ガーベイジペイルキッズ・アライブ

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 笑い転げるトシ坊を店に残し、俺と田丸は雑居ビルを出た。 「何なんですか、アイツ。キモい奴でしたね」  田丸は心底薄気味悪そうに言った。 「ん……そうだな」  俺は一応返事はしたが、心の内奥ではまた別のことを考えていた。田丸はトシ坊とは初対面だ。俺とトシ坊のこれまでの経緯も当然知りはしない。田丸からしたら、トシ坊がただの気色の悪いイカれたヤクザにしか見えないのは当然だ。  但し、俺は昔のこととはいえ、行きがかり上、奴とは色々あった。むかつく奴だし、その言動に苛々もさせられる。それでいて、妙に心の奥の方を揺さぶられるような感覚がある。 ーそう。奴は間違ったことは言ってない。  俺は色々なことを捨て去って、諦めて、半ば歩く死体のようになって生きている。程度の差こそあれ、この国に生きている人間の多くがそうであるように。  別に普通のことだ。  三宅のセクハラ・パワハラも過剰なもの以外は目を瞑ってきたし、梅原部長から頼まれて書類データの捏造や偽造にも手を貸した。俺以外の人間の中にはそれらが原因で心身を病み、会社を辞めていく人間が何人もいた。だが、彼ら彼女らに対し積極的な援助を俺がしただろうか。いや、しなかった。せいぜいが労いの言葉をかけた程度だ。  部長や三宅など会社に残った人間は口々に言った。「彼女は気持ちが弱かったんだよ」「自己責任だから」「彼は健康管理が足りなかったのかな」。最後に俺に残った良心の欠片が、それらを口にすることだけは俺にさせなかったが、見て見ぬふりをしていたということは所詮同じ穴のムジナである。  今の会社が特別な訳じゃない。これまでいた所も少なからず似たようなことはどこでもかしこでもあった。生きるために、食うために、正義感や人間性をかなぐり捨てて、皆少しでも安定した生活にしがみつこうとしている。 ー本当にそれでいいんだろうか。   通勤や帰宅の時間帯、完全にぶっ壊れてしまった勤め人を、俺は何人見てきたことだろう。  列車の出入り口付近で、ひたすら念仏を唱え続けるスーツ男。駅地下の通路で、見ず知らずの人間の背中にブルース・リーばりの飛び蹴りをかましたリーマン。満員電車の車内で、おもむろに納豆を喰い始めるOL。たとえ捕まっていなくても、痴漢なんぞに興じている連中も総じてこの類だろう。  会社に着けば、これらの連中も平然と業務をこなしているのかもしれない。でも、それってどうなんだ。皆そういう人生を送りたくてそうやっているんだろうか。良心を押し殺し、思考を止め、犯罪に加担し、ぶっ壊れてしまった生ける屍。或いは自我を保ってはいても、立場の弱い者を探しだしては踏みつけるクズ野郎になるかだ。まあ探せば、そうしたい奴もいるのかもしれないが、殆どの奴はそうじゃないだろう。    田丸と並んで歩く俺の頭の中に不意に、今まで不慮の事故や病気などで不幸にも命を落とした学生時代の級友や職場の同僚のことが思い出された。  学生の時、通学途中でトラックの内輪差に巻き込まれた級友。酔ってホームから転落した同僚。若くして癌に罹患した先輩。  取り分け親しくしていた者がいた訳ではない。にも関わらず、心ならずも命を落としてしまった彼ら彼女らからも、未だに生き延びている俺の生き方をじっと見られ、問われている気がした。 ーああ、そうだ。今の俺は間違いなく死んでいる。  タンパク質の有機化合物として生命反応を示しているだけだ。 「はい? 何ですって?」  横合いから出し抜けに、田丸が聞き返す声が聞こえた。考え事をしているつもりだったが、一瞬声に出してしまったみたいだ。 「ん? いや、何でもない」 「先輩、なんか疲れきってますね。まあ、無理もないけど。ネカフェに着いたんで、今夜はここに泊まりましょう。俺、一刻も早くシャワー浴びたいっすよ」
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