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追跡-③
俺は木の側面にそっと左手を添えて見上げた。
樹皮のあちこちに小さな瘤がある。
このどれかがカムフラージュされた誘導装置である可能性が高い。
俺はそのままの体勢でしばし黙考した。
「レフティ、この木の誘導装置から出入口を起動するためのシグナルを探ることは出来るか」
俺は一番手近にある瘤を見つめながら言った。
この木から流れる電波が探知出来たので、誘導装置自体の特定は難しくはない。
俺が狙っているのは、それを利用して出入口の所在とその所有権を得ることだ。
ドローンの認知を誘導装置が行っているならば、同時に出入口を開閉するためのシグナルもそこから出ていると考えられる。
そのシグナルを捕まえることが出来れば、信号パターンを解析することで意図的に扉を開ける事が出来る筈だ。
その機能がレフティには備わっていた。
このAIは周囲百メートル以内のあらゆる電波・音波の波長を補足し、それをそのままコピーするという離れ業までやってのける。
つまりこの偽シグナルを使えば、自在に出入口を操作出来るという訳だ。
実際これまでにも、強固なセキュリティシステムの建屋に侵入した事は一度や二度ではない。
通信設備の搭載された電子機器に対して、レフティは圧倒的な能力を発揮出来るのだ。
全く頼もしい事この上無い。
『理論上は可能です。誘導装置の位置は特定しましたので、波長解析が完了次第コピー作成を試みます。お手数ですが左腕を前方一時の方向に挙げていただけますか』
俺は言われるまま、その場で左腕を挙げた。
一時の方向とはあの枝の辺りか──
『少し下げてください……そこで結構です』
時計盤の点滅が速くなったかと思うと左手から感覚が消失した。
レフティが左手の所有権を自らの方に切り替えたのだ。
言い忘れていたが、特殊な機能を使用する際はその発動効率を高めるため、レフティの側に左手の所有権が移行する。
その間は左肩に微かな重みを残して全ての感覚が消失し、自分の意志では指一本動かせなくなる。
何度やっても慣れない奇妙な感覚だ。
位置決めが終わった途端、「ヒュッ」という小さな斬撃音が鳴り、左手首が宙に向かって飛び出した。
なんじゃそりゃ、と言われそうなので一応解説しておく。
これは俺の左腕に備わった特殊能力の一つで、手首から先の部分は自由に分離することが出来る。
十メートル程度の距離なら圧縮空気の力で弾丸のように飛ばせるのだ。
ただし武器としてでは無い。
あくまで今回のような手の届かぬ場所への対処用だ。
くれぐれも某ロボットアニメの必殺技を連想するのはやめてくれ。
見た目はそれほど格好のいいものじゃないから……
手首は一瞬で数メートル上方の枝に到達すると、器用にそれを掴んだ。
枝にしがみついた手首と腕とは完全に分離しているのではなく、直径二センチほどの細いケーブルで連結されている。
AIと直結する電子配線の通ったケーブルである。
ほどなく、しがみついた手の人差し指がゆっくりと掌から伸び始めた。
やはり同じように細いケーブルで掌と繋がっている。
実は、分離出来るのは手首だけでは無かった。
五本の指も同様の芸当が可能なのだ。
人差し指は瘤に到達すると動きを止め、指先から糸状の赤い光を照射し始めた。
目に残像が残るほど眩しいそれは、極細の高周波レーザーであった。
外科手術に使われる電気メスと原理は同じだ。
武器になるほどの威力は無いが、薄いステンレス程度なら容易に分断することができる。
主に今回のような工作手段として使用される機能だ。
あっと言う間に瘤の表皮が円形状に切り取られ、入り組んだ配線が剝き出しとなる。
思った通り瘤はカムフラージュだった。
人差し指はそのまま配線の間隙に滑り込み見えなくなった。
イメージが湧かなければ、医療器具の内視鏡を想像してもらえばよい。
先端部分が揺れながら侵入していく様は、まさにその動きそのものだ。
俺はそれを憮然とした表情で眺めていた。
何度見ても慣れない光景だ。
自身の手が身体から離れて動くだけでも滑稽なのに、その指までが環形動物さながらに這い回るのだ。
まるでホラー映画のワンシーンである。
慣れろという方が無理な話だ。
しかも感覚が無いので、俺は自分の手が戻ってくるのをただボーっと待つしかない。
正直この光景を目にするたび、AIを接合したことを後悔してしまう。
自分の身体が、自分のものであって自分のものではない……
そんな底知れぬ疎外感に襲われるのだ。
いわゆるトラウマというやつである。
とはいえ、この機能が今回のような高度な仕事に有効なのは確かだ。
通常なら、相応の機材と専門知識を必要とするからだ。
必要なものは全て左手に備わっている。
レフティにとって探査や解析は、その機能の一端でしかない。
真の力はその加工・可変能力にある。
その気になればシステムを改変することで、対象の電子機器を全く別のものに変える事も出来るのだ。
全くもって、俺はとんでもないものを左手に抱えているのである。
『解析完了しました』
作業が始まってから数分でレフティの報告が返ってきた。
いつもながら仕事が速い。
『シグナルパターンのコピーに成功しました。いつでも地表出入口の開閉が可能です』
よしっ!
俺は心の中で拳を叩いた。
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