに来てしまったから」 「大事なこと――」 「血を吸われることに伴う快感と、その代償について」  どきり、とした。吸血行為に付きまとう快感。そのことについてはこれまで、お互いが暗黙のうちに口に出せない話題だった。 「……いやっでも、そういうのはほら、言われなくても分かることだから……。だけど、代償って……」 「吸血行為に伴う依存性について、もっと早くあなたに伝えておくべきでした」  千影は俯くと、自らの手のひらを強く握りしめる。 「予兆なんていくらでもあったはずなのに。まだ大丈夫なはずだという自分の願望が邪魔をして、危険から目を背けてしまいました」 「依存っていったら、ええと……あれですか。薬物とか、アルコールとか?」 「確かに似てはいますが、それよりも根深くて厄介です。このまま放置してしまえば、それはいずれ確実にあなたの心を蝕みます」 「……それってつまり、俺が千影さんの吸血行為に依存し始めている、ということですか」 「はい」 「で、このままいくと、精神をやられちゃうと」 「その通りです」 「だから、もう終わりにしようと。そういうこと?」 「ええ。出来るだけ早くに」 「俺が絶対に嫌だと言っても?」 「そうするべきだと思います」 「それでいいの、千影さんは」 「いいも悪いも、一刻も早くそうしなければ人道にもとりますから」 「…………」 「……どうか分かってください」  出会ったときと変わらない、あくまでも丁寧な口調。頑なにそれを崩さない千影を他人行儀だと思いつつも、こちらから崩すのもよくない気がして、これまでずっと敬語で接してきた。だけどそれは、彼の中にある後ろめたさが作りだした無意識の「壁」だったのかもしれない。 「……俺がどんなに嫌だって言っても、他の『提供者』を探すっていうの?」  言葉にした途端、どす黒い感情が腹の底から湧き上がってきた。怒りや不安にも似た、でもそれだけじゃない、ぐちゃぐちゃとした得体の知れない何か。 「もしもそんなことになったら、俺、耐えられないと思う。千影さんが知らない誰かを連れてきたりしたら、その人を殺しちゃうかもしれない」  考える前から、次々と言葉がこぼれてくる。自分の言葉をどこか遠くで聞いているような奇妙な感覚に捕らわれながら、秋生はとめどなく溢れる感情を止めることができなくなっていた。 「………秋生くん――」   普段なら決して見ることのない、悲しみと焦燥の入り混じった眼差し。何かを言おうとする千影の言葉を遮って、秋生は千影のほうへ身を乗り出した。 「ねぇ。頼むから、俺を殺人者にしないでよ」  千影の目をまっすぐに見つめて、秋生はその腕を取った。 「千影さんはまだ間に合うって言ったけど。きっともう手遅れなんだよ」
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