叙事詩

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叙事詩

 魔力が満ちた深い森に囲まれ、魔族が支配する国ロストリア。  森自体が結界となっており、魔力のない人間が足を踏み入れれば、いつの間にか全く別の入り口に立っていて、森の奥へ抜けることが出来ず、万が一、森を抜ける事が出来たとしても、高濃度の魔力に当てられた人間は、3日と生きてはいられない。  生命が宿る世界の3分の2は、ロストリアの領土と言われている。  広大な面積と多種多様な種族が暮らす魔の国の中央は、魔族の頂点に君臨する魔王が住まう城がある。  大鷲が両翼を広げたように左右に広がった城の眼下には湖、背後は森が守る難攻不落の城だ。    夜の帳はとうに降り、夜行性の種族も多いロストリアでも静寂が訪れる時刻。  寝静まった魔王城に一室だけ煌々と灯りがともる部屋があった。  臣下の庶務室として作られた一室である。  庶務室の机は、書類や巻子が積まれ机の主の姿を隠してしまっている。床も、積みきれない書類で足の踏み場もない程であった。  机の僅かに残ったスペースで青年が無心で羊皮紙にペンを走らせている。魔法を使えば一瞬で仕上げてしまえるのだが、どうやら手書きに拘っているようだ。  外が白み始めた頃、ようやく青年はペンを置いた。  書き上げた羊皮紙をパラパラと捲り満足気に頷いて立ち上がる。  そろそろ、彼の主君が起きる時間だ。  姿鏡で身嗜みを整え、羊皮紙の束を小脇に抱えると、散らばる書類を掻き分けて部屋を出て行く。  扉が閉まると同時に、散らばっていた書類や巻子は、ふわりと浮き上がり、棚や引き出しに戻っていった。     『大いなる意思は混沌から世界を生み出した。  次に、海を作り、島を作った。  次に、命を作った。  火と水と風と雷を与え、命自ら生きていける力を与えた。  ところが、生まれた命の中に力を持たない物がいた。  困った大いなる意思は、力を持たない物たちを守るため、2人の子を呼び、守護するよう命じた。  1人は暁の守護者と呼ばれた。大いなる意思の子の中でも最も美しく、光をもたらす慈愛のルシファー  1人は宵の守護者と呼ばれた。大いなる意思の子の中で最も気高く勇敢なイシュタル  2人の守護者は対となり、力を持たぬ物を導いた。  次第に暁のルシファーは宵のイシュタルを愛するようになった。それを知った大いなる意思は怒り、名を剥奪し、追放した。  追放されたルシファーは、名をルシフェルと改め、追放されてなお、守護者の役割を果たすため、力を持つ物を従え国•ロストリアを作った。  しかし、ロストリアの軍勢が天界を脅やかすのではないかと恐れた大いなる意思は、宵のイシュタルにルシフェルを討伐するよう命じた。  イシュタルと対峙したルシフェルは愛するイシュタルに剣を向けることができず、配下をイシュタルに託し自ら死を選ぶ。  対を亡くしたイシュタルも大いなる意思へ報告した後自害した。  一度に2人の子を亡くした大いなる意思は悔やみ嘆いた。  ルシフェルの願いを聞き届け、ロストリアが脅かされぬよう深い森で囲むと、2人の魂が再び巡り会えるよう印を刻み眠りにつかせた。  ――ロストリア叙事詩』      魔王城の内廷にある執務室で、魔王カリム•ルシフェルは、手にしていた羊皮紙の束を投げ出し額を抑えて唸った。  長い銀糸が白い頬にはらりとかかるのを苛々と払いのけ、深紅の瞳が傍らの側近を睨む。世界でもっとも美しいと謳われる美貌を持つ魔王の威圧は迫力が半端ない。 「……なんだ、コレ」 「叙事詩の下書きです。一応お目通し頂いた方がよろしいかと思いましてお待ちしました」  唸るカリムに対して、彼の側近であるベリアルは臆する事もなくニコリと笑いかける。  こちらも主程ではないが整った容姿をしている。  腰まである長く艶がかった黒髪に金色の瞳を持つ、一見穏やかに見える顔立ちではあるが、魔王の即位以前からカリムに従う実力者だ。睨まれてもけろりとした側近の態度に、カリムは溜め息を吐く。  数万年の寿命を持つ魔族は、歴史を言い伝えることは左程苦労はなかったが、長く眠りについていた魔王が目覚め、魔力が国全体に解放されたことで、近年になり新しい種族の発見や子どもが産まれる種族も増えた。その為、各地の種族で口伝されてきた歴史を一つに纏めるという公共事業を行うこととなった。 「事前に報告を入れてくれたことはありがたい。だがな、もう少し文才のある奴はいないのか? 冒頭3行で読むのやめたくなるぞ」 「……渾身の力作なのですが」 「書いたのはお前か。公共事業舐めてるのか」  眉間に皺を寄せて羊皮紙を突き返すと、苦笑いでベリアルはそれを受け取り、ふと窓へ視線を向けた彼に釣られ、カリムも窓を見る。 「……陛下。宵の明星が……」  視線の先に、月が出ている。そのすぐ側に一際輝いている星。数万年の間、その星は、時間によって輝きを失っていた。  輝いているのは明け方だけ。その星が再び輝き出した意味をカリムはよくわかっていた。  立ち上がり窓辺へ移動し、窓を開く。気を遣ったのか、ベリアルが一礼し、静かに部屋を出て行った。 「目覚めたか……イシュタル」  カリムは目を細めて呟き、長い時間、宵の明星を見上げていた。
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