僕の好きな作家はいつも芥川賞を逃す。

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 重そうな扉を抜けた先には、赤い絨毯が敷かれたおごそかな空間が広がっていた。木製のごつごつした執務机、装飾がほどこされた校旗。歴代校長の写真が壁に並べてかけられている。中央には、来客用のガラスのローテーブルが置かれ、その脇には見るからにふかふかそうなくすんだ赤色のソファが鎮座している。 「どうぞ、座って」  校長先生は奥のソファに腰掛け、僕らも座るように手で促してくれた。 「失礼します」  三人ともそう言って、僕らは赤色のソファに腰掛ける。校長先生に向かって一番右側に加藤先輩が座り、隣に俊、そして左端に僕。座った瞬間、思ったより奥に体が沈んで行った。僕は横柄な態度に見えないように、なるべく浅く腰掛け直した。 「話って、どうしたの? 何かあったのかな?」  僕らの顔を順に見て、校長先生は待っているように、じっとしずかに膝のところで手を組んでいた。  何から話せばいいのだろうか。それに、誰から切り出すかも重要だろう。多分加藤先輩や俊も思っていることは同じで、僕らは校長先生に尋ねられてから数秒間黙り込んだ。 「何かよほど深刻なことみたいだね」  校長先生は察したように、僕らの沈黙をやぶった。そして、さきほどの温かみのある表情に少しかげりが混じったのが、僕にははっきりとわかった。 「言いにくいことならゆっくりでいい。君たちが僕に話をしに来たいと思ってくれたことを尊重したい」  すると、加藤先輩がすっと息を吸う音が聞こえた。 「僕のクラスの、国領似奈っていう女子生徒がいるんですけど」  そのまま先輩は話を切り出した。 「彼女は一学期から、うちのクラスの女子にいじめを受けていました。でも、担任の先生は見て見ぬ振りをしています」  一瞬、校長先生の呼吸が止まるのを感じた。  僕も、たぶん俊も、一瞬緊張で身動きができなかった。加藤先輩は続ける。 「実は何度もクラスメイトが担任の先生に話をしています。でも何も改善していません」  ちらりと右端の加藤先輩を見ると、先輩はまっすぐ校長先生の目を見ていた。 「……二年二組の担任は、誰だったかな。金井先生だったかな」  校長先生は加藤先輩を見てそう訊いた。 「はい。金井先生です」  先輩はすぐに答える。 「……そうかあ」  校長先生は加藤先輩から目をそらし、遠くを見るようにして言った。  二年生の先生方を全く知らないので、金井先生がどんな先生なのか僕には全くわからない。  数秒間の沈黙のあと、再び校長先生は加藤先輩をしっかりと見て、もう一度質問をした。 「具体的にどんないじめがあったのか、教えてくれるかな」  加藤先輩は短く「はい」と言って、話し始めた。 「最初はただの小さな嫌がらせのようなものだったと思います。女子の人間関係はわからないので、どうしてそうなったのかはあまり知りませんが、初めは国領が他の女子に話しかけると無視するとか、そういうくだらないものでした」 「でもどんどん、一目につかないようにはしていたみたいですが、殴る蹴るの暴力をふるわれていると女子に聞きました。僕が直接見たのは、一学期、休み時間に髪を無理やり切られて、びしょ濡れになっていたところです。理由を女子に聞くと、トイレで水をかけられたみたいでした」  校長先生は明らかに、返す言葉に詰まっていた。何を言っていいのかわからないのだろう。僕だってそうだ。似奈がそこまでされていたとは知らなかったし、今思えばよく実態も知らないで、校長先生に直接話しに行くと言えたものだ。俊と、その繋がりで加藤先輩がいなかったら、僕に一体何ができたのだろう。  似奈の髪は、夏に出会ったときから、肩より少し上くらいだった。ラーメン屋で初めて目にした彼女の姿をよく覚えている。一学期、似奈が髪を切られていたとすると、僕が出会った頃にはすでに切られた後だったということだ。毛先が綺麗に整えられていたあの髪は、もしかすると勝手に切られた後で、綺麗に美容院で整えてもらったのかもしれない、と想像した。  加藤先輩は少しの間を置いて続ける。 「勝手に髪を切られたとき、クラスの中で、『いじめが過激すぎて見ていられない』という派閥が男女関係なく生まれました。その中に僕もいたんですが、そのグループで金井先生に訴えにいったとき、『それは女の子同士のイザコザだから、僕が首を突っ込むわけにはいかないんじゃないか』と言われました」  その言葉を聞いた瞬間、僕は頭にカッと血が上るのを感じた。なんて適当な言い草だ。髪を勝手に切られるなんて、犯罪じゃないのか。少ない法律の知識だが、金井先生の考え方が明らかに間違っていることなんて僕にもわかる。  先輩の話からして、先生は男性なのだろう、と想像する。そして、女の子同士の人間関係がよくわかっていなかったのだろうか。たとえそうだとしても、髪を切られるという壮絶で明らかないじめに「女の子同士のイザコザ」なんて口にできる神経が僕には心底わからない。 「そのあと何度も金井先生に話をしに行ったんですが、ずっと相手にされませんでした。そこで、この、サッカー部の後輩の名川から、クラスメイトに国領と学校関係なく仲良くしている人がいるって知って」  加藤先輩は俊と僕のほうを指して言った。 「佐藤くんからも、国領から直接『いじめを受けている』って聞いた、という話を聞いて、もうこれ以上金井先生が動いてくれないなら、校長先生に話をしたほうがいいと思ったんです」  加藤先輩がそこまで話終えると、校長先生は少し唸るように息を長く吐いた。 「その、被害者の国領さんは、今日学校に来ているのかな。不登校というわけではない?」 「国領さんは今日から持病のため入院しているそうです。不登校ではないと思います。昨日、学校で会いました」  僕は長い沈黙を経て、加藤先輩より先にようやく声を発した。 「不登校ではないです」  加藤先輩も追って質問に答えてくれる。  校長先生は少し意外そうな顔をした。 「国領さんは持病を患っているの? それは、いじめとは関係のない病気なのかな?」 「関係ないと思います。もともと持病のために近所のこの高校を選んだと話していたので、いじめが始まる前からの病気だと思います」  僕は校長先生の言った可能性に思い至っていなかったことに気づいたが、電話で言っていた内容からすると、多分関係ないだろう。  校長先生は静かに重苦しい息をもう一度吐き出して、ゆっくりと口を開いた。 「わかった。金井先生と僕が直接話をするよ。そのあと、加害者側の女子生徒とも話してみる。報告してくれてありがとう。もし何か進展があれば、加藤くん、君にまず伝えさせてもらう」 「よろしくお願いします」  僕らは三人ともばらばらにそう言い、頭を下げた。そして校長先生にお礼を言って、校長室をあとにした。
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