僕の好きな作家はいつも芥川賞を逃す。

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 僕たちは一緒に、病院の四階にある中庭に出た。 「ここ結構いいんだよね。歩き回るのは制限されてないから」  昼間でも少し肌寒い季節になっているので、似奈は入院用のパジャマの上にパーカーを羽織っている。 「そういえばね、創太くんに話したいことがあって」  前を歩く似奈は振り返って、得意げな顔をした。 「私、W大学の文学部を受験しようと思ってるんだ」  W大学は、多くの作家や文学者を輩出している有名な大学だ。偏差値は高い。似奈が本来行くはずだった高校なら滑り止めで行けるかもしれないが、朝香からとなるとかなりの勉強が必要になる。 「……体は大丈夫なの?」  僕は思わず心配になって訊いた。検査の結果が(似奈の予想では)良くないんじゃなかったんだろうか。元気そうには見えるが、似奈のことだから体調を隠している可能性もある。 「だって学校行かなくていいんだよ? 勉強し放題だよ」 「それはそうだけど……」  僕が体調のことを言っても、似奈は相変わらず気にしてなさそうだ。  似奈は振り返ったまま、僕の目をしっかりと見て言った。 「もうこの先長くない人生だから。体調のことなんて気にしててもしょうがない。どうせ、丁寧に自殺なんてしなくても病気で死ぬんだもん。小説も勉強もちゃんと頑張って、ちゃんと成果を出してから芥川先生に会うの」  僕は何も言えなくなった。似奈は笑わなかった。 本当なら「そんなこと言わないで」とか、「どうせ死ぬなんて言っちゃだめだ」とかいうべきなんだろう。でも、似奈がどんな気持ちで今までいじめに耐えて、図書館倉庫にこもって小説を書いていたのか考えると、とてもそんな言葉は口にできなかった。 しかし、似奈が「死ぬ」なんて言葉を口にしたのは初めてだった。病気のことをカミングアウトされたとき、似奈は「長生きできない」と言った。今みたいに直接的な言葉を口にすることはなかった。そこに、似奈の人生に対する覚悟がうかがえた。  死ぬかもしれないって、どんな恐怖なのだろうか。もちろん、自分だって事故等で「死ぬかもしれない」ことに変わりはないのだが、似奈は人よりも死期が近いことが医学的に証明されてしまっていると言える。自分が事故で明日死んでもおかしくないのに、似奈は数か月後、数年後に死ぬかもしれないと言われるだけで、なんだか鳥肌が立つ。  僕は似奈に圧倒されて、似奈が話を変えるまで、何も言えなかった。  似奈のお母さんが荷物を持って来ると言うので、僕はその前に帰ることにした。似奈にはまた後日来る、と伝えた。似奈のお母さんに会ってみたい気もしたが、いきなり、しかも病院で、男の友達を紹介されてもびっくりするだろう。似奈から、仲のいい後輩の男子がいる、とまた伝えるというので、その反応を見てから、会うことにした。
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