僕の好きな作家はいつも芥川賞を逃す。

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 太宰治という小説家に出会ったのは、中二の頃だ。  窓が大きく開いて、秋めいた風が吹き抜ける教室にいた。「走れメロス」を朗読する、女性の先生の少し高めの声を聞きながら僕は目を閉じる。外では虫の音や風に吹かれる葉の音がしていたが、先生の声で語られる物語に夢中になっていった僕には、それが少しずつ聞こえなくなって、「メロス」の世界の音が聞こえた。  勇敢な「メロス」の姿がありありと浮かんだ。今までに感じたことのない感覚だった。国語でどんな作品を読んでも、こんなに鮮明に物語のすがたが浮かんだことはない。  こんなすごい作家が僕の知らないところで存在していたんだ。    買い物袋を背負ったまま王に物申すメロスのすがたや、妹のために走って村に帰るところ、走って陽が沈むぎりぎりのところで王城に駆け込むシーン。すべてに臨場感があって、ただ先生が太宰治の綴った小説を声に出して読んでいるだけなのにまるでひとつの映画を見ているような気分になった。    最後の文を読み終えて物語を締め括った先生は、そのあとすぐに太宰治という作家の生涯について語ってくれた。  彼が青森県の津軽地域で生まれたこと、大きな家だったこと、今の東京大学に入学したけれど中退してしまったこと、それから何人かの女性と自殺未遂をしたこと、最後には玉川上水に身を投げて亡くなってしまったこと。そして、遺体が見つかったのが誕生日だったこと。  何か運命のようなものを感じた。僕は、この作家に出会うべくして出会ったのだ、と感じた。こんな風に文章を読んで自分の体に電流が走ったかのような状態になったことがないのだ。  それが僕の、太宰治という文豪との出会いだった。
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