1.月曜日

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 千影の吸血行為は、性的な快感と繋がっている。だからどうすれば彼が自分の血を欲するのかも、経験上、秋生には分かっていた。  握った腕を強く引き寄せると、その勢いのままに秋生は千影と唇を重ねた。  これまで二人はあくまでも依頼者と提供者という関係であり、秋生は千影と恋愛関係にあるという認識を持ってはいなかった。キスは吸血行為でお互いの気分が高揚しているときに時々することはあったが、それはいつでも、抑制の効いたごく軽いものだった。だが、今はこうしないと自分が置き去りにされるような気がして、ただ恐ろしかった。    千影の体温は普通の人間よりもずっと低い。その唇も、滑らかでひんやりとした舌の感触も、すべてが失われるなんて絶対に認めたくなかった。底のない不安と、絶え間なく突き上げてくる欲求に流されるまま、秋生はこれまでになく深く千影を求めた。 「――んっ、……う――」  不意を突かれた千影はしばらくされるがままになっていたが、やがて抵抗を始める。 「……っ、秋生くん――っ、」  しばらく揉み合った挙句、千影はその両腕で秋生の体をなんとか引き剥がした。 「――やめ……っ――。やめて、ください」  秋生の体を押しのけながら、肩で息をしている千影がかすれた声で訴えた。その瞳には血に飢えているときに出る特徴的な赤い色がはっきりと浮かんでいて、目の端には涙がにじんでいる。急なことに動揺しているのか、秋生の行為に本能が刺激されたのか。掴んだままの手首から直に感じられるほどの拍動に、秋生の興奮はかつてないほどに高まった。なんとか逃れようとする千影を力ずくで押さえつけると、秋生はソファーの上にその体を組み敷いた。 「俺がいないとだめなんだから、千影さんは」  押さえつけた千影の上にのしかかると、その口元に触れて、上唇をぐっと押し上げる。すると、いつもは隠れていて見えない吸血のための鋭い牙がはっきりと見てとれた。 「ほら、出てる。欲しくなってきたんでしょ、俺の血」  嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。こんな嗜虐的な感情が自分の中にあったなんて、と心のどこかで驚きながらも、完全に理性を見失った秋生は自分の衝動を抑えられなくなっていた。 「これから好きなだけ分けてあげる。俺のことなら心配しないで。この先自分がどんなことになったとしても、今、千影さんに捨てられるよりは絶対にマシだから」  千影の頬に手を伸ばして、その輪郭をゆっくりとなぞる。 「だから。頼むから、俺を放り出さないでよ」  千影の目から、涙が溢れて零れ落ちた。 「お願いです、今すぐ、私から離れて――」  言葉とは裏腹にますます赤みを増していく瞳を隠すように、千影は固く目を閉じる。 「これ以上間違えると、本当に、引き返せなくなってしまう……」  引き返したくなんてない。離れるくらいなら、いっそ狂ってしまうほうがいい。押さえつけた千影の上に覆いかぶさって頬を流れる涙を舐め取ると、その体がピクリと震えた。 「泣かないで。俺たちは何も間違ってなんていないから」  胸元のボタンを外すと、千影の手を取って自分の首筋へと持っていく。 「ほら、ここに。早く」  握った手のひらは細かく震えていた。肌に触れるその冷たい感触に、千影を求める欲はいや増していく。その首筋に頬を寄せて唇を這わせると、千影が小さく呻いた。それから――。震えていた手に、力が戻る。  秋生の肩を両手で掴むと、千影は身を翻した。そのまま馬乗りになって、秋生の体をソファーに押さえつける。  目の上には、千影の顔があった。自分を押さえつける手の力強さに、体がぞくぞくと震える。力を抜いて、秋生はされるがままに身を任せた。  浅く短い息を吐きながらこちらを見つめる千影の顔は苦しそうに歪み、深紅に染まった瞳からは涙がこぼれて、秋生の頬にぽたぽたと降りかかった。 「来て」  その頭に腕を伸ばして、強い力で引き寄せる。それ以上、彼が抵抗することはなかった。耳元で聞こえる、荒い息遣い。その唇が牙を当てる場所を探るほんのひとときがひどく長いものに感じられたが、その後はあっという間だった。 「……ん――っ……」  千影の牙が肌を貫くとき、痛みを感じるのはほんの少し、最初の一瞬だけだ。その特殊な牙は吸血に特化したものらしく、秋生の身体に突き刺さると同時に身体に流れる血を吸い取っていく。 「あっ……はぁっ――」  全身の血が千影の牙に吸い寄せられるような錯覚に襲われて、頭がくらくらした。身体のなかをくまなく探られているかのような羞恥にも似た感情と、その後に来る、言葉にならない快感。秋生は千影の肩に両手を縋るように回しかけると、その快感に身を委ねた。  どこにも行かないで欲しい。ずっとそばにいて欲しい。千影の存在はいつからそれほどまでに大きくなっていたのだろう。思い返してみても、そこにはっきりとした節目などなかったような気がする。二人で積み重ねてきた年月は、秋生にとってかけがえのないものになっていた。  千影さんが苦しまなくていいように隣にいるのは俺であって、他の誰でもない。誰にも渡したくない――そう思うことは、単にこの行為の「代償」なのか?  もしもそうであるのなら、なんという虚無だろう。俺はそんなこと、認めない。  自分の気持ちを、そんなもので片付けて欲しくない。千影さんにだけは、絶対に。 「――本当は……」  首筋から唇を離すと、千影は泣きながら秋生を抱きしめた。 「私もあなたと離れ難かった。だから気づかないように、自分で自分を誤魔化してしまいました。……許してなんて、とても言えない。取り返しのつかない卑劣なことをしてしまった――」  朦朧とする意識の端でその声を聞きながら、秋生は千影の背に回した腕に力を込めた。  ――そんな風に自分を責めないで。俺のことを思ってくれて、すごく嬉しい。千影さんのこと、大好きだから。  声に出して伝えたかったのに、血を吸われた直後のせいか、身体も頭も麻痺したようになって言うことを聞かない。千影に抱かれたまま、秋生は力尽きたように眠り込んでしまった。
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