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三万字くらいある似奈の小説は純文学寄りだった。上京して夢を追い、夢が墜えて会社員になるまでの女性の姿をえがいた作品だ。普段から長い小説を読むので、三万字はすぐに読めた。
まるで自分が経験したかのように、鮮やかに物語を紡ぎ出す。僕は驚いた。彼女にこんな才能があったなんて。
「これは自分がモデルなの? 何か夢を諦めたことがあるとか」
尋ねると、似奈は首を振った。
「ううん、これはまったく架空のキャラクターだよ」
だとしたら尚更すごいと思う。僕にはこんなことは絶対にできない。自分で書いた小説はそれほどまでに面白くなかったし、似奈の小説は同年代の少女が書いたと思えないほどしっかりしていた。
「小説書くの上手いんだね」
僕は感心して、特に飾り気のない言葉でそう呟いた。他に言いようがない。キャラクターがどんな場所で何をしているのかがはっきりとわかる描写だ。
「たくさん本を読んでいる人にそう言われるのは嬉しいな」
似奈はまた照れ臭そうに笑った。そして、きっとした真面目な表情に戻るとこう切り出した。
「私、作家を目指してるんだ」
「純文学の?」
「そう」
「もしかして、芥川賞や直木賞を目指してる?」
僕ははっとした。僕の中にしかないあのジンクスを思い出したのだ。
「うん」
彼女はこくりと頷いた。僕は少しだけ焦る。
「まずい」
「は? 何が?」
彼女は全く訳がわからないというように眉間にしわを寄せた。
「まぁただのジンクスなんだけどさ。僕が好きになった作家、全然芥川賞獲れないんだよね」
僕はちょっと頭を掻きながら、自嘲気味に笑って言った。
彼女はぽかんと口を開けた。
「なにそれ。どういうこと」
「僕が好きになる前から芥川賞を獲っている人はいるけど、雑誌掲載されて、僕がこの人いいなぁと思った作家は芥川賞を獲れないんだ。そのまま芥川賞を獲らずに大御所になってしまったり、作家としてデビューしたものの、芽が出ない人もいる」
簡潔に僕は説明をした。こんなの馬鹿げていると彼女は思うだろうが、僕はちょっとだけ真剣だった。
「うーん……それって、創太くんの見る目が無いってことじゃないの。芥川賞的に、だけど」
彼女は唸ってそう言った。僕はぎくりとした。僕の好みがたまたま芥川賞に合わないだけだ、と見方を変えた反論をしたいが、彼女の言うことは一理あった。
「僕は太宰先生の呪いだと思ってる。太宰先生は、先生のファンである僕が好きになる作家が芥川賞を獲ることが許せないんだ、きっと」
僕はちょっと真剣なトーンで言う。すると、彼女は腹を抱えて笑い始めた。
「何が面白いの」
僕はちょっとむくれて言った。
「だから、私の作品を好きになっちゃったら、私が芥川賞を獲れないってこと?」
大笑いして、似奈は言った。笑い過ぎで目尻に浮かんだ涙を拭いながら。
「……そういうことになるよね。似奈の作品は好きな部類に入る。って、何がそんなに面白いんだよ」
「だってそんなことありえないじゃない。川端康成が呪われたってしょうがないけど、君が呪われる筋合いなんてないよ。あーおもしろい」
似奈は言い終わると、またちょっと思い出したようにくつくつと笑った。
彼女が川端康成の名を出したのは、太宰治に芥川賞を与えなかった選考委員のひとりだからだ。確かに川端康成が恨まれるのはしょうがないだろう。太宰治は、彼に受賞を乞う手紙まで出している。そこまでしたが、結局受賞することは叶わなかった。
「僕は割と真剣に悩んでるんだけど。似奈はいい作家になるよ、って言いたいところだし、実際すごくいい小説を書くけど、僕が保証したら芥川賞を取れないかもしれない」
大ウケしている似奈に少しだけ腹を立てながら言う。
「大丈夫だよ。私、自分の力で賞を取ってみせるから。創太くんの中で、初めて『好きになってから芥川賞を受賞した作家』になってみせる」
似奈は勝気な笑みを浮かべて言った。
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